【第56話 零れた酒と兆し】
王都の酒場は、遅い夜になると騒がしい。
人の声、笑い声、グラスの触れ合う音。
それらが混ざり合い、この都が平穏であると主張しているようだった。
バルドは、その喧騒の中で2人で酒を飲んでいた。
向かいに座るのは、ロウグ・ヴェンター。
王都ギルドマスターにして、この酒場を切り盛りする男だ。
古い付き合いだが、今夜の顔はいつもより硬い。
「……で?」
短く促すと、ロウグは一度だけ周囲を見回した。
誰もこちらを気にしていないことを確かめ、声を落とす。
「最近な。依頼とは別口で、妙な話が増えてる」
「妙、ね」
「普通なら、表に出てこない類の話だ」
バルドは黙ってグラスを傾けた。
急かさない。
こういう話は、言わせた方がいい。
「王都の中で処理されるはずの情報がある」
「……処理、か」
「そうだ。
“処理されている”と、皆が思っていた類のやつだ」
その言い回しに、バルドの指が止まった。
「……出たな」
ロウグは、ゆっくりと頷く。
「噂程度だ。証拠も形もない」
「だが?」
「出ちゃいけねぇ場所に、出てる」
バルドは、静かにグラスを置いた。
音は小さいが、空気が一段沈む。
「そいつは、悪い知らせだな」
低い声だった。
「悪い……知らせ?」
ロウグが聞き返す。
「ああ。相当にな」
「噂話だぞ。
誰かの憶測かもしれん」
「それでもだ」
バルドは視線を逸らさない。
「“外に出さねぇ”って決めた話がよ、
こうして俺たちの耳にまで届いてる」
一拍、置く。
「それだけで、十分すぎる」
「……どういう意味だ」
「隠蔽ってのはな、親父」
バルドは淡々と言った。
「完璧なうちは、“気配”すら残さねぇんだ」
グラスの縁を、指でなぞる。
「噂になるってのは、もう遅い。
誰かがヘマをしたか――」
少しだけ、言葉を切る。
「あるいは」
視線が鋭くなる。
「もう、“隠す必要がなくなった”か、だ」
ロウグは、すぐには答えなかった。
酒を一口飲み、しばらく黙る。
「……最悪の道を歩き始めた、ってことか」
「そうだ」
バルドは短く頷く。
「引き返せねぇやつだ」
そこで、バルドは少しだけ間を置いた。
「……もし、だ」
視線を外さず、低く続ける。
「俺たちがよ。
その“悪い知らせ”の件で、もう動いてるって言ったら?」
ロウグの表情が、わずかに強張った。
「……聞かなかったことには、できねぇ話だな」
「だろうな」
「それは、依頼か?」
「いや」
バルドは首を振る。
「まだ、そういう形にしちゃいねぇ」
ロウグは、苦笑とも諦めともつかない表情で息を吐いた。
「……俺は、酒場の親父だぞ」
「知ってる」
「国を動かす立場じゃない」
「だから話を聞いてる」
しばし、沈黙。
酒場の喧騒が、やけに遠い。
「……嫌な時代だな」
ロウグの呟きに、
バルドは答えなかった。
答えられなかった。
王都は静かだ。
だが――
静かすぎる。
(第56話 了)
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