安全に事を運ぶために
水を向けられ、黙って聞いていたグウィネスが口を開いた。
「リャッソ! すでに理論は組み立ててありますの。あとは実際に組み上げるだけですわ」
武具による通信を妨害する仕組みは意外と単純なのだ。そもそも武具による通信というものは、音と同じように山と谷で構成される魔力の波長を遠くに届けることで音声とする。発信側の声を波長に変換し発信し、受信側で音声に構築しなおす。通信妨害武具とは、その波長と正負逆の波長をぶつけて相殺するか乱すことで通信を妨害する。
つまり、その妨害をくぐり抜けて通信をするためには魔力の波長以外での手段を用いればいい。音が使えないなら他のものを使えばいいというわけだ。
「カッニ! 別に"アトルシャン"全部に通達しなくとも、バハムクランにさえ届けばよいのでしょう? でしたら簡単ですわ」
バハムクランにさえ届けば、あとはそこから全体に伝播する。だったらグウィネスが考えるべきはどうやってバハムクランに届けるかだ。たったひとつにさえ届けばいいのだから簡単だ。
この手段を思いついた当初は最も手近なキロ島にと思っていたのだが、キロ島では少し難があった。距離の話ではない。反パンデモニウム組織がキロ島へ救援要請をしたということが問題だったのだ。救援要請を"誰"が受け取ったかをパンデモニウムは徹底的に見張るだろう。その時に"アトルシャン"の存在が露見してしまえばキロ島が沈む危険性があった。まだキロ島にはパンデモニウムに従うという表向きを維持してもらわなければならない。
だがバハムクラン、ひいては"コーラカル"ならば話は違う。反パンデモニウムを掲げる者同士ということで救援を求めるのは不自然ではない。
さて、問題はその手段であるわけだが。
「セイレを使って古式ゆかしく伝書鳩といきましょう」
精霊を召喚し、その精霊にメッセージを託して飛ばす。クレイラ島は砂嵐に覆われ、外との行き来は非常に難しいが、クレイラ・セティの眷属である精霊ならば砂嵐を越えることができるはずだ。この砂嵐はクレイラ・セティが制御しているものだからだ。
砂嵐を突破しようとする精霊はおそらくミュスカデに感知されるだろう。その精霊が救援を求めるものだと思いつくことは間違いない。摘み取るため撃墜に走る。だから追撃から逃れるために複数の精霊を飛ばす。
「それはいいとして、メッセージが相手に読まれたらどうするの?」
撃墜だけでなく鹵獲もしかけてくるだろう。もし精霊が捕まった場合、こちらの情報があちらに渡ってしまうことになる。それを危惧する声に、その対処もできているのだとグウィネスは得意げに答えた。
どうやって、と問いたげなバルセナの唇を人差し指で軽く押さえたグウィネスは、にっこりと優雅に笑った。
「あなたのその武具、"赤の技工士"エルデナ・ダファリの作でしょう?」
グウィネスが指したのはバルセナの六尺棒だ。いつかの戦いで破損してしまったそれをエルデナが新しく作ってくれたことがある。バハムクラン専属の職人である彼女は派手好きで豪快な性格に反して非常に繊細な仕事をする。出来上がったその良質さに舌を巻いたのはいつだったか。
「あの子はわたくしのディシなの」
技術の漏洩を防ぎつつ技術を伝えるために、師弟としての会話は暗号を用いる。何気ない雑談を装って複雑で繊細な技術を口伝する。しかもそれは弟子同士で共有できないよう、弟子ごとに暗号を変える。
つまりグウィネスとエルデナの2人にしかわからない暗号がある。それを用いて文章を作ればメッセージを仕込める。
漏洩防止のために暗号を用いることはグウィネスの信条であって他の武具職人に共通することではない。だから暗号を用いることは向こうは思いもしないだろう。鹵獲されても構わないような中身の無い他愛もない話で観測気球を飛ばしたくらいにしか思われない。
そのうちどれか1つでもエルジュに届くことを祈る。届くかどうかは賭けだが、それは神の手に委ねるとしよう。神がこの世界を愛してくれているのならば、神の手によって精霊は目的を達成することができるはずだ。
神頼みの賭けになるが、必ずいけるとグウィネスは確信している。神がパンデモニウムの悪行を看過するはずがない。信徒の抵抗に力を添えてくれるはずだ。
神は直接この世界に干渉することはしないが、切羽詰った時にそっと助力をしてくれる。運命の歯車を回して必然的に"そう"なるように仕組む。運命論だがそういうことだ。そうでもないと説明がつかないほど恐ろしい偶然の一致で奇跡をもたらす。
運良くミュスカデに見つからず、運良く追撃の手を逃れて、運良く砂嵐を突破し、運良くクレイラ島からエルジュまでの長距離を飛び、運良くバハムクランの者の元にたどり着き、運良くメッセージが解読され、運良く何の滞りもなく、運良く"アトルシャン"全体に情報が伝播する。それら一連の動きは運良くパンデモニウムに察知されない。神がこの世界を愛し信徒に助力してくれているのならば、そういう未来が必ず起きるはずだ。
「カミサマは助けてくれナイケドネェ…」
「ニロ! それは努力が足りないだけですわ!」




