【第84話 落ちる練習】
風は、高かった。
地上の音は薄れ、
代わりに、耳鳴りのような空気の擦れる音だけが残る。
◇ ◇ ◇
「――行くぞ、フォティ」
オズマの声は、冷静だった。
その背後で、
フォティは唾を飲み込む。
足元には、何もない。
あるのは、空だけだ。
「……落ちたら、どうなる?」
「落ちる」
即答。
「だから、落ちる“前提”でやる」
◇ ◇ ◇
フォティは、苦笑した。
「……そういう訓練、嫌いじゃないですけど」
「飛べているつもりになるのが、一番危険だ」
オズマは、淡々と言う。
「君は、飛んだことがある。
だが――」
一拍。
「“戦えるほど”空を使ったことはない」
◇ ◇ ◇
フォティは、何も言い返せなかった。
確かにそうだ。
あの時は、考える余裕もなかった。
ただ、落ちて。
奇跡的に、生きていただけ。
◇ ◇ ◇
「行くぞ」
オズマが、杖を構える。
「魔法で衝撃は相殺する。
だが、姿勢制御は自分でやれ」
「了解……!」
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
フォティの身体は、
**空へ放り出された。**
◇ ◇ ◇
「――っ!」
視界が、反転する。
風が叩きつける。
身体が、言うことを聞かない。
◇ ◇ ◇
だが――
衝撃は、来なかった。
落下速度が、
不自然なほど、緩和される。
◇ ◇ ◇
「……魔法、すげぇ……」
「感心するな」
オズマの声が、上から届く。
「今は、身体を使え」
◇ ◇ ◇
フォティは、必死に腕を広げた。
空気を掴む感覚。
身体の向きを、無理やり整える。
――だが。
「……っ、難し……!」
◇ ◇ ◇
その様子を、
少し離れた場所から眺めていた影がある。
ルコールだった。
◇ ◇ ◇
「……」
彼は、何も言わない。
ただ、
風の流れを見ていた。
いや――
**感じていた。**
◇ ◇ ◇
「偵察に出る」
短く告げる。
オズマが視線を向けた、その時――
◇ ◇ ◇
「……私も、行く」
ミラが、そう言った。
◇ ◇ ◇
一瞬の沈黙。
「危険だ」
ルコールが言う。
「分かってる」
ミラは、視線を逸らさなかった。
「でも……」
一拍。
「ここで待つ方が、怖い」
◇ ◇ ◇
ルコールは、
彼女を見つめた。
その輪郭が、
一瞬だけ――
過去の記憶と、重なりかける。
◇ ◇ ◇
「……動くなよ」
それだけ言って、
ルコールはミラの身体を引き寄せた。
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
二人の足元から、
**地面が消えた。**
◇ ◇ ◇
「――っ!」
ミラが、思わず息を詰める。
だが、落下の衝撃は来ない。
◇ ◇ ◇
外套が、
風を受けて大きく広がる。
まるで――
**ムササビの翼**のように。
◇ ◇ ◇
ルコールは、
巧みに身体を傾けながら、
落ちているのではなく、
**降りていた。**
◇ ◇ ◇
「……飛んでる……?」
ミラが、思わず呟く。
「違う」
ルコールは即答した。
「ただ、落ちているだけだ」
◇ ◇ ◇
その言葉に、
少し後方で様子を見ていたオズマが、
目を見開く。
「……いや」
思わず、声が漏れた。
「あれは――」
◇ ◇ ◇
重心は一定ではない。
抱えているのは、人間だ。
恐怖で、
無意識に力が入る。
それを――
**空中で、制御している。**
◇ ◇ ◇
「……信じられん」
オズマは、息を呑んだ。
「重量武器ですら難しい技量だぞ……」
◇ ◇ ◇
だが、ルコールは振り返らない。
ただ、
風と対話するように、
静かに、
滑空を続けていた。
◇ ◇ ◇
ミラは、
その胸元で、
初めて――
空が、怖くないと感じていた。
◇ ◇ ◇
落ちる練習は、
続いている。
それぞれの形で、
それぞれの理由を抱えながら。
(第84話 了)
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