A DAY OFF
「事故だったんだ。殺すつもりじゃなかった」
私のボスは肩をすくめてそう言った。その顔にはまったく遺憾の表情は浮かんでいなかった。
私は溜め息をついた。
「地下鉄のホームで、逃げる相手を背後から撃ったんですって?」
「銃を持った相手を取り逃がすわけにいかないだろう。ぼくが撃って、やつが倒れたところへ、ちょうど清掃ロボットが通りかかってやつの体は高く撥ね上げられた。そしてセイフティフェンスを越えて線路へ落ち、地下鉄に轢かれたというわけさ」
「……事故ですね、たしかに。だけど結果は同じことですよ」
クテシフォン市警本部ビル七十七階。広い窓から夕陽の差し込む署長室。
今日、私は非番なのだ。家にいても仕方ないので、たまった業務を少しだけでも片づけておこうと思って署に顔を出した。少しだけのつもりが、気づけば夕方になっていた。こうして娯楽も刺激もロマンスもなく過ぎていく自分の日常に嫌気がさし、帰ろうと席を立ちかけた時、仕事が降りかかってきたのだ。非番のはずのボスが、地下鉄ホームで連邦C級手配の犯罪者リュック・ルブランを惨殺したらしいので、その事後処理をするという仕事だ。
私は署長秘書という職についてもう二十年近くになる。このアンドレア・カイトウ署長は私の五人目のボスにあたる。
弱冠十七歳の上司であるという事実は、慣れてしまえば大した問題ではない……銀河連邦加盟国のほとんどでは官職の年齢制限が撤廃されているので、『早期成熟者』と呼ばれる多くの天才児が未成年で要職に就き始めている。カイトウ署長も十二歳で連邦中央大学法学部を首席で卒業した天才だ。仕事ぶりにも文句のつけどころがない。若さゆえの体力や持久力は中高年の管理職にはない利点である。
問題なのは……。
「あなたが非番の日に殺した犯人はこれで二十三人目です。尋常な数字ではありませんよ? まるで犯罪者やトラブルを探して歩いてるみたいですね」
「ぼくだって好きでやってるわけじゃない。トラブルの方が勝手に向こうからやって来るんだ」
「そもそも非番の日に銃を持ち歩いているのが問題だと思いますけど」
「これは私物だ。正規の銃器携帯使用許可もとってある。ぼくみたいな立場の人間が丸腰で出歩くなんて、自殺も同然じゃないか?」
そんなことはありません、と私はきっぱり答えた。今まで仕えてきた歴代の警察署長で、非番の日に犯罪者を撃って歩くような人はひとりもいなかった。銃さえうまく扱えない人もいたほどだ。
私は連邦中央捜査局宛てでリュック・ルブランの死亡報告書と必要書類を作成した。次の定期連絡船で《中央》へ送られるはずだ。
デスクトップの電源を落とし、机の上を片づけようとして、ふとボスと視線が合った。
「今日は非番なのに朝から出勤か。相変わらず仕事熱心だな」
「だれです、その上に、さらに余分な仕事を増やしたのは?」
「夕食でも一緒にどうだい……と言ったら公務員服務規律コードに引っかかるかな。上役が異性の部下に対して不当に交際を要求することは禁止されている」
私は少し驚いてボスを見上げた。
「問題ないと思いますけど。私はあなたの母親といっても通る年齢ですよ」
「つまりOKということだな?」
ボスはにっこり笑った。
私は、ロボット猫が待つだけの暗い自分のマンションのことを思った。帰ってひとりわびしく夕食をとるぐらいなら、見ばえのいい若い男の子と街へ繰り出す方がいい。たとえ相手が上司でも……それもトラブルを招き寄せることにかけては天下一品の上司であっても、だ。
「なにも私みたいな年寄りを誘わなくても。ほかにいないんですか、休みの日にでかける相手?」
わたしは苦労してしかつめらしい表情を保ちながら言った。ボスは天使のような顔でにっこりした。
「いないわけじゃないが……今回の刑法典改正について、きみの意見が聞きたいんだ、ミズ・グレイスバーグ」
