【第96話 呼ぶ光】
隙間は、人ひとりが滑り込める幅だった。
歪んだ接合部に指を掛け、体をねじ込む。
内圧が抜ける低い音とともに、冷たい空気が頬を撫でた。
金属の匂い。
乾いた空気。
微細な油の気配。
ルコールは静かに内部へ降り立つ。
着地の衝撃を膝で殺し、呼吸を止める。
音は、ない。
外の砲火が嘘のように、静かだった。
ここはもう、別の世界だ。
◇ ◇ ◇
通路は広い。
単なる整備通路ではない。
車両搬送も可能な幅。
天井高は五メートル近い。
補助レールが走り、
魔導導管が幾層にも張り巡らされている。
壁面は均一。
区画符号が規則正しく並ぶ。
読む。
砲塔数。
推進炉の振動位相。
外殻厚。
この規模。
最低でも数百。
下手をすれば、千。
乗員、整備兵、管制要員、警備。
仮にここが空母規模ならば、管制室を制圧しても意味はない。
副系統がある。
自動管制がある。
非常時の分散制御もあるはずだ。
制圧は可能だろう。
だがその瞬間、艦全体が戦闘態勢に入る。
それは“戦争”だ。
今やるのは違う。
“狩り”だ。
◇ ◇ ◇
曲がり角。
視線を上げる。
魔導式監視眼が一基。
死角に入る前に、わざと一歩踏み出す。
映ったはずだ。
確実に。
だが。
警報は鳴らない。
赤灯も回らない。
足音だけが、規則正しく床に吸い込まれていく。
違和感。
監視は生きている。
だが反応しない。
誰かが止めている。
それとも。
誘っている。
◇ ◇ ◇
そのとき。
通路の先の照明が、一つ灯る。
白い光。
次の灯りが、さらに奥で点く。
進行方向だけが、浮かび上がる。
背後は、闇に沈む。
誘導灯。
だが、通常の避難灯とは違う。
タイミングが不自然だ。
ルコールが足を踏み出すと、
わずかに遅れて次が灯る。
呼吸に合わせるように。
呼ぶように。
◇ ◇ ◇
罠と考えるのが自然だ。
あの戦争屋の顔が浮かぶ。
クロウ。
獲物を追い詰める男だ。
無駄はしない。
感情で動かない。
確実に殺す。
ならば。
わざわざ道を示すか?
否。
あの男なら、ここで仕留める。
ならばこれは――別の意志。
◇ ◇ ◇
ルコールは歩く。
灯りを追う。
通路は幾度も折れ、
階層が変わる。
昇降路。
補助デッキ。
整備区画。
同じ形の通路が延々と続く。
同じ幅。
同じ高さ。
同じ扉。
区画符号は並ぶが、
構造を知らなければ意味を持たない。
灯りがなければ、
方向感覚はすぐに失われる。
隠れながら移動するなら、
一日では足りない。
二日でも足りないかもしれない。
巡回経路を把握する前に、発見される。
この規模は、
単独潜入を拒む構造だ。
だからこそ。
この“導き”は異常だった。
◇ ◇ ◇
空気が変わる。
温度がわずかに下がる。
要塞の“鼓動”が、
どこか不自然に静かになる。
外殻沿いをなぞるように、
灯りは移動する。
時間の感覚が曖昧になる。
どれほど歩いた。
一時間か。
あるいはそれ以上か。
歩幅は一定。
呼吸は一定。
だが、精神だけが摩耗していく。
◇ ◇ ◇
灯りが、揺らぐ。
一瞬、消えかける。
再び灯る。
焦れている。
そう感じた。
急がせるように。
◇ ◇ ◇
やがて、灯りは止まる。
無機質な白い扉。
他の区画と明らかに材質が違う。
監視眼がある。
だが、やはり警報は鳴らない。
扉が、静かに解錠される。
内側から。
◇ ◇ ◇
踏み込む。
広い。
天井まで伸びる透明なポットが、
幾列も並ぶ。
淡い光。
静かな液体。
ゆっくりと昇る気泡。
冷却装置の低い唸り。
生命維持の律動。
失敗作か。
研究体か。
数は多くない。
中央。
一基だけ。
光が、わずかに強い。
◇ ◇ ◇
近づく。
液体の中で、
何かが揺れている。
長い。
異様に長い。
髪。
銀にも青にも見える色が、
水中で広がる。
体は小さい。
成長していない。
だが髪だけが、
時を重ねている。
足があの時のままで、ない。
管が繋がれている。
静かな脈動。
◇ ◇ ◇
ルコールの呼吸が止まる。
喉が鳴る。
拳が、わずかに震える。
だが目は逸らさない。
◇ ◇ ◇
瞼が、ゆっくりと開く。
濁りのない瞳。
まっすぐに、こちらを見る。
液体越しでも、分かる。
◇ ◇ ◇
「……兵隊さん……」
声は、直接脳裏に届いた。
穏やかだった。
責める響きはない。
ただ、呼んでいる。
◇ ◇ ◇
巨大な戦争機構の中心で。
時間を奪われた少女が。
兵隊を呼んでいる。
◇ ◇ ◇
セラは、目覚めていた。
(第96話 了)
Xにセンシティブイラストも今回は差分で投稿しました。
怒られたら消してます。
※他作品も連載中です。
勤労に感謝を。働き続けた男の、転生スローライフ
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