血反吐を吐きながら
「うん? どういうことデスか?」
ぱちくりと。幼い竜族の少女だけが状況を理解できずにいた。
なぜこうも深刻な空気が流れているのだろう。失敗を恐れているのだろうか。確かに精霊を召喚する武具の製作は難しい。それを複数ともなれば。話を傍観するに、そこに加え新作を作り上げねばならないようだ。
並の職人では不可能だろう。だがグウィネスの腕は確かだ。世界一の腕を持つグウィネスならばできるだろう。なのになぜこんなに深刻な空気が流れているのだろう。
スティーブは言っていた。グウィネスが"頑張って"くれると。その"頑張る"の言葉の本当の意味がわからないゼフィルは無邪気に首を傾げる。普段通りの製作と何一つ変わらないという認識のゼフィルは深刻な空気が理解できていなかった。
「心配することは何もないってことですわ」
そうと決まればさっそく取り掛からねば。やることは山積している。精霊を召喚する武具が複数、弟子に託すメッセージの作成。新作の製作とそれに必要な魔術式の構築。普段なら早くても半年ほど猶予がほしいと言うところだが、一晩で完成させてみせようではないか。
不可能ではない。魔女の薬さえあれば。どんなことだって。その後に待ち受ける死など度外視すれば。
「さて、作ってきますわね」
まるで散歩にでも行くかのような軽い口調でグウィネスが言い放つ。奥の部屋を作業場に借りると言って、居間から出る扉に手をかけた。その背中にヴィリが静かに声をかけた。
「……グウィネス」
「はぁい?」
「サイミン」
明日の朝、また再び会えることを。魔女の薬など大したことはない、命を犠牲にする運命などなかったではないかと笑いながら顔を見せることを願っている。
そう願いを込めたヴィリの言葉にグウィネスはそっと微笑んだ。
「イハ。そうだといいですわね」
「グウィネス! 熱中しすぎてお寝坊はだめデスよ!」
「寝坊なんかしませんわよ」
普段通りの製作と何一つ変わらない感覚で見送るゼフィルに苦笑する。幼い思考は極端に生死の概念に弱い。記憶喪失が同胞の大量虐殺に起因するものだからだろうか、生き死にの話となると極端に鈍くなる。それがゼフィルなりの心の守り方なのだろう。だからグウィネスの死もおそらく理解できない。していない。しようとしない。
それでいいと笑い、最後にスティーブを見た。明日の朝に生きて会うのは難しいと察している顔をしていた。夜明けとともにグウィネスは死ぬと理解している。そしてそれに対し、何と言っていいか言葉が出てこないようだった。
「わたくしのことは構わないで。…少し早いですけど、ヴィリとお幸せに」
そう言って扉を閉めた。一瞬うつむいたグウィネスが再び顔を上げた時、表情から迷いも恐れも消えていた。拠点から運び込んできた物資の中から一つの武具と小瓶を取り出す。
「武具展開。"マギ・シスのラボ"」
それはグウィネスの作業場兼研究室だ。武具の中に部屋を作ることで、何処ででも武具製作が行える。材料も資料も必要なものも、その空間にすべておさまっている。
「さぁ、わたくしの遺作にふさわしいものを作りますわよ!」
ざらざらと砂が流れていく。もうすっかり冷たくなってしまった部屋の隅の亡骸を見下ろし、ミュスカデは悠然と玉座に座る。その足元には血まみれのクレイラ・セティがいた。
「ミュスカデ様。本当によろしいのですか?」
ミララニだか何だか、クレイラ島の治安維持組織の残党はまだ生き残っている。あの組織は世界のどこかにある反パンデモニウム組織とつながりがあるという噂がある。そのつながりなのかそれとも同志の縁か、ディーテ大陸で最近発足した相互防衛同盟"コーラカル"の何人かがクレイラ島に侵入した。
ミララニの残党もディーテ大陸からはるばるやってきた数人も位置は把握している。合流したことも報告にあがっている。今頃作戦でも練っているだろう。なのに何もしないのか。
「えぇ、いいのよ。……あなた、水槽で魚を飼ったことはある?」
砂利を敷き水草を植え、複数種類の鑑賞魚を飼うあれだ。蟻の巣でもいい。ひとつの小さな生態系を作るような、そのような経験があるだろうか。
問われ、レッター級の男はゆるりと首を振った。強いて言うならば、幼少の頃に蟻の巣に熱湯を流し込んだくらいだろうか。
「あら、ないの」
とても楽しいのよとミュスカデが笑った。小さな水槽の中で繰り広げられる生態系はとても愛おしい。水草を小魚が食べ、小魚を魚が食べ、より大きい魚がそれを食う。その生命の輪廻は見ていて飽きない。
クレイラ島はミュスカデにとっての水槽なのだ。泳ぎ回る魚を鑑賞することはあっても、殺したりなどしない。外来の肉食魚が水槽に紛れてしまったとしてもそれを取り除く真似はしない。
どうなるのか見守り観察するのだ。何が起きても。水槽の生態系が破壊されるのもまた一興。意外なことに共存するかもしれない。どう転ぶかわからない。だから面白い。
だから手を出さないのだ。大型魚の捕食から運よく逃れた小魚がどうするのか結末を見守るのだ。
「もうこの"水槽"は私のものなんだから」




