idea note 14
今回は「史的な夜話」の「おまけ」として扱うか、少しだけ悩みましたが、「idea note」として投稿することとしました。
毎度おなじみ、思い付いたは良いですが、自分では書く気が全く無い、そういう「idea note」も十四回目となりました。
毎回思うんですよ、連載中の作品を前へ進めるのが先だろう、と。
自分でもどうしようと思うのですが、思い付いて手元のノートに書いて終わりでは勿体ないと思って書いています。
本当にどうしましょうかね。
以前、海音寺潮五郎さんの「列藩騒動録」を読む機会がありました。
読んだのは良いのですが、しばらくは御家騒動へ興味が向いてしまい、他のことへの興味が失せてしまった時期でもありました。
当時はまだインターネットも普及していなかったので本を読む以外、御家騒動について調べる術も無かったのですが、何冊か本を読みまして対馬藩の宗家と盛岡藩の南部家で殿様の替え玉を用いていたを知りました。
正直、初めて知った時には驚きました。
詳しいことはWikipediaの宗義功の頁、南部利用の頁を読んでもらったら早いでしょう。
宗家、南部家共に若い殿様が急に亡くなり、慌てた周囲が替え玉を用意するという内容です。
簡単に宗家と南部家の話を書いてみます。
まず宗家ですが、明和八(一七七一)年十月四日に義暢の子として猪三郎が生まれます。
その義暢は安永七(一七七八)年三月七日に亡くなり、猪三郎が継承します。しかし、天明五(一七八五)年七月八日、猪三郎は亡くなった。
猪三郎には弟の富寿、種寿がいるのだが、富寿に猪三郎を演じてもらい、種寿が富寿を演じ、今回は種寿が亡くなったと嘘を幕府へ届け出たそうです。
富寿は安永二(一七七三)年二月二十九日の生まれで文化九(一八一二)年十月二日に家督を譲るまで猪三郎の代わりに義功として藩主を務め、翌年五月十七日に亡くなっています。
次に南部利用ですが、吉次郎利用は文化四(一八〇二)年十二月十九日に生まれます。文政三(一八二〇)年六月三日に家督を継ぎますが、翌年八月二十一日に亡くなります。
利用が無くなった理由ですが、五月に庭木に登って遊んでいて落ちて怪我をしたのが原因と伝わっています。
海音寺さんは吉次郎利用を幼いとか、評していたと記憶しています。しかし、どこの殿様でも大なり小なり皆、似たようなことをしていたのではないか、私はそう思っています。
南部家では利用の替え玉として従兄弟の善太郎を選び、吉次郎利用を演じて貰うことにする。
善太郎は享和三(一八〇三)年十一月六日に生まれ、文政四(一八二一)年八月二十一日から吉次郎利用を演じ、文政八(一八二五)年七月十八日に亡くなります。
義功と利用の共通点は江戸ではなく、国許に居たことと将軍とのお目見えを済ませていなかったことでしょうか。
これが幸いして替え玉で誤魔化すことができたわけですが、仮に二人が江戸で亡くなっていたら国許から替え玉を招いたりする時間が有ったのか、色々と間に合ったのか、気になるところです。
改めてWikipediaを読みますと義功の場合、江戸屋敷に詰めていた家老が老中か誰かへ内々に相談したようです。そして前例があるとか、そう言われて替え玉を用いることに至ったようです。
一方、利用の方は幕府の偉い人に相談すること無く、替え玉を使って誤魔化したようです。
同じくWikipediaで「末期養子」の頁に「藩主のすり替えの例」という記事が有って宗家、南部家の他に越後国高田藩の榊原家、肥後国人吉藩の相良家、豊後国臼杵藩の稲葉家、備中国生坂藩の池田家、鴨方藩の池田家、播磨国赤穂藩の森家、筑後国柳川藩の立花家があります。
宗家のように幕府の偉い人が関わって解決した例と南部家のように自分らで慌てて解決した例の二つに分かれるようです。
簡単に説明しようと思いつつ、長々と書いてまいりました。
ここまで書いて何を伝えたいか。
殿様を極秘に入れ替えると言うことは幕府に対して虚偽を報告しているわけです。発覚したら藩が取り潰されるか、家老ら重臣は責任を取って切腹とかもあるでしょうし、藩が取り潰されたら藩士やその家族は路頭に迷うこととなるでしょう。
代役を務めている殿様や事情を知っている家老、家臣らは毎日ビクビクしながら過ごしていたのでしょうか。それとも案外、あっけらかんとしていたのでしょうか。
今回はその点が気になって書き始めました。
現代ですとSocial Networking Serviceと申します、旧TwitterやYouTube、LINEとかを使って「実は、うちの殿様、替え玉です」と一言呟けば藩は取り潰し、藩士と家族は路頭に迷うこととなるでしょう。
