アベットの血
「それで、カーディナルの情報はないのか?」
有象無象の雑兵のレッター級はともかく、カーディナルの情報が欲しい。名前、容姿、能力。なんでもいい。何か情報はないだろうか。ジャムがついた指を舐めながら訊ねるアルフにスティーブが首を振る。
「一瞬だったからね。そのあとは命からがらの逃亡劇だし」
誰何する暇もなく逃げた。だから容姿などほとんど覚えていない。そう答えるスティーブにヴィリが口を挟んだ。
「ボクリス。ネミクミュスカデ」
裏切りの大臣の手引きで取り押さえられた際、レッター級の誰かが言っていた。ミュスカデ様のもとに引きずって連れていけ、と。
そうシャフ族の言葉で告げたヴィリの言葉をスティーブが翻訳する。どうして頑なに砂語で喋るのだとグウィネスが再び非難した。
「ミュスカデ!? ミュスカデだって?」
「知っているのかい?」
その名前を聞いたアルフが思わず立ち上がる。知っているのかと問われ、はっと我に返ってその場に座り直しながら頷く。知っているも何も。
「ミュスカデ…"強欲"ミュスカデ・アベットは……」
「アベット? アベットって、もしかして…」
アベットという姓は、まさか。ぴんときたバルセナに頷いて肯定する。そう、バルセナが勘付いた通りだ。パンデモニウムがカーディナル級"強欲"ミュスカデ・アベットは。
「俺の姉だ」
重々しく、バハムクラン"観測士"アルフ・アベットが言った。言葉を失う一同の中、すでにそのことを知っているダルシーだけが表情を動かさずにいた。
身内がパンデモニウム。しかもカーディナル級。ことがことだけにあまり口にはしたくない話だったため、今まで言えずにいた。黙っててごめんなと猟矢とアッシュヴィトとバルセナとハーブロークに言い、ここからは俺の不幸自慢だと自嘲しながら続けた。
「もう地図にすら載ってない小さな村の夫婦の話だ」
長年その夫婦には子供がいなかった。夫の子種が悪かったのか妻の身体が悪かったのか、とにかく何年も子供に恵まれなかった。妻も高齢出産に足をかける年齢になり、諦めた夫婦は養子をもうけることにした。跡継ぎを考えれば男がよかったのだが、うまいこと男児が見つからず女児になった。夫婦は引き取った義子にミュスカデと名付けて実の子供のようにかわいがった。
それから数ヶ月。なんと妻に妊娠が発覚したのだ。十月十日をかけて生み落とした子供は待望の男児であった。待望の男児の実子と女児の養子。それでも夫婦は待遇に差をつけなかった。むしろ気を使って養子の方を優先していたくらいだ。将来この家を継いでそっくりそのまま財産が与えられるのだから我慢しなさいと実子に我慢させることもあった。
「あれが欲しい、これが欲しい。それが欲しい、どれも欲しい」
きれいな服も美味しい食事も何もかも。色んなものを欲しがった。少しでも羨ましいと思えば他者から奪い取ることもあった。友人も恋人も。手に入れたいと思ったものはすべて手に入れた。
そして欲しいものを欲しいだけ、欲しいままにしたミュスカデは。
「力が欲しい、権力が欲しい。……世界が欲しい」
増長した欲望はもはや小さな村ではまかないきれなかった。こうしてミュスカデ・アベットは村に火をつけた。もう手に入ったものなんて、あとは壊すしか価値がないと言って。火を放って住民たちを焼き殺し、行方をくらませた。
その中でどうにか生き残ったアルフはバハムクランに保護された。まだあの時はパンデモニウムなどなく、貿易都市エルジュの小さな自警団だった。そこにたまたま立ち寄ったキロ島の狩人に物事を"観測"する技術を教えてもらった。
そこから5年弱が経ち、パンデモニウムが世界を席巻するようになった。アルフの師匠であったキロ島の狩人のつてを借りてバハムクランは"アトルシャン"に加わった。
「その中にミュスカデを見つけた。…5年前だ」
"不滅の島"ビルスキールニルが滅んだ。それをなしたのは我々だと声明を挙げるパンデモニウムの中にミュスカデの姿があった。
あれは自分が殺さなければならない。村の仇だと格好良いことを言うわけではない。大義などない。ただ自らの心がすくためにミュスカデ・アベットを殺す。殺さなければアルフの心は永遠に晴れない。
「それだけさ。…ジョーダンじゃねぇ不幸自慢終わり」
しんみりしてしまった。はぁ、と溜息を吐いてアルフは話を打ち切った。ほぼ食べ終わりかけとはいえ、食事中にこんな話をしては食欲も奮わないだろう。
やれやれとアルフは最後の一口を口に押し込んだ。過去の不幸自慢で話の腰が折れてしまった。本題に戻るとしよう。王宮にいるという"強欲"ミュスカデの情報だ。
「5年間追い続けてきたからな、多少はわかると思うぜ」
逃亡劇の直前、ちらりと見ただけのミララニの連中よりかは知っていると思う。そう言ったアルフは備忘録代わりの手帳を取り出した。




