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都会の風景

作者: 藤原 祐一

 学校から家までの帰り道を歩いていた。昨晩夜更かしをしたせいで頭がぼうっとしていたせいかもしれない。今日の数学の授業で抜き打ちの小テストに全く手も足も出なくてショックだったことを引きずっていたせいかもしれない。肩に抱えている体操着の袋のひもが、少しほつれていて気が散っていたせいかもしれない。もしかしたら、今後起きることをなんとなく予期していて、それでも避けられなかったのかもしれない。

 普段なら気をつけているはずの段差につまづいて転んでしまった。

 咄嗟に前に手をつこうとするが、手が開ききる前にアスファルトの地面に打ち付けてしまう。指先が切れる痛みと指が捻じ曲げられる感覚。顔だけはぶつけずにすんだ。

 起き上がってついた左手を見てみる。痛みで麻痺していてあまり動かしたくなかった。全体的にすれて血が出ている箇所があるのと、強く打ち付けてしまった薬指の関節がズキズキと痛んだ。

 家に帰ってから、水で洗って血の出ていたところにはばんそうこうを貼っておいた。一番痛む薬指が見た目がいたって普通なのが不思議だった。変な方向に曲がってるでも腫れ上がっているわけでもない。しかし動かしたり触ったりするととても痛むのだ。ただの突き指だと思うけれどとにかく痛かった。 


 どうしても不安になった僕は、パートから戻ってきたお母さんに「転んで突き指したところがすごく痛い」ときいてみた。

「突き指でしょ。放っておけば治るわよ」

 部屋着に着替えながら面倒くさそうに言う。

「でも、すっごい痛いんだ。もしかしたら、骨折してるかも……」

 それを聞いたお母さんはあはは、と笑うと、

「折れてたらちょっと痛いどころじゃ済まないって」

「だって、すごい痛いんだって。動かせないんだよ!?」

「はいはい、そんだけ騒げるなら大丈夫。それに左手でしょ?」

 相手にされないのが腹が立った。けれど断続的に響く指の痛みで言い返す気力が出ない。本当に骨折しているかもしれない。真っ直ぐになっているだけで中では折れているのかも……。病院に行こうか? でも近くの病院の位置も知らないし、一人じゃ行けないと思う。

 結局その日はあまり寝付けなく、指が痛むたびに起き上がって電気をつけて指がずれていないか変な方向に曲がっていないかを確認した。何度も繰り返しているうちにいつの間にか朝になっていた。「あんた、寝てないの?」とお母さんは言ってきたが、心配している素振りが見えなくて苛立った。昔はちょっとすりむいただけでも飛んでやってきて救急箱まで持ち出してきたくせに。


 学校の授業は普通に受けられた。右利きだから鉛筆も持てる。しかし時折左手に物が当たるときに走る痛みが気になって仕方ない。授業中でも休み時間でも、ふとしたら左手が気になってしまう。右手で少し触れてみただけで痛い。本当にどうなってしまったんだろう? 早く治したい。そうだ、保健室に行けば先生が見てくれるはずだ。

 思い立って教室を出ようとすると、その前に邪魔をするように人影が立ち塞がった。

「やぁ、ソラ。ずっと指なんて見て、指輪でもはめるんですか?」

 男友達の陸村が僕を見下ろして笑った。こっちはそれどころじゃないのに!

「骨が折れてるかもしれないんだ」

 冷静にそう言って、薬指を見せる。

「? なんともなさそうですが……?」

「とにかく、すっごく痛い」

「いやいや、嘘でしょう。それに骨折しているなら病院とかに行ったほうがいいんじゃないですか?」

 僕の前から動こうとしない。なんだこいつ、邪魔する気なのか?

