砂の安心起動
連れて来られたのは小さな民家だった。
「さて、紹介が遅れてすまない。僕はスティーブ。スティーブ・ベルズストーン。あちらはヴィリ・キャトルという」
外套もなかったせいで砂まみれの猟矢たちに湯と着替えを用意してやりながら、彼は人当たりの良い笑顔を浮かべた。ヴィリと紹介された彼女は外套の砂を払いながら注意深く猟矢たちを見ている。シャフ族の特徴である褐色の肌に彩られた黒い瞳は警戒を解かない。
「ヴィリ、そこまで邪険にしてやるなよ。ほらほら、女性陣の湯殿は任せたよ」
砂よけのために外套のフードを深くかぶっていたためわからなかったが、彼の容姿はシャフ族の特徴と異なる。シャフ族ならばヴィリのように特有の容姿をを持つ。乾いた砂のような褐色の肌と、砂漠に落ちる影を切り取ったような黒い瞳がシャフ族の特徴だ。対するスティーブは青みがかった銀髪をしていた。
「見ての通りシャフ族じゃないんだ。僕は"アトルシャン"から派遣されてきたんだ、3年くらい前にね」
元々は各地を点々としながら伝承を研究する神秘学者だったのだが、その貪欲な知識欲を買われて"アトルシャン"に招かれた。伝承学の界隈では有名な研究者である。今、彼がしている研究はシャフ族に伝わる伝承と神話に関するもので、そのために"アトルシャン"の仲介でクレイラ島にやってきた。それからはこのミララニというクランに世話になりながら研究を続けているという。
"アトルシャン"に編入される前、ミララニは元々クレイラ島の自警団として存在していた。ヴィリはその頃からの兵士で、生粋のシャフ族だ。"アトルシャン"から派遣されてきたスティーブをクランに受け入れ、メンバーの一員として扱ってきた。
「砂語…シャフ族の言語なんてわからない状態で放り込まれたんだ。カガリ様も意地悪なひとだよ、まったく」
そう肩を竦めるスティーブに猟矢たちも同じように自己紹介をする。引き出しの中から3人分の着替えとタオルを引きずり出したヴィリは、それらをアッシュヴィトに渡して手招きする。家の奥に風呂場がある。風呂といっても桶に水を汲んで置いておいただけだが。水は貴重なので浪費するわけにはいかないのだ。
ちなみに男性陣はというと、申し訳程度の衝立をした中に同じように桶が置いてあるだけ。民家自体も狭く、風呂場とそう距離が隔たってないため、少し声を張り上げれば問題なく会話ができるだろう。
濡らしたタオルで身体を拭いて砂を落としながら本題を話すとしよう。なぜ遠く離れたエルジュから猟矢たちが来たのかを。
ばしゃりとタオルを桶に放り込んだアルフがその経緯を説明する。領主専用の通信武具に着信があったこと。発信地はクレイラ島だということ。喋ったのが領主ではなくその妻であったこと。か細く助けを求める内容は断末魔に変わったこと。それらからパンデモニウムによって領主が殺され、その妻が助けを求めたと判明したこと。クレイラ島の"アトルシャン"のメンバーと連絡がないこと。殺されたのか、それとも事態を知らないのか。クレイラ島の様子を知るため、斥候としてバハムクランから自分たちが派遣されてきたこと。
「成程。僕たちの目的と一致していてよかったよ」
アルフの説明を聞いたスティーブは、ははぁ、と唸った。口調こそ悠長に聞こえるが、その声音は深刻そのものだ。
連絡をしなかったわけではない。連絡を取れなかったのだ。自分たちも命からがら逃げてきたばかりで事態を知らせる余裕がなかった。3日前、突然現れたパンデモニウムたちから命からがら退却し、ようやく一息つけたのが今だ。そうしているこの間に領主は殺されたのだ。そしてその妻も。
だが、すべてが砂に隔てられてしまうこの時期のクレイラ島に暮らす民たちはパンデモニウムが現れたことすら知らないだろう。砂嵐がおさまって外を出歩けるようになってからようやく事態を知る。その頃にはもう遅い。事態を知っているミララニたちとて後手に回っている状況なのだ。
「僕たちもあまり状況は芳しくなくてね。撤退の際にバルドルたちを…仲間をたくさん失ったんだ」
ミララニが拠点としている建物も放棄せざるを得なかった。残っているミララニのメンバーは4人しかいない。残りは皆撤退戦において死亡した。遺体すら葬る余裕はなく、そのまま置いていくしかなかった。
残った4人でここに逃げ延びたのがやっと。どうにか隠れ家に逃げた自分たちのことで精一杯で、どうにか砂嵐に隠れてひっそりと食料を取りに向かったヴィリが帰りの道中で猟矢たちを見つけて今に至る。
「あとの2人は放棄した拠点にあるものを取りに行っていてね。もう帰ってくると思うけど……あぁ」
噂をすればだ。簡単に風呂を済ませた猟矢たちの服を丁寧に砂を払うスティーブは玄関の方を返り見た。その視線を追うように猟矢たちが振り向く。それと同時に玄関の出入り口に張られている砂よけの布がばさりと翻った。




