【第89話 飛ぶ前の手】
スカイハウルの腹は、開いたままだった。
外装板は外され、
内部フレームと導線がむき出しになっている。
夜明け前。
格納区画には、作業灯の白い光だけが落ちていた。
鉄と油の匂い。
金属が冷え切った音。
ここは――
飛ぶための場所ではなく、
**落ちないための場所**だ。
◇ ◇ ◇
「……あと一息だな」
バルドは、装甲材の継ぎ目を拳で軽く叩きながら言った。
「強化突撃用装甲の本締め。
それと――」
配線の束を一瞥する。
「出力周りの微調整だ」
◇ ◇ ◇
ルコールは、
少し距離を取った位置でそれを見ていた。
無言。
だが、視線は外さない。
「無理はするな」
低く、短い言葉。
◇ ◇ ◇
「無理はしねぇ」
バルドは即答した。
「限界までは使うがな」
そう言って、
工具を持ち替える。
手の動きは早い。
だが、雑ではない。
一つ一つの締結に、
確実な重みがある。
長年、
“落ちたら終わり”の現場で生きてきた手だ。
◇ ◇ ◇
ルコールは、
しばらく黙ってから口を開いた。
「……バルド」
◇ ◇ ◇
「ん?」
◇ ◇ ◇
「クロウギアは、どこだ」
◇ ◇ ◇
バルドの手が、
一瞬だけ止まる。
だが、
振り返りはしない。
「ああ」
思い出したように言う。
「奥のラックだ。
調整中で預かってる」
◇ ◇ ◇
「稼働テストをしたい」
淡々とした声。
◇ ◇ ◇
「だろうな」
バルドは、
肩越しにちらりと視線を送る。
「本来は両手推進ありきの装備だ。
今は――」
一拍。
「文字通り、
“翼だけ”の状態だ」
◇ ◇ ◇
「それでいい」
ルコールは言った。
「落ち方は、もう知っている」
◇ ◇ ◇
バルドは、
鼻で小さく笑った。
「相変わらず、
嫌なことを“経験”で済ませる男だ」
◇ ◇ ◇
ルコールは返事をせず、
奥のラックへ向かった。
格納棚。
整然と並べられた部品の中に、
黒鉄と焼け銅の外骨格がある。
――クロウギア。
彼はそれを両腕分、静かに抱え上げ、
作業区画へ戻ってきた。
◇ ◇ ◇
バルドの視界に、
それが入る。
「……触るなよ、導線」
「分かっている」
◇ ◇ ◇
ルコールは、
床に腰を落とし、
クロウギアを分解し始めた。
動きは無駄がない。
慣れきった手順。
だが、
バルドのそれとは違う。
壊れないためではなく、
**使うための手**だ。
◇ ◇ ◇
その様子を、
少し離れた位置からミラが見ていた。
作業台。
散らばる工具。
無言で動く二人。
◇ ◇ ◇
「……あの」
ミラが、
控えめに声を出す。
◇ ◇ ◇
バルドが、
顔だけ向けた。
◇ ◇ ◇
「手伝います」
はっきりとした声。
「できることなら、何でも」
◇ ◇ ◇
一瞬、
格納区画の空気が止まった。
◇ ◇ ◇
バルドは、
ミラをじっと見てから言った。
「いらねぇ」
◇ ◇ ◇
即答。
ミラの肩が、
ほんの少し下がる。
「……そう、ですか」
◇ ◇ ◇
「勘違いすんな」
バルドは続けた。
「手は足りてる」
一拍。
「気持ちだけで十分だ」
◇ ◇ ◇
ミラは、
驚いたように目を瞬かせた。
◇ ◇ ◇
「ここはな」
バルドは、
再び作業に戻りながら言う。
「壊れたら終わりの場所だ」
「優しさは、
乗せるもんじゃねぇ」
◇ ◇ ◇
ミラは、
小さく頷いた。
「……はい」
◇ ◇ ◇
ルコールは、
そのやり取りを横目で見ただけで、
何も言わなかった。
口を出さない。
立ち入らない。
それが、
この場での正解だと知っている。
◇ ◇ ◇
クロウギアの導線を確認し、
留め具を締め直す。
金属音が、
乾いた空間に響く。
◇ ◇ ◇
「よし」
バルドが、
最後の固定具を締めた。
「今日はここまでだ」
◇ ◇ ◇
作業灯の下で、
スカイハウルは静かに佇んでいる。
まだ飛ばない。
だが――
**飛ぶ準備は、確実に整いつつあった。**
◇ ◇ ◇
外では、
風の音が強くなっている。
遠くで、
空が唸っている。
嵐は、
もう遠くない。
(第89話 了)
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