幕間小話 アイラブユーは届かない
「なぁスティーブ、シャフ族の言葉を教えてくれないか?」
"観測士"としての知識欲が未知を既知のものにしたいと疼いている。そうアルフはスティーブに頭を下げた。
さすがのユグギルもシャフ族の言葉など知らないだろう。ここはシャフ族の言葉を覚えてユグギルを驚かせてやろうではないか。
「あまり教えるのは得意じゃないけど、それでいいなら」
メモするための手帳を開くアルフの隣に円座を寄せて座る。黒板の代わりに木切れを手繰り寄せ、白墨の代わりに釘を握った。
「シャフ族の言葉はね、概念や要素といったものをパズルのように組み合わせるのさ」
てにをは、つまり格助詞を省くことが多い。主語も省きがちだ。短い音の単語を並べて短い文章を作る。砂が口に入らないように、できるだけ口を開けないようにと工夫していった結果だ。
「シャフ族の"シャフ"は砂を意味する。砂漠のさらさらした砂だ」
それは知っているだろう。常識だ。シャフダスルヴが"砂の民"を意味することも。
「ダが"の"、スルヴが"民族、人種"という意味に分解できる」
がりがりと木切れに文字を書き付けていく。その文字をアルフが手帳に写していく。写し終えるのを待ちながら、ゆっくりと丁寧に書く。
「アレイヴ族はモルダスルヴ、ベルベニ族はウィダスルヴ、スルタン族はウルダスルヴ…という。それぞれ"森の民"、"風の民"、"水の民"だ」
つまりは信仰や象徴するものを掲げ、"の民"という言葉で修飾する。モルは森、ウィは風、ウルは水を指す単語だ。シャフ族は雷を信仰するが、ライダスルヴとは呼ばない。砂漠に住むから"シャフダスルヴ"と呼ぶ。ここまではわかるだろう。
「さて、"ウルド"はオアシスを指す。水を示す"ウル"が語源だ」
湖も池もオアシスも川も全てひっくるめて"ウルド"だ。厳密には"水が貯まる場所"という概念、つまり湖や池を"レク"と呼び、"水が流れる場所"という概念、つまり川を"リヴ"と呼び分ける。どれもすべてひっくるめる場合は"ウルド"と指す。
「この"ド"というのは、その要素がどの程度集まっているかを示す接尾語でもあるんだ」
"木"が集まって"林"になり、さらに集まれば"森"になるように。"ド"は少数を、"ジャ"が大規模なものを示す。ウルが集まって ウルドになり、更に集まってウルジャとなる。
「ついでに"災害"を示す単語は"リャソフ"っていってね」
ウルのリャソフ、つまりウルリャソフになる。マリが集まってマリドになり、さらに数が増えればマリジャになる。それがもし武装し蜂起し暴徒となれば人の災害となる。そういったように要素や概念をパズルのように組み合わせ修飾して単語にする。
そうして要素を足していった結果、ひとつひとつの単語が冗長になる。単語が長くなるとその分文章も長くなる。文章が長くなれば喋りも長くなる。喋る時間が長ければ口に砂が入る。なのでばっさりと省略する。
砂嵐を指す単語がそうだ。説明しながら書いたせいで図が中途半端になった木切れを裏返して新しい面にする。
「直訳すれば"シャフウィリャソフ"…砂、風、災害という要素を足してできた単語だ」
語源を分解すれば"砂と風による災害"となる。だがものすごく長い。だから省略し、"シャリャ"とした。
「この時期のクレイラ島は砂の季節…シャフジズというけど、砂嵐の季節、つまりシャリャジズとも呼んでいるんだよ」
しかしこれがまた長い。そこでさらに省略をかけて"シャリズ"に変わった。
そのような方式でシャフ族の単語は作られている。大元となる要素に修飾をいくつもぶら下げて冗長な単語にした後に省略をかけて短くする。さてこれで単語の構成については理解できただろう。
「で、そうしてできた単語を並べて文章にする。文法自体は共通語と大して変わらないかな」
ここまででわからないことは、と穏やかにスティーブが訊ねる。説明すべてを手帳に書き付けたアルフは、今のところは、と首を振った。後で読み返して疑問が浮かぶかもしれないが、その時に改めて聞こう。
質問がないなら続けるよ、とがりがりと釘で木切れに短い文章を書いた。
「サセズクフ。どういう文章かわかるかい?」
ヒントは、クレイラ島にやってきたアルフたちを見つけたヴィリが真っ先に訊ねただろうことだ。
そう言われ、しばらく考えたアルフは誰何の問いではないかと答えた。正解、とスティーブが教師の真似事で指を鳴らした。
「君、たち、は、誰?」
いたってシンプルな文章だ。わかりやすい。そして短い。うんうんと頷いたアルフは、あれ、とあることを思い出した。
サセズクフ。君たちは誰だ。ヴィリは確かそんなことは言わなかった。ほんの少し、一音だけ違っていた。
「…ヴィリに言われたのは"サウズクフ"だったぞ」
「あぁ……」
ヴィリらしいな、と呟いたスティーブはその小さな差異について補足することにした。"サウ"と"サセ"の違いについてだ。元々、"あなた"を指す要素は"サ"という。そこに自分と相手の地位の上下で要素を修飾する。あなたが上か同格か下か。
「サトフタ、サセン、サウンタ…長くなるから脱落が入って…」
「サト、サセ、サウ?」
「そう」
つまり"サウ"ということは。自分より格下を示す"あなた"。平たく訳すなら。
「…貴様?」
「まぁ、そうなるね」
プライドの高いヴィリらしい。肩を竦めてスティーブは苦笑した。これで文法や言葉については理解できただろう。さて、それなら実践で使える文章を教えて締めにするとしよう。
「"ボクサセキンマノスル"…僕は君と友人になりたいという意味さ」
ヴィリに言ってごらん、面白いことになるから。悪戯を仕掛ける子供のような顔でスティーブが言った。
ちょうどいいところにヴィリがいることだし。たまたま側を通ったヴィリをスティーブが呼び止め、ほら、とアルフを促す。
「えーと…ボクサセキンマノスル」
スティーブに教えてもらった言葉を復唱する。目を瞬かせたヴィリが一瞬間を置いて口布を引き上げて顔を背けた。
「…何言ってるの」
馬鹿なこと言わないで。そう吐き捨てるようにそっぽを向く。その様子をにやにやとスティーブが眺める。その顔は悪戯が成功した子供のような表情だった。
発音が少し怪しかったが意味は十分ヴィリに伝わったようだ。ヴィリは直接的な感情表現をされるのに弱い。ストレートな表現に耐性がないのだ。友人になりたいと言ってしまえばこうしてうろたえる。
「耳まで真っ赤だよ」
「うるさい」
まったく余計なことを。そう言いたげなヴィリは追及を振り切るように足早に去ろうとする。照れ隠しのためか普段にもましてぶっきらぼうなヴィリの背中にスティーブが追撃をかけた。
「ボクサセキンラテ」
返事は沈黙の背中だった。馬鹿なことをと一蹴するでもなく黙殺したヴィリは部屋を出ていった。それを見送り、やれやれとスティーブは肩を竦めた。
「やれやれ、女心というのは難しいね」