それ故に殿様が替え玉で有ることを知っているのは本当に必要最小限だったでしょうし、もしかすると知りすぎた人の一人や二人は闇に葬られたかも知れません。
実際に誰がどの程度まで情報を持っていたのか、その辺りは気になるところです。
当然、家老とか藩の要職に就いている人は知っていたでしょうし、身の回りの世話する人らも知っていたでしょう。しかし、前述したように誰かの一言で藩は取り潰され、職を失うことを考えれば迂闊に口へ出すことは控えていたでしょう。
現代でも企業秘密や国家機密があり、皆さん守秘義務に従っています。中には本当に墓場まで持って行かなくてはいけない、内緒話もあるでしょう。
そう言う一つ一つが守られているから今の日本が有るのかもしれません。
替え玉となった殿様達は毎日、どの様な気持ちで過ごしていたのでしょうか。
毎日毎日胃がキリキリと痛んでいたのでしょうか。それとも自棄酒でもあおっていたのでしょうか。
例えば南部利用ですと文政四(一八二一)年八月から善太郎が替え玉を務めていますが、文政八(一八二五)年七月に亡くなっています。Wikipediaでは病死とありますが、具体的な病名まではわかりません。周囲に気を使いすぎて病んだ可能性も考えられます。
一方、宗義功は妻を迎え、後継者にも恵まれていますし、藩主の地位を譲ってから隠居して安心したのかも知れません。
江戸時代、徳川家康から秀忠、家光辺りまでは気に入らない大名は手当たり次第に潰していました。大名を取り潰すことで失業者が増えることが問題となり、家綱辺りから流れは変わっていき、無理に大名家を取り潰すことは減っていきました。
それでも幕府へ虚偽の届け出をすれば間違いなく取り潰されるでしょう。
宗義功の場合は藩の重臣が幕府の偉い人と内々に相談し、許しを得て替え玉を用いたとは言いますが、それでも将軍に話は伝わっていないでしょうし、発覚したらやはり取り潰されることでしょう。
もしかすると家老とか数名に責任を負わせて藩の取り潰しは免れる可能性もありますが、実際にはどうなるのでしょうか。
替え玉の殿様を扱った作品があるのか、残念ながらわかりませんが、家老や用人が毎日ピリピリしているとか、そう言う作品があったら面白いとも思っています。
しかし、実際に自分がその立場であったら心身共に持たないでしょうね。
私は古い人間ですからドリフターズのコントのような、真面目な家老が殿様や家臣らを毎日毎日叱り付けて走り回るとか、そう言う作品を思い浮かべます。
文章での作品化も良いでしょうが、ドリフターズのコントと同様、劇場の舞台で演じて貰うのも良いかもしれません。
私には手に汗握る冒険小説、スパイ小説などは書けませんが、殿様の替え玉疑惑がある藩へと幕府の隠密が入って二年、三年と地道に情報を集めていくのですが、隠密はどうしても証拠を見付けることが出来無いとか、そういう話も思い浮かびます。
隠密と言えば黒装束の忍者、毎夜斬り合っているイメージですが、個人的には池波正太郎さんの作品に出てくる、「鬼平犯科帳」などで出てくる昔気質の盗賊のように何年も市井へ溶け込み、焦ることなく必要な情報を集め、ある夜、誰にも気付かれることなく千両箱を担いで姿を消し、最後まで一滴も血が流れない。
見せ場としては斬り合いの一つや二つは有った方が面白いのでしょうが、個人的に血を見るのがあまり好きではありませんし、現代で言う企業間、国家間の情報戦みたいな物を考えています。
宗家の場合、内々に幕府の偉い人と話し合った結果、替え玉を使うこととなったと書きましたが、あくまでも内々であって将軍の耳へ入っているのか、そこは気になりますし、将軍の耳へ入っていなければ藩は幕府へ虚偽を届けていることになります。
また幕府の偉い人、老中や若年寄、側用人にも派閥はあるでしょうし、相手を牽制、追い込むための道具、取引材料として関わり有る人の情報を集める人も居るでしょう。
最後の最後に気が付いたのですが、海外でも王様や貴族の替え玉って事例はあったのでしょうか。
書いている最中は気にもしていませんでした。武田信玄は影武者を用いたことで知られていますが、替え玉とは違いますよね。
今の若い人、例えば「小説家になろう」ですと「異世界へ転生したら亡くなった王様と瓜二つだったので替え玉になりました」とか、そういう感じになるのでしょうか。
既にありそう。
残念ながら猪三郎、富寿、種寿は確かな読みがわからないので振り仮名は振っていません。
ラーメン屋さんへ行くと「替え玉」と言えば麺の追加が貰えます。
和食の麺類である蕎麦、うどんには「替え玉」の制度は有るのでしょうか?
どこかで体験したことの有る人、居られますか?
参考図書:
海音寺潮五郎「列藩騒動録」
Wikipedia:
御家騒動
末期養子
宗義功
南部利用
他




