僕の心にだけ残る君の面影
死神の仕事は、魂の回収と運搬だ。
死神のリストに載る人間を黄泉の世界へ連れてい行けば終わり。
記憶にも残らないから今まで運んだ魂の名前や顔なんて一人も覚えてない。
必要もなかったし、俺は困らないし。
そして、今後も何も変わらない。
変わらないはずだった。
美幸ちゃんはまだ十五歳だった。
でも、俺のリストの一番上にその名前が載っていた。別に生まれてすぐに死ぬ子だっている。若い人間が死ぬのは珍しいことじゃない。
それでも、俺は彼女の枕もとで迷っていた。なんでかって?
それは――。
「サボってると怒られちゃうんじゃないの? 死神さん」
「別にサボってないから。あんたが死ぬのはまだ少し先だし」
俺がそう答えると、美幸ちゃんはおかしそうに笑った。
そう、彼女は『見える』人間だった。
稀にそういう人間はいるし、そういう話もたまに聞く。
俺が担当した人間では彼女が二人目で、最初のやつは俺の姿を見るなりクソビビって、泣きわめきながら命乞いをしてきたけど、彼女は違った。
美幸ちゃんの枕もとに立つ俺を見て、彼女は「やっと来たんだ」と諦めたように笑った。その顔が目に焼き付いて、俺を迷わせたんだ。
「先週もまだ先って言ってたけど、いつなの?」
「まだ先」
「もう。いつよ、それ?」
彼女はそう言うと、困ったようにまた笑う。
「教えない」
「意地悪だね。死神さん」
美幸ちゃんはそう言うと、息をゆっくり吐き出してから顔を窓の外へ向けた。
本当なら、彼女の命の期限は二日前に終わっているけど、俺の権限で少しだけ回収を遅らせている。
それでも、あと五日以内には彼女の魂を回収しなくちゃいけない……。
「なんで、そんなに死にたいの」
だけど、死にたがりな彼女の魂を素直に回収してやるのはなんだかおもしろくない。
真っ白な部屋、同じ色のカーテン、そしてベッド、彼女の居る病室には俺以外の黒は存在しないし、それ以上に色がない。
この部屋はただ寒々しい。
「死にたいわけじゃないよ。そう、望まれてるだけ」
窓の外を見つめたまま、美幸ちゃんの静かな声だけが音のない部屋に溶ける。
俺はもちろん知っていた。
美幸ちゃんが家族に煙たがられていることも、死を望まれていることも、この病室に誰も来ないことも。
病弱な彼女は入退院を繰り返し、何度も手術を繰り返し、彼女の家族はお金のかかる彼女をいい加減に手放したくなっている。
友達もいない。出かけたこともない。誕生日を祝ったことも、学校に通ったことさえない。
そんな彼女の楽しみは、窓の外に見える鳥や猫を眺めることだけ。
「あんたさ。家族に死ねって言われたら死ぬの?」
俺がそう聞き返せば、美幸ちゃんは拗ねるように頬を膨らませて見せる。
「だから、死にたくないってば……やりたいことくらいあるよ」
美幸ちゃんの病気は今の人間の医学では治せない。
治せないのに、命をつなぐために手術して、その度に体中を切りきざまれて、麻酔が切れれば不快な痛みでまともに眠ることさえできなくて。
ねぇ、それはどういう気持になるの?
そんな君が、何を望むの?