この人のことを本当に理解しているのは私だけ……なんてことを考え始めたら危険信号だ。上司との恋愛にはまり込む、泥沼一歩手前というところだ。
かつてマーク・ブラウニー署長の下で働いている頃、私はその一線を越えかけたことがある。彼は私が秘書として仕えた初めての上司。そしてほのかな恋愛感情を抱いた初めての相手だ。
「モーリーン。この書類を庶務課へ回しておいてくれないか」
マークに名前を呼ばれただけで体が震えた。マークが私の気持ちを知っていたかどうかは判らない。彼には妻があった。しかし妻は本当のマークのことをまったく理解していないと私は勝手に信じ込んでいた。ずいぶん昔の話だ。
今のボスに関しては、まったくそんな気遣いはない。ボスの行動や思考は私には理解不能だ。たぶんほかの多くの人にとってもそうだろう。
単なる鑑賞用としてなら抜群だ。ボスほどきれいな男の子を私は見たことがない。署内の女たちが騒ぐのも判る。毎日いやというほど顔をつき合せているはずなのに、時折こうやって、深い森のように謎めいた瞳でじっとみつめられると、この私でさえ少々落ち着かない気分になるほどだ。
「私の車で行きましょう。ちょっと待っていてください」
ボスを玄関前に残して、私は建物の裏にある署員用駐車場へ向かう。愛車に乗り込もうとしたとき、どこかでレイガンの発射音が響いたような気がした。
ビルの正面玄関へ車を回すと、あたりはすでに大騒動になっていた。いったいどこから湧いて出たのか不思議に思えるほどの大勢の人だかりができている。玄関警備の警官たちが野次馬を押しとどめようと奮闘しているところだった。
何事もなかったような顔でボスが私の車に歩み寄ってきた。
「なにかあったんですか」
車を発進させながら私は尋ねた。
「《蝶》のレイヴンという脱獄囚だ。ぼくに逮捕されたのを根に持ってお礼参りに来たらしい。発砲してきたから、撃ち返した。……大丈夫だ、今回は殺してないよ。すぐに病院に運べば助かるだろう。警備課が後始末を引き受けてくれるというので、任せてきた」
「……またやったんですか。今度はお礼参りに来た脱獄囚。あなたの非番の日っていつもこういう具合なんですか?」
「だから銃の携帯が必要なんだよ。ぼくは敵が多いんだ」
「そういう生き方、改めた方がいいと思いますけど……」
私はハイウェイに車を乗せて東区へ向かった。それぐらいのことでは、もう驚かない。警察に長年いれば様々なことに出くわすし、このボスの下で働くようになってから、さらにもっと様々なことに出くわしてきたからだ。
地下特別拘置場で、拘留されていた重犯罪の容疑者たちが警官の銃を奪って暴動を起こしたとき、ボスはひとりで地下へ降りて行って五分で二十人を倒してきた。
終戦記念ビルで開かれた全国警察長官会議を巨大犯罪組織『セメスト』の連中が襲ってきたとき、ボスは小型手榴弾を投げつけて敵をほぼ皆殺しにした。
自称テロリストたちが宙港に停泊中の客船を乗っ取ったとき、ボスは客船の出港を阻止するためCDS使用を要請し、船のコンピュータのみならず宙港のメインコンピュータを破壊し、宙港をその後何週間にもわたって閉鎖に追い込み、全市に前例のない大混乱を引き起こした……。
「『ヴィヴァーチェ』に行かないか」
人ひとり撃ってきたばかりとは思えないほど涼しげな笑顔で、小首をかしげてボスは言った。
『ヴィヴァーチェ』については雑誌の紹介記事を読んだことがある。東区でも比較的上品な界隈にある、シックで前衛的な店だとのことだ。女性に注目されているが、女性がひとりで行くような店ではない。ようするにカップル向けということらしい。
そんなロマンティックな店は私には縁がないと思い込んでいた。興味を持ってもみじめになるだけだと思い、意識の表層から無理にもみ消してきていた。私は今年三十九歳になるオールド・ミスだ。この年になっても恋愛経験は皆無に等しい。署内では‘鉄の処女’と陰口を叩かれている、そんな女だ。
