【第97話 兵隊さんの光】
透明な液体ポッドの中で、
少女は目を開けていた。
淡い光が、ゆっくりと脈を打つ。
昇る気泡は、呼吸の代わりだ。
冷却装置の低い唸り。
生命維持の律動。
外の世界が砲火で裂けていることなど、
ここには届かない。
――届かないはずだった。
◇ ◇ ◇
「……兵隊さん……」
声は耳ではなく、
頭の奥へ、すっと落ちてきた。
装置のスピーカーでもない。
機械の合成でもない。
だが幻聴とも違う。
呼ばれている。
あのときと同じ呼び方で。
◇ ◇ ◇
ルコールは、動けなかった。
自分の指先が、
ポッドの外壁へ伸びているのが分かる。
触れれば、冷たいはずだ。
だが触れる前に、手が止まる。
あまりにも――現実だった。
◇ ◇ ◇
液体の中で揺れる髪が、異様に長い。
銀にも青にも見える色。
光に溶けるように漂い、
少女の輪郭を隠す。
体は小さい。
成長は止まっているのに、
髪だけが時間を背負っていた。
それは、ここが“時間の墓場”である証拠だった。
◇ ◇ ◇
「……生きていたのか」
声が、かすれた。
言葉は短い。
だが、それ以上のものが喉に詰まる。
怒り。
悔い。
安堵。
全部、形にならない。
◇ ◇ ◇
少女は、微かに笑ったように見えた。
水中の表情は曖昧だ。
だが――
その瞳だけは、濁っていない。
「うん。……いきてるよ」
声は優しい。
責める響きがない。
それが、いちばん刺さった。
◇ ◇ ◇
ルコールの拳が、知らず固くなる。
怒りを向ける先がない。
この少女をこうした連中は、
ここにはいない。
あるのは装置と、
液体と、
律動と、
静けさ。
そして――目を開けた少女。
◇ ◇ ◇
「……すまない」
ルコールは言った。
誰に向けた謝罪か、分からない。
救えなかったこと。
連れ帰れなかったこと。
その後に起きたこと。
セナを守れなかったこと。
全部、まとめて。
◇ ◇ ◇
少女は首を振った。
水の中で、ゆっくりと。
「ちがうよ、兵隊さん」
穏やかな否定。
「こっちが……ごめんね」
◇ ◇ ◇
ルコールの眉が、わずかに動く。
「何がだ」
「……よんじゃった」
少女は、少しだけ困ったように笑った。
「セナが、かなしくて……兵隊さん、よんじゃった」
言葉の意味が、脳に落ちるまで一拍かかる。
◇ ◇ ◇
「目覚めたのは……いつだ」
ルコールは、問いを選ぶように聞いた。
感情を抑えるための、実務的な質問。
◇ ◇ ◇
「このまえ」
少女は答えた。
「セナが、ここにきて……」
一瞬、視線が揺れる。
遠い記憶を探るように。
「……それで、わかった」
◇ ◇ ◇
ルコールの中で、
何かがきしむ。
セナがここに来た。
つまり――
この浮遊要塞のどこかに、
セナがいる。
そして、セラはそれを“感じた”。
◇ ◇ ◇
「……セナから、聞いたのか」
言葉が硬い。
怒りが混じると、声はこうなる。
「うん」
少女は肯定する。
「セナね、話してくれたよ」
そして、少しだけ明るく言った。
「兵隊さん、まだ……こわい顔してるって」
◇ ◇ ◇
ルコールの喉が鳴った。
笑えない。
だが、胸の奥が一瞬だけ緩む。
それが悔しい。
◇ ◇ ◇
「……俺は、セナを守れなかった」
ルコールは言った。
いつもなら言わない。
言っても意味がないからだ。
だが、ここでは違う。
この少女は、知っている。
セナが何を背負って、
どんな光を残して、
どこへ行ったのか。
◇ ◇ ◇
少女は、また首を振った。
「ちがう」
優しい否定。
「セナは……うれしそうだった」
ルコールの視線が、わずかに強くなる。
「何がだ」
◇ ◇ ◇
「兵隊さんが……まだ、セナのこと……だいじって」
少女の声は、穏やかで、明るい。
まるで子どもが、
大事な秘密を打ち明けるように。
「だから、わたし」
一拍。
「……よかった」
◇ ◇ ◇
ルコールの中で、
硬いものがひとつ崩れる。
感情が、出てくる。
ほんの少し。
それを認めたくなくて、
彼は視線を外した。
◇ ◇ ◇
ポッドの周囲には、
管と導線が絡み合い、
床に黒い影を落としている。
装置はこの少女の命を守っている。
同時に、閉じ込めてもいる。
◇ ◇ ◇
「……出られるのか」
ルコールが問う。
答えは分かっている。
だが、問わずにいられない。
◇ ◇ ◇
「ううん」
少女はあっさりと言った。
「ここじゃないと……だめ」
生きる条件が、ここに固定されている。
その事実が、機械の音より重く響く。
◇ ◇ ◇
「……そうか」
ルコールは、それ以上言えなかった。
壊せば救えるという話ではない。
この装置を破壊した瞬間、
少女は死ぬ。
ここは救出ではなく――現実の部屋だ。
◇ ◇ ◇
少女は、少しだけ笑った。
「兵隊さん」
「なんだ」
「……おそと、こわい?」
質問が幼い。
だが、ここで“こわい”と言えるのは強い。
◇ ◇ ◇
ルコールは短く息を吐いた。
「怖くはない」
いつもの答え。
しかし少女は、首を傾げる。
「うそ」
優しい断言。
「こわいの、ここにある」
そして、胸のあたりを示す。
ポッドの内側から。
指先が触れているのは、
ルコールの“胸”ではない。
だが、当たった。
◇ ◇ ◇
ルコールは、沈黙した。
少女は責めない。
ただ当てる。
