【第77話 着せ替える者】
裏路地の店は、どこも似た匂いがした。
湿った石畳。
古い布。
洗いきれない人の気配。
王都の表通りでは決して扱われないものたちが、
ここでは当たり前の顔で並んでいる。
◇ ◇ ◇
「……この辺りだな」
フォティは、布切れを無造作に吊るした店の前で足を止めた。
看板はない。
店名もない。
だが、旅装束としての“勘”が、
ここが間違いないと告げていた。
ミラは、少し離れた場所で立ち止まっている。
視線は服に向いているが、
触れようとしない。
触れれば、
何かを選ばなければならなくなる。
今の彼女には、
それが重かった。
◇ ◇ ◇
「……質は悪くない」
オズマが低く言った。
「目立たない色。
どこにでもいる旅人用だ」
「うん」
フォティは頷く。
そして、懐から袋を取り出した。
じゃらり、と音が鳴る。
詰め込まれた金属の重さは、
明らかに一人分ではなかった。
◇ ◇ ◇
「……それ」
オズマが目を細める。
「バルドから預かった金か」
「うん」
「……全部?」
「全部」
即答だった。
オズマは一瞬、言葉を失う。
「……使い切るつもりか?」
「多分」
◇ ◇ ◇
店主が、様子を伺うように顔を出した。
「お客さん……選ぶなら――」
「これと」
フォティは布の束を指差す。
「それも。
あと、その奥のも」
「え……?」
「全部ください」
店主の口が、わずかに開いたまま止まった。
◇ ◇ ◇
「……おい」
オズマが小さく声を落とす。
「それ、冷静な判断か?」
フォティは少しだけ考え、
首を横に振った。
「多分、違う」
「だろうな」
「でも」
一拍置いて、続ける。
「今は、これでいい」
◇ ◇ ◇
服は次々と積まれていく。
外套。
動きやすい上着。
汚れても目立たない色のズボン。
サイズ違いも、形違いも。
用途の説明も、着せ替えもない。
ただ、積む。
◇ ◇ ◇
「……そんなに、いらないよ」
ミラが、小さく言った。
声は震えていない。
だが、どこか遠い。
フォティは振り向く。
「いる」
短く、はっきり。
「今は、選ばなくていい」
ミラの指が、外套の端を掴みかけて止まる。
◇ ◇ ◇
「……着ないと、意味ないんじゃない?」
ミラの問いは、
理屈ではなく、不安だった。
フォティは少し考え、
首を振る。
「今日は、着なくていい」
「……え?」
「持ってくだけでいい」
◇ ◇ ◇
選ばなくていい。
決めなくていい。
似合うかどうかも、今は考えなくていい。
ただ、
“選択肢がある”という事実だけを持っていればいい。
その意味を、
ミラは言葉ではなく、感覚で理解した。
◇ ◇ ◇
「……暴挙だな」
オズマがぽつりと呟く。
「帰ったら、バルドは確実に怒る」
「うん」
フォティは頷いた。
「多分、すごく」
「止めないのか?」
「止めない」
◇ ◇ ◇
オズマは一度、目を伏せた。
そして、静かに言う。
「……それでいい」
王子としての判断ではない。
だが、人としての判断だ。
◇ ◇ ◇
店を出る頃には、
袋は両手に収まりきらなくなっていた。
布の重み。
金の重み。
そして、決断の重み。
ミラが、小さく尋ねる。
「……どれ、着ればいい?」
フォティは袋を持ち直しながら言った。
「今日は、着なくていい」
同じ答え。
だが、今度はミラが迷わず頷いた。
「……うん」
◇ ◇ ◇
彼女は、まだ壊れている。
だが、
壊れたままでも、
“選ばなくていい時間”があることを知った。
◇ ◇ ◇
路地の出口で、
オズマが足を止める。
「……なあ」
「?」
「バルドの顔、想像できるか?」
フォティは、少しだけ考えた。
「……多分」
「どんな?」
「静かに怒る」
オズマは、短く笑った。
「だろうな」
◇ ◇ ◇
三人は、人混みに紛れていく。
まだ名乗れない顔で。
まだ選べない未来を抱えたまま。
だが、
確実に前へ進みながら。
(第77話 了)
よろしければ、評価と気に入っていただければブックマークをお願いします。
執筆の励みになります。




