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中世のような童話風の世界観の話

完璧な偽装結婚とは

作者: 渕澤もふこ

【要注意】

これは「コメディ」です。

 ――仕事が終わらない。


 嫌になるくらいの書類の量に、私はため息を吐いた。

 机の上にあるのは数日間分の決済書類で、ほとんどが社交に関するものだった。

 屋敷の運営に関することは、妻と家令とに任せてあり自分は最終的な確認をするだけにしてある。

 そのため、普段はそれほど自分のすることはない。

 しかし、一週間前に家令が高熱を出したため、妻一人で仕事を処理することになって……結果、仕事が溜まってしまった。

 今日になってようやく家令が復帰したため、一気に自分のところへ書類がきてしまった。


 既に屋敷の者たちは皆、寝静まっていた。

 呼鈴を鳴らせば、夜勤の者や寝ずの番として働く者が部屋にやってくるはずだが、今の自分の部屋の周りは静かで、使用人の気配は感じられない。



「……この書類は、なんだ?」


 何枚か綴られて置かれてあった書類の一部が、どうやら抜けているようだ。急ぎのものではないが、できれば今日中に片付けてしまいたい。


「……まだ、あれは起きているか。見に行ってみるか」


 私は執務室を後にし、妻の部屋に向かった。静寂の中で、扉の閉まる音と自分の足音が私を追い掛けてくるように響いていた。


「そういえば、夜に部屋を訪れるのは初めてかもしれないな」


 薄暗い廊下を歩きながら、私はそう呟く。



 ――妻との結婚は、偽装結婚だった。

 上っ面だけの、役割だけを忠実にこなす人形のような妻を、私は選んだ。

 金で買った、没落貴族の娘。

 私が要求したのは、家柄と貴族社会において必要な社交性だけだった。

 嫁いできた妻は、自分にとって非常に都合の良い『人形』だった。


 周囲には、聡明で美しく素晴らしい妻だと認識されるほど、屋敷の女主人としては有能だった。

 この冷めた結婚生活に対して文句も言わずに、ただ与えられた役割をこなしていた。

 流行の襟刳りの開いた服よりも、落ち着いた襟の詰まったものを選んで着ていることに、満足していた。


 私には、妻を愛する気は一切無かった。

 私の愛する人は、ただ一人。

 身分も何もない、平民の幼なじみの少女だった。

 周囲に反対されて、私は家柄の良い妻を迎えることを要求された。

 そうすれば、恋人との仲は引き裂かないと言うから、しぶしぶ自分に都合の良い女を選んだ。

 本当はそのような扱いをすることは嫌で仕方がなかったが、私は恋人をめかけにして一緒にいることを選んだのだ。

 そのうち恋人に子どもが生まれたら、妻を離縁するつもりで初めから寝室は別にしていた。

 妻の部屋を訪れることはなかったし、今後も訪れるつもりはなかった。


「……なかったんだがなあ」


 妻の部屋に辿り着くと、控えめに扉を叩くが、返事はない。

 普段ならこの時間帯は恋人とともに過ごしているから、妻が何時まで起きているかを私は知らない。

 もう寝てしまっているのだろうか。


「おい、起きてるか?この書類なんだが」



 声をかけつつ扉を開けると、部屋の中は控えめながら明かりが付いており、奥に人の気配がした。


「お」

ばふんばふんばふんッ!


 声をかけようとした私の耳に、なにかを叩くような音か聞こえてくる。

 不審に思って恐る恐る部屋の奥を覗くと、妻が枕を殴り付けていた。


 あの大人しい妻が……一体どうしたんだろうか。

 自分の目が信じられなかった。いつも控えめに微笑んでいて、想定外のことが起きても決して声を荒げたりしない、必要最低限のことでしか私と関わらない妻。

 その想像もしていなかった姿に、とっさに言葉が出てこない。

 もしかして、体調でも悪いのだろうか。

 そっと妻の様子をうかがう。妻はすでに寝る準備をしていたのか、ガウン姿でベッドの上に寝そべりながら本を片手になにか呟いている。勉強でもしているのだろうか。

 サイドボードにはワインの瓶と軽食の皿があり、どうやら寝酒を楽しんでいたようだ。


「やっべー、この話マジ格好良い!!」


 ――幻聴だろうか。

 妻の声が、若干低く……下品だった。


「キャプテンジャック最高だ!!あー、やっぱ男ならでっかいことしたいよな」


 うんうんと頷きながら、妻らしき人物はワインに口を付ける。

 どうやらベッドに寝そべりながら、最近巷で人気の児童文学を読んでいるらしい。


「いいなあ、俺もムチムチボインなハーレムでウハウハしてえなぁ」


 下品であることこの上ない台詞が、おそらく妻であろう人物の口から飛び出てきた。……幻聴だと思いたい。


「うぉ、やっべぇ……この展開どうなるんだよ!!って、あぁっ!!やべっ零したッ」


 行儀悪く、寝そべったまま飲んでいたせいでガウンを汚してしまったらしい。


「白でよかったー、このガウン高いからなー。まあ、本に掛かんなかったのは不幸中の幸いだな」


 安堵の滲む声と衣擦れの音がした。

 ガウンを脱ぎ捨てて全裸になった妻は、そのまま部屋の端にあるクローゼットへと歩いてくる。



 ――まずい。

 クローゼットと自分のいる場所はそんなに離れていないため、見つかってしまうかもしれない。

 私は息を殺して、物陰に隠れた。


「あー、眠……あいつは今頃嫁とイチャイチャしてんだろーな。こっちは一週間休まず仕事してたのに、臨時手当てなんてねーし。守銭奴旦那野郎め、ハゲちまえ……」


 ぶつぶつと呪いのような恨み言を呟く顔は、近くで見ればやはり妻そのものだった。

 ――ただ、その身体は成人女性にしてはいささか丸みが足らず、あるべきはずのものが無く、無いはずのものが存在していた。


 今見たものが信じられず、私は自分の口を押さえた。押さえていないと、叫びだしてしまいそうだった。




 ――妻は、女ではなかった。





 私は妻に見つからないよう部屋の外に出ると、恋人のいる離れに向かう。

 この事実を公表したら、愛する彼女を妻の座に据えられるのではないか。


 良い考えかと思ったが、いまいち決め手に欠ける。


 ……いや、むしろ妻と離婚しても、新しい妻を貰えと言われるだけな気がする。


 色々考えた結果、私はひとつの結論に辿り着いた。



『見なかったことにしよう』と。




 現時点で、妻以上に都合の良い『妻』を得られる可能性は低い。むしろ、新しい妻を迎えたら、その女は私に愛を求め、恋人の存在を脅かすかもしれない。

 それならば、『現状維持』をしていた方が私にとっては都合が良い。


「――私は、何も見ていない……」


 誰もいない廊下に、響く足音とともに、私の言葉は闇の中に消えていった。



 妻との結婚は、偽装結婚だった。

 上っ面だけの、役割だけを忠実にこなす人形のような妻を、私は選んだ。

 金で買った没落貴族の娘で、求めたのは家柄と貴族社会において必要な社交性だけ。

 妻の役割は、自分にとって非常に都合の良い『人形』でしかない。



 今までも私には、妻を愛する気は一切無かった。


 そして、これからも妻に対して愛を与える可能性は無く、妻から愛を求められる可能性も低そうな現状に気付き


「これこそ、完璧な『偽装結婚』だな」


 ――私は、満足した。


夫婦生活のない偽装結婚なら、『女』である必要は無いかなって……。

よくあるテンプレ展開に一石を投じてみた話。

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