ゴースト・4
肉眼では把握しきれないほどの遠方を飛ぶ、赤いエーテルギアをウェアウルフは追う。
速度域はほぼ同等、正確にはウェアウルフの方がやや早い。ただしそれは、ウェアウルフが機体制動用のエーテル機動も加速に用いているからに他ならない。
赤いエーテルギアは、先の打撃から察するにドライバーの技術で速度を維持したままの軌道変更や、戦闘すら可能であろう。しかし、ウェアウルフにはそれは不可能だ。機体のスラスター分布がそのようなことをするようには出来ていないし、ラティファにアソコまでの機体コントロール技術もない。
しかし、そこに問題はない。
現在の宙域に障害物はなく、複雑な制動を要求されるわけではない。そして何よりも、これはレースではなく戦闘行為なのだ。巴戦とはとどのつまりが背後の取り合いである。そうであるならば、追われる側よりも、追う側が圧倒的に有利だ。
左脚部から、機関砲を取って左手で持つ。
砲弾の速度はエーテルギアの戦闘速度に比べれば止まっているようなものだが、こうやって追撃している場合にはエーテルギア自体の速度が加算されるため、十分に使い物になる。
連射。砲口から火花が散り、砲弾が吐き出される。
狙うは赤いエーテルギア、三つのスラスターによってYの字を作り出している背中。ただし、集弾はしない。むしろ着弾地点は大きくばらけさせる。こうすることによって、敵機は大きく回避運動を取らなくてはいけなくなる。その間に、距離を詰める。
時間は有限であり、距離も有限である。
――早く、追いつかなくては。
ウェアウルフのコクピット内で、ラティファの額を汗が伝う。
ウェアウルフと赤いエーテルギアの軌道上には、PMCボリショイ・シチートが言うところの本国――ジムリアー連邦の居住用コロニーがある。
内部に大気を孕み、宇宙線やデブリの対策が為されていることもあり、コロニーは相当に堅牢である。しかし、戦闘に備えた要塞というわけではない以上、それにも限度というものはある。エーテルギア同士で戦闘を行った場合、流れ弾でコロニーが破壊され、万人単位の犠牲が出る可能性もある。
そんなことは、敵の赤いエーテルギアも承知しているはずだ。その上で尚コロニーに向かっているというのであれば――
――コロニーの破壊自体が目的だ、ということか?
破滅的である、としか言いようがない。宇宙生活者同士は、根の部分で同族意識がある。そんな人間たちの家であるコロニーを破壊するという行為は、この宇宙の全てを敵に回すのと同義である。
敵機は脚部を動かす。スキーヤーのようであり、ダンサーのようでもある動きだ。それによって敵機は大きく左に。その動きを、プラズマ光の尾が追尾する。
さらにウェアウルフは人喰による砲撃を加える。それもまた、回避される。エーテルギアは機体各部にカメラが付いており、それら全ての情報をドライバーが電脳で処理することになる。比喩ではなく、後ろに目が付いているのだ。
回避の隙にウェアウルフは距離を大きく詰める。背が見え始めた、と言ったところだ。順調に推移する戦況ではあるが、ラティファはそこに違和を覚える。
「撃ってこないのか……?」
エーテルギアは基本的に一点豪華主義、何かを高める代わりにそれ以外はそこそこ、あるいは全く切り捨てるということになり易い。
今までの戦闘から見るに、赤いエーテルギアは機動性とエーテルハンマーによる攻撃を重視した一撃離脱型――ウェアウルフと同じタイプである。だからと言って、射撃戦を完全に切り捨てるということはない。ウェアウルフにもサブウェポンとして火器が装備されている。
なのに、一方的な射撃を許しているというのは、どういう事か。
何か思惑があるとでも言うのだろうか――?
「いや、考えても仕方が無いことか」
ラティファは首を振る。自分はエーテルギアを駆る以外のことには向いていないのだ。考えるだけ、無駄というものだろう。
当たらない攻撃を繰り返し、距離を詰めていく。同時に、コロニーまでの距離も詰められていく。
十分に距離を詰めたところで、機関砲を連射。砲弾をばら撒き、同時に人喰のエーテルブレードを形成させる。
――回避したところに、跳びかかる。
人喰ならば、一撃で敵機を破壊しうる。エーテル兵装には、それぐらいの破壊力がある。射撃によって敵機の回避方向をある程度コントロール出来るなら、問題はない。
砲弾がばら蒔かれ、そこから逃れるために赤いエーテルギアが、ウェアウルフから見て上方に回避運動を取る。
――かかった!
