ゴースト・9
手狭な資料室の中、机の上には山となった紙束が幾つも立っている。
「……いまどき紙資料とはねぇ」
それを見たワイズマンは、資料室に足を踏み入れながら苦笑いを浮かべた。ペーパーレスなどという言葉が生み出されたのは、一体何時の時代の話だったか。
「セキュリティの事を考えると、完全な電子データ化よりも、余程安全なんですよ。大した情報でもないのに、流出したら世間がグズグズとやかましいですし」
「まぁ、一理ある」
隣に立つ渋面を浮かべた公安の青年に、ワイズマンはそう言う。
ハッキングなどのソフト面でのセキュリティを高めるよりも、紙に印刷して部屋に鍵を掛けるなどのハード面でのセキュリティを高めるほうが、簡単であり、安価で、効果もある。便利すぎるものは不便なのだ。
「で、この中から探すんですか?」
「そういう事になるな」
組織を洗い出す上で重要なのは、流れを探ることだ。
ある程度の実行力ある組織を作るには、何処かから人、物、金を入れなくてはならない。真っ当な方法でそれをするのが難しいならば、偽装の後が見つかるはずである。枝や葉から幹へと辿って行き、根へと辿り着く。そういう手法だ。
「にしても、ちょっと多すぎないか? この量は?」
「まぁ、うちのコロニーは特殊ですから。独立の時もごたごたがあって、その後もなんだかんだで政情が不穏なままというか」
不安は具体的な形を持たぬからこそ、駆逐するのが難しい。ぼんやりとしていて、実体がないからこそ、実害もないが取り払うことも出来ない。
ワイズマン達はそんな事を言いながら、紙束に向かっていく。紙束は、ここ数年ジムリアー連邦の公安が関係した事件及び、逮捕/注意対象とした人物のリストである。
「それで、なんで他は他人に任せて、人間の流れを追おうとしてるんです?」
「そりゃ、もちろんジムリアーをロシアに返す、っていうあの声明さ」
言いながら、ワイズマンは椅子に座って名簿や事件の概要をチェックしていく。違和感、引っかかったことは電脳の一部に記録。
「と、言うと」
「返す、ということとは返却先があるってことな訳だが、現状だとどっちのロシアに返すのかって問題があるからな」
ロシアに返すということは、独立しているジムリアー連邦を、ロシアの所有物に戻すということであろう。ワイズマンはそう推測する。コロニーというのはその程度の価値はある。
しかし現在、地球上には二つのロシアが存在する。かつての国土のうち、欧州側の半分からなる東欧ロシアと中国側の半分からなる人民連邦の二つだ。
「東欧ロシアと、人民連邦ですか」
「そのどちらかに返却させたいのであれば、まぁグラビーチェリにもそのどちらかの糸が付いてるだろうしな」
エーテルギアを運用している以上、裏に何処かからの資金提供があるのはほぼ間違いがないとワイズマンは推測する。エーテルギアの運用費は、一回のテロリストにどうこう出来るものではない。
資料を漁る。そこから出てくる人員も組織も、東欧ロシアと人民連邦の工作員に関するものが多い。コロニーを持つというのは、大きな国益に繋がる以上、それも当然だ。どちらも、喉から手が出るほどコロニーを欲しがっている。
「想定されるグラビーチェリの構成メンバーは、エーテルギアの扱いはともかく、この手の偽装工作には疎いはず。あっさりと糸が見つけられそうなものなんだが」
「それもそうですね……しかし、これが東欧と人民連邦のどちらかによる仕掛けだとするなら、どっちの手によるものだと思います?」
「さて……」
ワイズマンは思案する。
強引な手並みは、どちらかと言えば人民連邦のそれに近いように見える。人民連邦はロシアの再統一を考えているものの、それに対して国内の経済事情は良くない。中国の支援によって成った国ではあるが、中国の支援が不十分である所為だ。一発逆転を狙うのなら、コロニーの支配権を欲して当然だ。
東欧ロシアの方は、一国としての安定を優先している様子がある。EUにも加盟しており、経済的にも安定しつつある。とは言え、コロニーがもたらす国益の大きさを考えたら、こちらがということもあり得ないわけではない。
「どちらだとしても、それならそれでどちらに返すつもりか、が声明に出されていないのは気になるところか」
「確かに、どちらの国も正統にジムリアーの独立に異を唱える権利は無いですね」
「なら、どっちに返したいのか、について言及はあって当然だと思うんだがな」
ワイズマンは無数の資料に目を通しながら呟く。
膨大な資料、膨大な工作員の顔と名前。これら全てが、ジムリアー連邦の存在を脅かしているのだ。
――最初の襲撃はエーテルギアだったわけだが……さて、次はどのようにして攻めて来るつもりなのやら。
コロニーの物理的破壊が目的で無いのなら、グラビーチェリはエーテルギアによる攻撃以外の行動も起こしてくるはずだ。その場合、工作員による活動は重要になってくる。
資料の分量を見る。多くの工作員を補足してはいるが、ジムリアー連邦公安の仕事は完全ではないだろう。
カウンターテロの能力に関して、ライブラが現在ジムリアーに派遣している人員は高い能力を持つとは言えない。公安の能力に頼り切ることは不可能だ。
となれば、グラビーチェリがコロニー内で何らかの活動を起こす前に、人員を確保して止めるほかないだろう。
――やるしか無いわけだ。
さて、何か引っかかるだろうか。