だから今夜、『ヴィヴァーチェ』と凝ったデザインのプレートが光る重い扉を押し開けたとき、私は柄にもなくとても浮き立った気分だった。
控えめな間接照明で彩られた、非常に上品な内装だ。私は店内を見回した。客はみな趣味の良いお洒落をきめた美男美女のカップルばかりだった。しかしうちのボスほどいい男はだれもいなかった。
私たち、一体どんな風に見えるんだろう。
母親と息子ってところよね。どう考えても。
私たちは席に着くことさえできなかった。スマートな制服姿のボーイが私たちをテーブルへ案内しているとき、突然ショットガンの激しい銃声が轟いたからだ。
強盗だった。あきらかに。三人組で、顔には覆面、手にはショットガンと戦利品を入れるための大きな袋を携えている。
「騒ぐな! じたばたしやがると撃つぞ!!」
悲鳴をあげ、パニックを起こしかけた客たちは強盗の一喝で静まり返った。
男のひとりが銃口を振って、店内の客たちを調理場に近い一角に集める。一方でほかの男が店の支配人らしき紳士に、売上金を出すよう要求している。
ロマンティックなひとときになるはずが、一転して緊迫の場面に変わってしまった。ようするに私には浮いた雰囲気は縁がないということなのだろう。
私は溜め息をついた。
「……レストラン強盗なんて珍しいな」
かたわらの私にだけ聞こえるような囁き声でボスが言った。
「『新貴族』の集まる店、なんて派手な広告を打ちすぎたもので、悪党に目をつけられたんですよ、きっと。自業自得だわ」
私は囁き返した。
「店を批判するのは筋違いじゃないか?」
「あーあ。あなたと一緒に外出したらロクな目に遭わないことぐらい、判っていてもよさそうなものだったのに。黙っていても犯罪者のほうから寄ってくるんですもんね、署長には?」
「ぼくまで批判するのか? 今日のきみは非論理的だぞ、ミズ・グレイスバーグ」
「なにを喋ってるんだ、そこの連中! 黙れ! 静かにしねぇとぶっ殺す!!」
ショットガンを構えながら歩み寄ってきた強盗が、怒声を発した。銃口を突きつけられて私たちは口をつぐんだ。
「金目のものをここに入れろ。全部だ」
私たちのそばに来た強盗はそう叫んで、袋の口を示した。客たちはしぶしぶ分厚い財布や時計、高価そうなアクセサリーなどを袋に入れた。女の悲鳴があがった。強盗が、彼女が外し忘れていた宝石のピアスに目をとめ、無理やり耳から引きちぎったのだ。彼女は苦痛と恐怖で泣き声をあげながら、耳を押さえて床に座りこんだ。
ボスが袋に何を入れたのかは知らない。私には供出すべき貴重品など、ほとんどなかった。アクセサリーは身につけない主義だ。初任給で買った記念の時計だけが唯一金目のものと言えたので、それを袋に投げ入れた。
ずっしりと重くなった袋を引きずるようにして、強盗は私たちから離れて行った。
支配人から売上金を巻き上げた男も、大きな袋を引きずって合流した。
そして三人の強盗は、店のドアの前に立って、用心深く銃を構えたままで私たちを見回した。取る物は取ったのであとは逃げるだけ、という態勢だ。
「伏せろ!!」
鞭のように鋭いボスの声が響いた。私の反応がいちばん早かったと思う……こういう場面でのボスの所業についてはいろいろ噂を聞いているからだ。
次の瞬間、爆発音が店内を揺るがした。
肉片やら金属片やら、その他わけの判らない物の破片がばらばらっと降り落ちてきた。キナ臭い火薬のにおいが空気を満たした。私はおそるおそる頭を上げてみた。
強盗のうち二人は即死のようだった。至近距離で起きた爆発によって体を引き裂かれ、見るに耐えない肉塊となって床に転がっている。運よく生き残った男は、左半身を血に染め、なにが起こったのか判らないという驚愕の表情で立ちすくんでいた。
