偉大なる師が残した鍵
「おかえりぃー」
合流を果たしたのでユグギルのところに顔を出そうと歩き出した猟矢たちに声がかかる。
振り返るとそこには工房があり、廊下から見える机には鮮やかな赤い衣装が突っ伏していた。
エルデナだ。いつもの明るい雰囲気など吹っ飛んで何やら疲弊している。床には書き散らした羊皮紙が散乱して積み上がっている。伏したエルデナの目の前、机の上には銀があった。
これは見たことがある。猟矢は記憶をあさる。どこかで見た。ベルズクリエではない、シヴァルスでもない、ベルミア大陸の時ではない。キロ島。違う。ミリアム諸島。でもない。クレイラ島。そう、そこで見た記憶がある。
えぇ、と、猟矢が記憶を掘り起こすより先にエルデナが答えた。
「これ、師匠のなんだけど……。グウィネス師匠、覚えてる?」
そうだ。あれは確か、クレイラ島で見たものだ。エルデナに言われて猟矢ははっきりとそれを思い出す。
砂に閉ざされた島。拘束された神の獣。それを助け、救うために活動した集団。クレイラ島のミララニが一員、"マギ・シス"ことグウィネス・ガラトが持っていたものだ。
優秀な武具職人である彼女は文字通り死力を尽くして武具を作り、そして雷神の身許に招かれた。
「私にって、ミララニの人たちが送ってくれたの」
ミララニがそのグウィネスの私物を遺品として分け、そのひとつをエルデナに送ったのだという。これは彼女が生前一番気にしていた弟子へ、ということなのだそうだ。
その武具こそ、彼女が最も愛用していた武具"マギ・シスのラボ"である。
ディメンションタイプの武具であるそれは、発動するとその場に異空間を作り出す。その中は武具製作に必要なものすべてが揃っている。炉や彫金細工台といった設備から、銀や羊皮紙といった道具、資料や文献。すべてが詰まっている。持ち運べる工房といっていい。携帯性のために設備や道具の質を損なうこともない。いつでもどこでも本格的な武具製作工房を展開できる。そんな武具だ。
猟矢は工房が展開されたところを見たことはないが、これはこういうものだと本人から自慢されたことを思い出す。得意気に自慢気に説明するグウィネスの声はもはや記憶に遠く、そのことが胸にちくりと棘を刺した。もう彼女の講釈は二度と聞くことができない。
「で…魔力の質も合うし、展開できる、はずなんだけど…開かなくて…」
武具と術者には相性がある。水車は風力で動かせないように、魔力が合わなければいくら強力な武具を持っていても強大な魔力を宿していても発動できない。
エルデナの場合、それはクリアできている。師グウィネスと自分の魔力は似通っていて、グウィネスの武具である"マギ・シスのラボ"も問題なく発動できる。
問題は"マギ・シスのラボ"にかけられたセキュリティロックである。万が一盗まれ、そして盗っ人がグウィネスと似た魔力を持っていた場合、秘密が詰まった工房は展開されてしまう。そうなればグウィネスがこつこつ溜めてきた研究も理論も流出してしまう。だからグウィネスは自らの機密の塊である武具に鍵をかけた。
それは、グウィネス本人にしか知り得ない暗号と鍵による厳重な鍵だ。正解を知らなければ開けることはできない。正解など知らぬ場合、その鍵を分解して仕組みを解かなければならない。空き巣が鍵穴に針金を突っ込んで錠を開けるように。
"アトルシャン"内の連絡や伝言を伝えるついでにミララニから武具を渡されたエルデナはそれに挑戦していたのだ。床に散っている羊皮紙はそのメモだ。ちなみに、徹夜3日目である。
「師匠からの最期の課題ってやつかな……うーん……難題……」
へろへろと萎びた声でそこまで説明したエルデナは首だけ持ち上げていた姿勢から再び机に伏せる。
この鍵は魔術によるものだ。"マギ・シスのラボ"を構成する魔術式に少し手を加え、鍵の機能を追加したもの。
まるで鍵をかけるように、術者以外の第三者の使用を制限する魔術式はある。南京錠か暗証番号式か、様々な鍵があるように、下級から秘伝まで、その種類は多岐に及ぶ。エルデナだっていくつか知っている。
果たしてグウィネスはそのどれを採用し、そして鍵の凹凸、あるいは暗証番号を設定したのか。それを読み解かなければ工房の扉は開かれない。
「はぁー……師匠のばかぁ……こう、弟子ならノーチェックで開くとか、鍵を教えておくとか、なんか、いいようにしておいてよぅーー……」
この程度の鍵を解錠できなければこの工房を継ぐには未熟ということなのだろうが。愚痴たエルデナは恨めしそうに唸る。記憶の中のグウィネスが高慢ささえ感じる口調で小突いてくる。得意気に自慢気に、まだまだですわね、と。
「はは、エルデナ、がんばれ」
「はははじゃないわよー……サツヤのばかー…」
エルデナの八つ当たりが飛んでくる。徹夜を重ねて疲弊していても性格は変わらない。思うままに感情を発散させるエルデナだ。
これ以上絡まれる前に逃げるぞ、とハーブロークが猟矢の背中を押した。このままでは恨めしそうな八つ当たりの愚痴に付き合わされる。
「どういう意味よ……ハーブロークあんた、後で覚えてなさい……インゴットで殴ってやる……」
「それだけ言えるなら十分元気だな」
「……アルフも後でインゴットだからね」
「うぇっ!?」