「だからどけって言ってんだろ!」

 陸村はびくりとして脇にどいた。小声で「ごめん」と言っている。少しスッとした。最近大声を出していなかったような気がする。


 昼休みをつぶしてまで行った保健室の先生にはお母さんと同じような対応をされた。事情を聞かれたりはしたが。痛がっているのに無理やり触ってきたのに、「ただの突き指ね」と言ってきた。そんなわけないのに。突き指がこんなに痛いわけがない。必死に説明しても聞いてくれなかった。あげく「なら包帯を巻きましょう」と言われてまた触れようとしてきたので部屋を飛び出してきてしまった。病院に連れて行ってほしいと言えば良かったことに気がついたのはその後だった。

 その後、何日経っても痛みは引かなかった。起きている間、暇さえあれば薬指のことを考えている。毎晩、動かない薬指が腐っていく夢を見る。


 ある日の放課後、僕は教室でぼうっとしていた。

 朝、器用に茶碗を支えて朝食を食べる僕を見て、お母さんが「そういえばもう治ったの?」と声をかけてきた。「治っているわけがないだろ!」咄嗟に怒鳴ってしまった。何にもしてくれなかったくせに、と思った。そのまま家を飛び出して学校まで来た。帰るに帰れなくなってしまっていたのだった。

 左手を開いて窓から差し込む夕日に照らしてみた。一見、どこもおかしくない。けれど薬指はおかしい。いっそ指を完全に折ってしまえばいい、なんて考えてしまう。そうすればちゃんとみてもらえる。どうせ痛いのは変わらないし。

 教室に誰かが入ってくる気配がした。振り向くと宮中さんがいた。

「ソラくん」

 僕を心配そうな目で見やりながら近づいてくる。

「どうしたの」

「それはこっちのセリフよ。最近どうしちゃったのよ」

 宮中さんは僕の女友達だった。僕と陸村くんと宮中さんでよく三人で出かけたりしていた。最近はしていないけど。

「指がさ」

 ちらっと見せる。見てもわからないだろうし一瞬だけだ。

「すっごい痛いんだ」

「それ、陸村くんから聞いた。折れてるんだって? なに、怪我したの」

「そう、帰り道で転んじゃったんだ」

「いつ」

「えーと、一週間くらい前かな」

 日付を確認する。まだ一週間前なのか。一日一日が長く感じていたことに驚く。

「一週間ねぇ。あのね、ソラくん。多分骨折して一週間も放っておいたらそんなにしてられないよ」

 なんだ。また僕のことを信じてくれないのか。そう思うとふつふつと怒りが湧いてきた。

「普通、骨折したらすぐ腫れ上がるのよ。その指、なんともなさそうじゃない」

 この指の痛み僕にしかわからない。でも痛いものは痛いんだ。わざわざやってきてこんなことを言いにきたのか!

「とにかく、あんまりいらいらして当り散らさないで。そうしないとみんな……」

「うるせえ!」

 宮中さんを突き飛ばした。宮中さんは机に向かってよろめいて、そのまま机ごと倒れた。しまった、と思いながらも、後の祭りだ、先に挑発してきたのは向こうだ、とも思った。鞄を肩に引っ掛けて逃げるように教室を飛び出した。


 家への帰り道を歩いていた。もう学校にも戻るわけには行かない。お母さんに会っても、別に僕は悪くないし何かあったら言い返せばいい。そういえば最近大声を出すことが多い気がするな……。

歩きながらも続く左手の薬指の痛みに、しかし今はこの痛みだけが僕の仲間のような気がした。

 そんなことを思いふけって頭がぼうっとしていたせいかもしれない。興奮していたとは言え、友達に手を出してしまったことを引きずっていたせいかもしれない。朝家を飛び出したせいでお弁当がなくてお腹が空いていて、気が散っていたせいかもしれない。もしかしたら、今後も続くことをなんとなく予期していて、それでも避けられなかったのかもしれない。

 普段なら気をつけているはずのあの段差にまたつまづいて転んでしまった。

咄嗟に前に手をつこうとするが、左手は使えない。右手を前に出す。そして、手が開ききる前にアスファルトの地面に打ち付けてしまう。指先が切れる痛みと指が捻じ曲げられる感覚。僕は目の前が真っ暗になった。



※※※※※※


 今日はなんとなくソラの様子がおかしい。

 ソラは親友だ。よく一緒につるんでいる。いつも大人しいやつで、授業は真面目に聞く奴だ。それが、今日は始終落ち着かないでそわそわしている。よく見てみると左手をしきりに気にしているようだ。