男の額に突然ぱっと血の花が開いた。
ボスがレイガンで男の眉間を撃ち抜いたのだ。
「う~っ。刺激が強すぎるわ。非番の日だっていうのに」
私は立ち上がり、頭を振ってひとりごとを言った。だれかが天井のLEのスイッチを入れたため、店内は急にまばゆく明るくなった。間接照明のもたらす幻想的な効果は消え、眼前に展開するのはまぎれもない現実だった。血まみれになって床に転がる強盗犯人。飛び散る肉片。壁にほとばしった血痕。あちらでもこちらでも、犯人の死体を見た客たちの嘔吐の声があがり始めていた。ひどい有様だ。おしゃれな高級店もこうなっては形無しである。
ボスは‘平然’を絵に描いたような顔で私を見ると、
「そんな目をするなよ、ミズ・グレイスバーグ」
となだめる口調で言った。
「認めるよ、今のは事故じゃない。初めから殺すつもりだった」
「あの袋の中に……爆弾を入れたんですか」
「ああ。念のために言っておくが、爆弾も私物だ。前に科研のニコライ博士がプレゼントだといって寄越したものだ。思ったより破壊力があったな」
普通なら、爆弾を持ち歩いているこの人の非常識ぶり、いきなり店内でそんな物を爆発させる非道ぶりについて批判すべきなのだろう。しかしそういった人格的欠陥は批判されたからといって改まるものでもない。私はより明確な問題点を指摘するにとどめることにした。
「もっとほかにやり方があったんじゃありませんか? あの袋の中には被害者の財布や貴金属が山ほど入っていたんですよ。それが全部こっぱ微塵ですからね。被害者への損害補償は大変な額になりますよ。そうでなくても国家補償基金の赤字はあなたのおかげで膨大なものになってるというのに……」
「犯人を倒すのが最優先だと判断したんだ。もし連中がここの客を殺したら、もっと多額の犯罪被害者補償が必要になるところだったんだぞ。貴金属ぐらい、安いもんだろう」
ボスは店の電話で署に連絡を入れた。私は、支配人が私たちを人でなしでも見るような視線で凝視しているのに気づいた。私たちふたりを。
生々しい惨状を眼前にしながらのんきに金の話ばかりしていたせいだろうが……ボスはともかく、私まで人でなしの範疇に入れられるのは心外だった。私はまともな人間なのだ。
まもなく署員と救急隊員が到着した。
事後処理を終えて私たちが戸外へ踏み出したときには、すでに夜も更けていた。
今日だけでボスは四人殺したことになる。ほかにニュースがなければ明日の新聞にまた大々的に取り上げられるだろう。『パールシー・タイムズ』紙あたりが大騒ぎしそうだ。
「けっきょく夕飯を食べそびれたな」
反省や改悛の色などまるでなく、ボスがのんびりとつぶやいた。
私は足を止めて彼を睨み据えた。
「上司の健康管理は私の業務ではありませんが……最近のあなたの生活ぶりは目に余ると思います。このごろ、まともな食事を全然とってないでしょう? 忙しいからって基本栄養食ぐらいで済ませてるんじゃありませんか。生活リズムも不規則きわまりないし、そんなんじゃ体を壊しますよ」
私は手を伸ばし、ちょっと乱れているボスの前髪を直してやった。
「私の知っている店へ行きましょう。ちゃんとした、家庭的な料理を出す店があるんです。そこなら強盗に襲われる心配もありませんわ。たまにはまともな物を食べなきゃだめです。若いからって自分の体力を過信しちゃいけませんよ。あなたは責任ある立場なんですから、健康管理だって仕事のうちです」
「わかったよ、ミズ・グレイスバーグ」
ボスは神妙な顔で答えた。
仕事にかけては最強無敵に近いボスだが、母親めいた叱責にはなぜか非常に弱い、というのが私が最近発見した事実だった。普段の残虐非道ぶりとの落差が大きい分、その素直さがおかしかった。
ボスのそんな一面を知っているのは私だけだろうと思うと、少し気分が良かった。【完】