「なに、やりたいことって」
「え? 教えないよ。絶対笑うもん」
「俺が笑うようなことなの?」
「多分……」
俺は死神だから、美幸ちゃんの病気を治してあげることはできない。
死を誤魔化すことはできるけど、でもそれだってずっとじゃない。だから、美幸ちゃんのやりたいことだって、叶えてあげられない。
他に俺が出来ることなんて、転生先でちょっといい人生が送れるようにしてあげることくらいだ。
それならさっさと連れて行ってあげればいいんだろうけど。
転生してしまったら、もう美幸ちゃんではなくなってしまう。
記憶もすべて消されて、別人として人生を送ることになる。
俺はそれが少し気に入らない。
だって、俺とこうして話したことも忘れるってことだから……。
「笑わないから教えて」
「約束できる?」
「多分……」
俺の返事に美幸ちゃんはやっと俺に顔を戻して、少し言い難そうに視線を泳がせると、小さく。
「恋人」
とつぶやいた。
「なに?」
「だから、恋人を作ってみたいなって……恋、してみたい」
美幸ちゃんはそう言うと、頬をほんのりと桃色に染めて俺から視線を外す。
ああ、やっぱり女の子って、そう言うの興味あるんだな、なんて思う。
「ふーん」
美幸ちゃんが恋をする暇なんて、あるわけがない。
そりゃ憧れの一つも持って当たり前だ。
「生まれ変わったらいくらでもできるんじゃない?」
俺がそう言えば、美幸ちゃんは複雑な顔で笑みを張り付ける。
まあ、言いたいことは分かるよ。今の自分がしたいってことでしょ? でも、それ不可能だから。
だって、あんたはもう死ぬから。
「死神さんは、恋したことある?」
「……あるよ」
「うまくいった?」
「いくわけないでしょ。誰が死神なんて好きになるの?」
はじめから決まった結末って言うんだよ。そういうの。
死神は必然的に人間とかかわることが多いから、恋をする相手も人間が多い。
でも死を運ぶ死神を、恐れる人間はいても好きになる人間ってのは本当に少ない。
悪魔や天使はわりと簡単に受け入れるくせに、人間ってのは『死』ってものをすごく恐れるから。
未だかつて、人間との恋愛がうまくいったというケースは聞かない。
俺だって思う。人間との恋なんて、うまくいくわけがないんだよ。
今の俺のように……。
「えー? うーん。よくわかんないけど、今は駄目でもいつか叶うかもしれないよ?」
そういって俺を見上げる美幸ちゃんに、じゃあ、永遠に俺のそばに居てって言ったら、一緒に居てくれるの? そう聞けたらどれだけ楽だろう。
あんたは考えたこともないかもしれないけど、俺はあんたを思ってるよ。
もしもあんたが俺の気持ちに応えてくれるなんて奇跡が起きたとしても、俺はあんたを連れてなんていけない。だって、俺と永遠にって、言葉通りの意味だから。
どう考えても無理でしょ? 分かってるから。永遠って、どれだけ長い時か分からないでしょ。
死を司るって死ねないってことなんだよ? 終わりがないってことなんだよ。
死神の思いを受け入れるって、人ではないモノになるってことなんだよ? つまり二度と生まれ変われないってことだから。
輪廻の輪から外れるって、どれだけ怖いことか知らないでしょ?
俺と離れれば、待ってるのは消滅だからね。
嫌いになったから別れるなんて、簡単にできない相手なんだよ俺って。
ほら、そんな奇跡が起きるはずがない。
「いいんだよ。叶わなくて……」
俺の望む永遠なんて、手に入らなくっていいんだよ。
「……あ、そう言えば、死神さんって名前あるの?」
まるで話題を逸らすように、美幸ちゃんはそんなことを聞いてきた。
俺に気でも使ってるつもり? 本当、あんたってかわいいね。
でもさ、その話題も微妙なんだよな。
「聞いても無駄だよ。どうせ忘れる」
「忘れないよ」
「絶対忘れる。だって生まれ変わるんだから」
「あ……そっか……」
そんな悲しそうな顔するなって、それが当たり前のことなんだから。
だから、忘れていいんだよ。俺のことなんて。
「生まれ変わったら、今よりマシな人生になるでしょ」
「うん」
俺のことなんてすっかり忘れて、幸せになればいいよ。
見守ってはあげるから。
あんたの名前は、俺が役目を終えて消え去るその時まで忘れないから。
永遠に――。
それからきっかり五日後、俺は彼女の魂を黄泉の世界へと運んだ。
俺のことも、辛い記憶も全部忘れて、次こそは幸多き人生を歩くといい。
俺はそれだけを願うから。
あんたが俺を忘れても、俺の姿が二度と見えなくても、俺は全然平気だから。
悲しくはないから。
悲恋と言うよりは、ただ彼女の幸せを願う一途なヒーローを書きたかったのです。