その当て方が、残酷に正確だった。
◇ ◇ ◇
「……俺は、ここで何をすればいい」
ルコールは問いを変えた。
泣き言にしたくない。
感情に飲まれたくない。
だから、目的に戻す。
狩りだ。
救うために来た。
◇ ◇ ◇
少女の瞳が、少しだけ鋭くなる。
眠っていたはずの光が、
覚醒するように揺らぐ。
「セナ……たすけたい?」
「当然だ」
即答。
◇ ◇ ◇
「じゃあ……わたし、かす」
少女は言った。
簡単な言葉で。
だが、その内容は重い。
「ここ、みんな……みてる」
ルコールの視線が動く。
監視眼。
さっきの“反応しない監視”。
「……止めたのは、お前か」
◇ ◇ ◇
「うん」
少女は頷いた。
「ちょっとだけ」
「だって、兵隊さん、ころされちゃう」
言い方があまりに普通で、
逆に恐ろしい。
“殺される”が、日常語になっている。
◇ ◇ ◇
ルコールの喉が鳴る。
「お前は……システムに触れられるのか」
「さわれる」
少女は言った。
「ここ、ねむってるとき……ずっと、きいてた」
機械音。
管制信号。
警報の規則。
眠っていても、
耳の代わりに“艦”が流し込んでいた。
だから、理解している。
◇ ◇ ◇
少女の視線が、ふっと遠くへ向く。
ここではない場所へ。
「セナ……いる」
ルコールの呼吸が止まる。
「どこだ」
◇ ◇ ◇
少女は答える前に、
小さく言った。
「……あのね」
「兵隊さん、いまから、すこしだけ……いたいこという」
予告のような言葉。
ルコールは黙って聞く。
◇ ◇ ◇
「セナ、たすけるには……はやくしないと」
単純な言葉。
だが、刃だ。
「セナ……いま、きづいてる」
何に?
誰に?
自分がどこにいるかに?
ルコールの視界が狭くなる。
◇ ◇ ◇
「……分かった」
ルコールは言った。
短い。
だが、その中に決意が詰まっている。
◇ ◇ ◇
少女は、少しだけ明るく笑った。
「だからね」
「こっちに……みち、つくる」
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
部屋の照明が、微かに落ちる。
壁面の導管が、
脈を打つように光る。
システムが一瞬だけ――
“別の顔”を見せた。
◇ ◇ ◇
透明なポッドの外側、
端末盤の一部が点灯する。
表示は見慣れない古代語に近い記号。
だが、矢印だけは分かる。
方向を示している。
さらに、
通路の照明が、遠くでひとつ点く。
次が点く。
次が点く。
――さっきと同じ誘導灯。
だが今度は確信がある。
呼んでいるのは、
この少女だ。
◇ ◇ ◇
「罠だと思った?」
少女が、くすりと笑うように言う。
「……思った」
ルコールは正直に答えた。
「えへへ」
それが“明るい”の正体だった。
兵隊を労うための明るさ。
責めないための明るさ。
泣かせないための明るさ。
◇ ◇ ◇
「兵隊さん」
「なんだ」
「セナ……まってるよ」
一拍。
「ひとりじゃ、ない」
◇ ◇ ◇
ルコールの胸に、
小さな痛みが走る。
“空で待っている”という言葉が、
別の男の口から語られたことを思い出す。
ラドクリフの笑い。
クロウの名。
だが今は、
目の前の少女の声が現実だ。
◇ ◇ ◇
「……ありがとう」
ルコールは言った。
小さな声で。
少女の瞳が揺れる。
嬉しいのか、
悲しいのか、
どちらでもないのか。
液体が揺れるだけで、
表情は読みきれない。
◇ ◇ ◇
「ううん」
少女は首を振った。
「わたしも……あやまりたい」
ルコールの視線が戻る。
「何をだ」
◇ ◇ ◇
「セナ……ひとりにした」
その言葉は、
小さくて、
重くて、
鋭い。
自分を責めている。
救われなかったことを、
救えなかったことを。
そして――
セナを残したことを。
◇ ◇ ◇
ルコールは一瞬、目を閉じた。
感情が出る。
それを押し殺すのではなく、
一度だけ認める。
その上で――戻す。
◇ ◇ ◇
「……お前は悪くない」
ルコールは言った。
いつもなら言わない言葉。
だが今は必要だ。
「悪いのは、奪った奴らだ」
◇ ◇ ◇
少女は、
少しだけ安心したように、
瞼を細めた。
「……うん」
眠気が戻るような声。
意識を保つだけで、
この少女は消耗するのだろう。
◇ ◇ ◇
「兵隊さん」
最後に、もう一度。
「いって」
短い命令。
導いているのに、
命令する。
それが、彼女の“力”の形だ。
◇ ◇ ◇
ルコールは頷いた。
ポッドから離れる。
振り返らない。
振り返れば、
ここに留まる理由ができる。
今は、狩りだ。
救うための狩りだ。
◇ ◇ ◇
扉が、静かに閉まる。
その瞬間、
少女の声がもう一度だけ届いた。
「……兵隊さん、いきて」
祈りでも命令でもない。
ただの願い。
◇ ◇ ◇
通路の照明が、点く。
次が点く。
次が点く。
広すぎる要塞の中で、
道が一本だけ生まれる。
◇ ◇ ◇
ルコールは歩き出す。
セナへ向かう道を。
そして――
あの戦争屋が支配する“内部”へ。
今度は、
誘われるままに。
(第97話 了)
疲れすぎて死んでました。
※他作品も連載中です。
勤労に感謝を。働き続けた男の、転生スローライフ
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