昼休み、ソラに会おうと席に向かったら、ソラの方から来てくれた。なんだ、悩みでもあるなら聞いてやろう、と少し気分がよくなった。

「やぁ、ソラ。ずっと指なんて見て、指輪でもはめるんですか?」

 小柄な体を見下ろしながら、いつものようにちょっとからかう。悩みがあるなら少し無神経かな、と思ったが一度言ってしまったら戻せない。

「骨が折れてるかもしれないんだ」

 骨折? かざしてきた手を見ても何もない。ソラはえらく深刻そうに眉根を寄せいていた。ははぁ、演技か。なるほど、こっちのからかいにノってきてくれたらしい。

「? なんともなさそうですが……?」

 できるだけ真に受けたような声を出す。

「とにかく、すっごく痛い」

「いやいや、嘘でしょう。それに骨折しているなら病院とかに行ったほうがいいんじゃないですか?」

 言いながら、我ながらちょっと捻りがないように思った。骨折、骨折ねぇ……と、考えていたそのとき、

「だからどけって言ってんだろ!」

 突然怒鳴られて心臓が飛び上がった。反射的に「ごめん」と言って横にどいた。ソラはそのまま肩を怒らせながら教室を出て行った。

 ソラが怒鳴るのは初めて見た。怒らせてしまったのだろうか。ソラはふざけていたわけではない? でも手はいつものソラの綺麗な手だったはずだ。

 教室から出たかっただけなのか。別に俺に話しかけに来たわけじゃなかったんだな。それにしても「だから」と言っていたけれど、その前に「どいてくれ」なんて言われていない気がするぞ。

やはり、どうにもソラの様子がおかしい。ただ、怒られた手前近づきづらい気持ちでもあった。


※※※※※※


 陸村くんから「ソラの様子がおかしい」と聞いた。そんなこと言われなくても気づいていたけど。というか同じ教室にいたら否応なく、といったところだ。

 最近のソラくんはずっと不機嫌で、しかも心配になって話しかけてきた子に大声で当り散らしていた。当の本人は指が痛いらしいが、その割に手当てをした様子もないし、そもそも人が変わるほどのことじゃないだろう。

 一対一で話したかったのでチャンスを伺っていたらようやくその機会がきた。放課後、一人でぼんやりと教室にいるソラくんを見つけた。また、指左手を見ている。

「ソラくん」

 できるだけ刺激しないように声をかけながら近づいていく。

「どうしたの」

 声色はいつものソラくんだった。どうやら不機嫌というわけではないようだ。少し安心した。

「それはこっちのセリフよ。最近どうしちゃったのよ」

 「指がさ」

 一瞬だけ見せてきた。女の私がうらやましく感じる、いつもの綺麗な手だった。

「すっごい痛いんだ」

「それ、陸村くんから聞いた。折れてるんだって? なに、怪我したの」

「そう、帰り道で転んじゃったんだ」

「いつ」

「えーと、一週間くらい前かな」

 なんだ、普通に受け答えできるじゃん。みんなソラくんが大人しいからって調子にのって話しかけていただけなんじゃないのかしら。

「一週間ねぇ。あのね、ソラくん。多分骨折して一週間も放っておいたらそんなにしてられないよ」

「普通、骨折したらすぐ腫れ上がるのよ。その指、なんともなさそうじゃない」

とりあえず、思ったことを指摘してあげる。若干の呆れもあった。

「とにかく、あんまりいらいらして当り散らさないで。そうしないとみんな……」

 怖がって離れて行っちゃうよ、と言いたかった。

「うるせえ!」

 いきなり突き飛ばされた。後ろによろめいてイスに足を引っ掛けて机ごと倒れこんでしまう。脇腹を机の角にぶつけて息ができなくなる。視界の隅に走り去っていくソラくんが見えた。

 あぁ、私もみんなみたいに怒らせちゃったんだ。そう思ったときに遅かった。


※※※※※※



中間試験の勉強するの忘れたの今気づいた

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