ゴースト・12
ラティファはカフェに入ると、ガラスに面した席に勢い良く腰をおろした。
ラティファが入店する以前からその隣に座っていた男性が座ったままラティファの方を向いた。
「おや、ラティファ君」
振り向いたのはリチャードだった。
「姿が見えたので」
そう言いながら、ラティファは強化現実上で、この店のシステムにアクセス。注文と同時に会計を済ませる。
「今回の件に関しては、本当に済まないと思っている。本来は我々だけで何とかするべき所なのだけれども」
「どう仕様も無い事を言っても仕方がない。あの男とエーテルギアは、並大抵ではないのだから」
ラティファはジマーの速度と打撃力、そしてそれを駆る男の操縦技術、あの機体に落とされた二機のエーテルギアとその乗り手を思う。
「ニコライ・レザノフ」
リチャードはその名を噛み切るように口にした。
「あの男の事、詳しいのか」
口にした後で、それは当然だろうとラティファは思う。ニコライ・レザノフは元々PMCボリショイ・シチートの人間だったらしいのだから。
「あの男は、この国が独立するまでうちの会社に居た。強かったよ、あの頃から。うちで一番だった。あの頃は、あいつがドライバーの教導を担当してたくらいさ」
そう語るリチャードの声は柔らかい。
先に名前を口にした時とは、まるで異なる口調だ。
「貴方も……?」
「あの当時から居る人間で、あの男の影響を受けてない人間なんて居ないよ」
そう言われれば、ラティファにも思い当たるフシがある。リチャード=エンフィールドと、ニコライ=ジマーのウェアウルフの速度に対する対処は、同じ――カウンターによるものだった。
「強く、寡黙で誇り高い男だった」
コーヒーが二つ運ばれてきた。その一つをラティファは手に取る。口を付ける前に、席に置いてあったスティックシュガーを二つ、コーヒーに入れる。
それを見て、リチャードが渋柿を含んだかのような顔をした。
「なにか問題でも?」
言いながらラティファはミルク開けて、二つカップに入れた。
「……いや、なんでもないよ」
リチャードは自分のコーヒーに口をつける。
「エーテルギアのドライバーたる者、カロリーは多めに取っておかなくてはいけないからな」
「……まぁそうだね」
「そんなことよりも――そんな男が、何故こんな事を?」
ニコライ・レザノフについて知らねばならない、とラティファは思う。
あの男を知り、あの男の強さの根を知らなくてはならない。
――あの男は、私に欠落したものを持っている。
それが何なのかを知らなければならない。知ることによって自分の欠落をどうにか出来るかどうかは分からない。しかし、手がかりにはなってくれる。
そしてそれ以上に、ニコライを倒すために彼のことを知らなくてはならない。そんな気がしていた。
ラティファを見て、リチャードは息を吐く。
「裏切られたから……なのかもしれないな」
コーヒーカップを置く。
「裏切り?」
「あいつはそう思ったんじゃないかな。実際はそんな事じゃなかった。ただ、PMCボリショイ・シチートは利益を追求しただけなんだが」
「一体何があったんだ?」
「ジムリアー連邦が独立する前の話になる」
リチャードは目を細めた。
「PMCボリショイ・シチートは今ほどではないものの、ジムリアー連邦……ロシアとの結びつきが強かった。株式の一部を所有していたり、仕事の大部分がコロニーの警備だったりとね。だからロシア系の人間も多かった」
私は違うんだけど、と言いながらリチャードは続ける。
「そんな中、起こったのがロシアの崩壊とそれに伴うジムリアー連邦の独立だ。PMCボリショイ・シチートは、その独立の際にロシアからとある依頼を申し込まれた」
「それは……?」
「コロニーの占拠と独立阻止、そのための武力行使さ」
ラティファは顔を顰める。コロニーへの武力攻撃を嫌うのは、宇宙生活者の基本性質である。
「PMCボリショイ・シチートはその依頼を受けなかった。はっきり言って、当時のロシアは死に体だった。そんなところに協力するよりは、これから独立しようとするジムリアーとのコネクションを強くしておこうというのは、何もおかしくはなかった。ただ、ニコライにとってはそうじゃあなかった」
「よく……分からない」
ロシアとジムリアー連邦についてよく知らない所為か。或いは、ニコライが何故そんな事を考えたのかが分からない所為か。
底の見えない谷。越えようのない断絶。ラティファは首を横に振る。
「私にも分からなかったよ、あの時は。……ニコライは一部のロシア系社員と共に、その依頼を受けた。しかし、その事は直ぐにコロニー側にも知れた。コロニーは、残ったPMCボリショイ・シチート側の人間に、彼らの行動に対するカウンターを依頼した」