ラティファはアライメントチューナー/スラスターを停止。スタビライザー/スラスターの向きを偏向。アライメントチューナーを起動し、現在の進行方向とは逆方向へのエーテルを与える。
「くっ……」
急速に機体速度が減速し、機体が軋む。相殺しきれなかったGが、ラティファの体に巻きつく。吐きそうになるのを堪えて、エーテルを最偏向。同時にスラスターからプラズマを噴射。
地を蹴り、獲物に跳びかかる獣の如く、飛ぶ。
振り上げたブレードを叩きつけんとしたその時、敵機が独楽のように回転した。短く持たれたエーテルハンマーも同様に回転する。打撃である。
「温い」
オープンチャンネルで、先程も聞いた低い男声――赤いエーテルギアのドライバーが言う。
衝撃がウェアウルフを襲う。
しかしそれは、機体に直接来たものではない。
エーテルハンマーによる打撃は、人喰のエーテルブレード部分を横から殴り飛ばした。人喰が吹き飛ばされ、虚空に消える。
同性質のエーテル同士は反発しない。ハンマーの纏うエーテルも、ブレードを形成するエーテルも静止状態であり、その結果純粋にそれ以外の部分の運動エネルギーにより勝敗は決着することになる。
横から殴られた方が負けるのは、当然だ。
今から弾き飛ばされた人喰を取りに行くのは、自殺行為にほかならない。強化現実上には、右腕部が損傷したことが伝えられる。
冷汗。
ウェアウルフの武装は、人喰をメインとして考えられており、他の武装はあくまでも補助用だ。残っているのは、機関砲、散弾砲、それに両腕下腕部のスタビライザーを前方に稼動させて使用するブレード、機体各部の衝角だけである。エーテルギアを破壊しきれるかどうかは、微妙なところだ。
しかし、悲観している場合ではない。敵機は短く持ったエーテルハンマーを、今度は小さく回してくる。ウェアウルフの右方下、凶暴な力、打撃力そのものが襲いかかる。
――早い!
戦槌が速いのではい、回転に至るまでが早い。
退避するか? ――脳内に浮かんだその思考に、ラティファは否を叩きつける。アライメントチューナーを稼働。ウェアウルフは敵機に向かって突っ込んだ。
さらに、先の打撃で不調を訴えていた右腕を無理やりハンマーに向かって突き出した。砕け散る右腕、ゼロカーボン製の装甲材が吹雪の如く舞い、神経のごとく張り巡らされたケーブルや電子部品が腕の破損部分からはみ出す。
しかし、機体全てを破壊するには至らない。速度が乗る前のハンマーならば、この程度のダメージで済む。
ウェアウルフと赤いエーテルギアは密着状態になる。ハンマーの間合いの、更に内側だ。ゼロカーボン装甲同士の衝突が宇宙空間に火花を生む。
「思い切りはいい」
「それだけで済ますと思うな!」
左膝の衝角を叩き込む。完全なる密着戦なら、エーテルによる防護は上手く働かない。敵機腹部装甲を狙っての打突。
「それだけ、だ」
衝角による打突は敵機腹部装甲の表面部を削り取る。しかし、それは内部まで届かない。打突する側、される側の塗面が剥がれ、ゼロカーボンの地金である漆黒が露出する。
「ジマーは揺るがない」
赤いエーテルギアが、空いている左の拳を振るう。それを防ぐ術は、ウェアウルフにはない。
拳がウェアウルフを撃つ。
「がっ……!」
「貴様と違って」
ウェアウルフの腹部装甲が破損。地震にも近い衝撃が、コクピット内のラティファを襲う。質量とは、それ自体が武器である。重量機体である敵機の一撃は、軽量機体であるウェアウルフに十分なダメージを与えうる。幾つかのシステムが破損、エラーメッセージがラティファの強化現実を乱舞する。
打撃によって、機体同士に僅かな距離が生まれる。拳の間合いから、武器の間合い。戦槌の間合いへ。
「お前に用はない」
赤いエーテルギアがエーテルハンマーを振るう。拳とは比べ物にならない、巨人によって弄ばれているかのような衝撃がウェアウルフのコクピットを襲う。
「は……」
体内が焼かれるような感覚と同時に、ラティファは咳き込む。内臓系にダメージがあったのだろうか。喀血はしていない。後に異常が残るほどではない。
しかし、機体へのダメージはそれほどでもない。エーテルハンマーが、アライメントチューナーを起動させずに用いられたからだ。
破壊するためではなく、吹き飛ばすための打撃。
自機から見て右方からの打撃によって、ウェアウルフは大きく左に吹き飛ばされた。
「この……」
吹き飛ばされる直前、ラティファは赤いエーテルギアが背を向けるのを見た。
お前に用はない。その言葉のとおりに。