【第80話 嵐は動く】
ギルドマスターの執務室は、夜になると余計に狭く感じられた。
灯りは一つ。
机の上には地図と書類。
壁際には使い込まれた椅子が三つ。
ロウグ、バルド、ルコール。
自然と、この三人だけが残っていた。
◇ ◇ ◇
「……おかしいな」
ロウグが、低く呟いた。
机の上の紙束を一枚、また一枚とめくっていく。
「最近の報告だ。
雷雨、突風、視界不良……」
「よくある話じゃねぇのか」
バルドが椅子にもたれ、片足を組む。
「王都の外じゃ、天候なんざ気まぐれだ」
「“よくある”ならな」
ロウグは顔を上げない。
「だが、これは違う」
◇ ◇ ◇
「発生時間が短い。
長くて数刻」
「それでいて、被害は出ていない」
指先が、地図をなぞる。
「……不自然だ」
◇ ◇ ◇
「被害がないのが、不自然?」
バルドが首を傾げる。
「ああ」
ロウグは頷いた。
「嵐ってのはな、
何かを壊すために来る」
「通り過ぎるだけなら、
ただの“現象”だ」
◇ ◇ ◇
「……通り過ぎてる、のか?」
バルドの声が低くなる。
ロウグは、ようやく顔を上げた。
「いや」
一拍。
「“通っている”」
◇ ◇ ◇
その言葉に、
ルコールの視線が、わずかに動いた。
「……」
何も言わない。
だが、沈黙が長い。
◇ ◇ ◇
「ルコール」
ロウグが名を呼ぶ。
「何か、引っかかるか」
◇ ◇ ◇
ルコールは、しばらく考えてから口を開いた。
「……似た感覚がある」
「感覚?」
バルドが反応する。
◇ ◇ ◇
「風だ」
短い言葉。
「自然の風じゃない」
◇ ◇ ◇
「説明できるか?」
ロウグが促す。
◇ ◇ ◇
「できない」
即答だった。
「だが――」
一拍。
「流れがなかった」
◇ ◇ ◇
「……風に、流れがない?」
バルドが眉を寄せる。
◇ ◇ ◇
「普通、嵐は抜ける」
ルコールは続ける。
「高度を変えれば、雲は切れる。
距離を取れば、音は遠ざかる」
「だが、あれは違った」
◇ ◇ ◇
「追ってきた、って顔だな」
バルドが低く言う。
◇ ◇ ◇
ルコールは、否定しなかった。
「包まれた、に近い」
◇ ◇ ◇
ロウグが、地図に指を落とす。
「……やはりな」
◇ ◇ ◇
「何だ?」
バルドが問う。
◇ ◇ ◇
「空域だ」
ロウグは言った。
「点じゃない。
線でもない」
一拍。
「“範囲”だ」
◇ ◇ ◇
「つまり?」
◇ ◇ ◇
「何かが、空を占有している」
声が低くなる。
「航路から外れ、
高度も一定じゃない」
「だが、人が行き来できる程度には
“下にある”」
◇ ◇ ◇
「……動いてるな」
バルドが、ぽつりと呟いた。
◇ ◇ ◇
「固定拠点なら、
いずれ見つかる」
ロウグは頷く。
「だから、動かす」
◇ ◇ ◇
「嵐で包んで?」
◇ ◇ ◇
「目隠しとしては、最適だ」
ロウグは淡々と言う。
「近づけば危険。
だが、避ければ“何もない空”になる」
◇ ◇ ◇
しばし、沈黙。
◇ ◇ ◇
「……空母か」
バルドが言った。
仮説ではなく、
現実として。
◇ ◇ ◇
「規模は?」
◇ ◇ ◇
「町ひとつ分はあるだろうな」
ロウグは答えた。
「人が暮らせる。
研究ができる。
兵を動かせる」
◇ ◇ ◇
ルコールが、低く息を吐く。
「……だから、風が死んでた」
◇ ◇ ◇
「動力がある」
ロウグが言った。
「生き物じみた、な」
◇ ◇ ◇
バルドは、無言で天井を見上げた。
「……面倒な相手だ」
◇ ◇ ◇
「だが」
ロウグは、はっきりと言った。
「見えない相手じゃない」
「嵐は、動く」
「なら、追える」
◇ ◇ ◇
夜は、まだ深い。
だが、
空のどこかで動く“影”は、
確実に輪郭を持ち始めていた。
◇ ◇ ◇
同じ夜。
ギルドの宿泊区画の一室では、
別の静けさがあった。
窓は閉め切られ、
外の風は届かない。
その代わり、
灯りの下で布が擦れる音だけが響いている。
◇ ◇ ◇
「……その服」
フォティが、少しだけ視線を逸らしながら言った。
「似合ってる」
◇ ◇ ◇
ミラは、動きを止めた。
鏡代わりの金属板の前。
昼に買った服の一つ。
淡い色で、
どこにでもいる旅人の装い。
教会の名残は、どこにもない。
◇ ◇ ◇
「……ほんと?」
確認するような声。
褒められることに、
まだ慣れていない響きだった。
◇ ◇ ◇
「うん」
フォティは、短く頷く。
「その……」
一拍。
「“誰かの役”じゃなくて、
ちゃんとミラ、って感じがする」
◇ ◇ ◇
ミラは、服の袖をきゅっと掴んだ。
聖職者でも、
被験体でもなく。
ただの――
「……変じゃない?」
「変じゃない」
即答だった。
◇ ◇ ◇
沈黙。
だが、
居心地の悪い沈黙ではない。
◇ ◇ ◇
「ねえ、フォティ」
ミラが、ぽつりと聞く。
「……私、
ちゃんと“外”にいるんだよね」
◇ ◇ ◇
フォティは、少し考えてから答えた。
「うん」
「それに」
一拍。
「戻らなくていい場所だ」
◇ ◇ ◇
ミラは、
その言葉を噛み締めるように目を伏せた。
胸の奥で、
まだ痛むものはある。
壊れたものも、
失ったものも、消えてはいない。
◇ ◇ ◇
それでも。
今、
この服を着て立っている自分は――
確かに、
教団の外にいる。
◇ ◇ ◇
「……ありがとう」
小さな声。
◇ ◇ ◇
「どういたしまして」
フォティは、少し照れたように言った。
◇ ◇ ◇
外では、
嵐がどこかを通り過ぎている。
だが、
この部屋の中だけは静かだった。
ミラの服が、
ちゃんと“今の彼女”に似合っていることを、
世界がまだ知らなくても。
それでいい。
◇ ◇ ◇
(第80話 了)
よろしければ、評価と気に入っていただければブックマークをお願いします。
執筆の励みになります。