私もそれに参加したよ、とリチャードは言う。
表情は笑っていたが、目だけは別のものを見ている。ラティファにはリチャードがそう見えた。
「私達はニコライ達と対峙した。結果だけ言うなら、それは勝利だった。ただし、双方ともにボロボロ、どちらかと言えばこちらが押されている。そんな状況で、ロシアが潰れたからなんとなく勝ってしまっただけで」
「その結果、現在のPMCボリショイ・シチートが出来たというわけか」
ニコライ・レザノフに同調したロシア系メンバーが抜け、そのメンバーとの戦闘によって残留した者も減った。
そうして減った戦力では依頼も上手くこなせず、資金が貯まらないから戦力の拡充も出来ない。その悪循環から抜け出すために、今回のライブラに対する依頼があったということなのだろう。
「そういう事さ。そして、取り逃がしたニコライ達残党を私達は警戒し続けてきていた」
「グラビーチェリはその残党、ということか」
「奪われた者が奪う者になった、そういう事なんだろう」
奪う者。
一体、何を奪うつもりなのだろうか、とラティファは思う。そのまま考えれば、ジムリアー連邦そのものという事になるのだろうが。
――何か引っかかるな。
ささくれのような、僅かな違和。しかし、明確に存在している違和。それを感じながら、ラティファはコーヒーを口に運ぶ。
違和は所詮引っ掛かりでしかなく、ささくれは明確な傷ではない。そして、その小さなささくれから真実を引っ張り出せるほどの能力は無いとラティファは自覚している。
ラティファの思考とは無関係に、リチャードは続ける。
「あの頃の私は、私達PMCボリショイ・シチートが彼等から何を奪おうとしているのか。それがどれほどの重みを持っているのかなんて、考えもしなかった。あったのはコネクションと金に関する薄汚いまでの信頼だけ。それは別に悪というわけではないんだけれども、その悪ではないことがまた嫌になる」
リチャードの言に、ラティファは疑問を得る。
「貴方達は、一体何を奪ったと言うんだ?」
リチャードは目だけを動かし、ラティファを見た。
「なるほど、君もそれが分からない者ということか。あの時の私と同じく」
リチャードは息を吐く。その息には、軽い笑いが湿度のように含まれていた。
「……どういう意味だ?」
「私は、流れ者でね。まともに定住したのは、ジムリアー連邦が初めてなんだよ。以前は宇宙用人型重機を使って、宇宙海賊の真似事をしていたこともある。だから、彼等が持っているもの、彼等の基底に鳴っているものを持っていなかったのさ」
君もそうなんだろう? とリチャードは問う。
「そう言われれば、そうかもしれない」
ラティファは、ここ数年以前の記憶を完全に失っている。始めのうちは後見人である義父の元で穏やかな生活をしていたが、義父が死んでからはライブラ・セキュリティ・コントラクトでエーテルギアのドライバーをしている。
流れ者と言うのは、正しい評価なのかもしれない。
「そんな流れ者が持っていないのは、祖国だよ」
「祖国? 国籍なら私も――」
「そういうものじゃあないんだよ。祖国って言うのは、多分もっと根っこにある部分で、自分と切り離すことが出来なくなってしまっている部分なんだ」
「自分と切り離せなく……」
「使っている言葉、慣れ親しんだ習慣、見慣れた景色、その中に居るという実感……その中で組み上げられた何か。それを切り離すのは、不可能なんだ。深海で生まれ育った深海魚が、深海以外の場所でも深海魚以外の何かになれないように」
ラティファは深海魚の姿を思い浮かべる。
海すら見たことがないラティファが知っているのは、データベース化された深海魚の情報。その、一般的な魚とは大きく外れた、怪獣や邪神のようなグロテスクな造詣と、モノトーンの美しいような吐き気がするような、ぬめりを持った異形の肌を思い浮かべる。
「深海魚は太陽光も差さず、水圧も異様に大きい深海で生きて行くことが出来る。代わりに、急激に上層まで引き上げられれば、体内の浮き袋が気圧差に耐えられず体の外に飛び出してしまう。そして、死ぬんだ」
そう言ってリチャードは、どこか遠いところを見た。
ラティファが追ったその視線の先は、コロニー採光部から宇宙へと通じており、破壊された太陽電池が周囲に浮かぶ宇宙用人型重機によって修復されている。もっとも、実際の破損部はカバーされて隠されている。
こんな中途半端な損傷を与えただけで、終わりの筈がない。
そんなラティファの予想とは裏腹に、何事も無く数日が過ぎた。




