【第44話 急げない道】
馬車は、一定の速さで進んでいた。
速くはない。
だが、止まりもしない。
舗装の甘い街道を抜け、土の匂いが濃くなるにつれて、
揺れは少しずつ大きくなっていく。
ルコールは操者席で手綱を握り、前だけを見ていた。
進路を変えることも、速度を上げることもできる。
――だが、しない。
後ろを振り返らなくても分かる。
この旅の速度は、もう自分一人で決めるものじゃない。
フォティとミラは、並んで腰を下ろしていた。
言葉は多くない。
だが、沈黙が重たいわけでもない。
ミラは外の景色を見ていた。
畑、低い森、点在する民家。
どれも、今まで知っていた世界とは違う。
風が吹くたび、ミラの髪が揺れる。
その動きが視界に入るたび、フォティは一瞬だけ視線を逸らした。
「……あ、あの……」
声をかけかけて、止まる。
「……なに?」
ミラが不思議そうに首を傾げる。
「……いや……その……」
フォティは言葉を探し、結局何も出てこず、
小さく首を振った。
「……なんでもない……」
ミラは少しだけ考えたあと、
気にする様子もなく、また外を見た。
それだけのやり取りだった。
だが、フォティの胸の奥は、妙に落ち着かない。
隣にいるだけなのに、
それまでと同じ距離のはずなのに。
――何かが、少し違う。
バルドは馬車の後方で、周囲と荷を確認している。
地面の状態、雲の流れ、風向き。
「この道、思ったより人が少ねぇな」
「教団の動きか?」
ルコールが前を向いたまま答える。
「さあな。
だが、検問が近いってことだろ」
それ以上は言わない。
急げば、もっと距離は稼げる。
だが、無理をすれば、誰かが崩れる。
(……守ると決めた時点で)
速度は、選べなくなる。
ルコールはその事実を、静かに受け入れていた。
◇ ◇ ◇
その日の夜は、街道を外れた小さな空き地で過ごした。
簡素な夜営。
火を起こし、短い食事をとる。
ミラは焚き火を、不思議そうに見つめていた。
揺れる炎。
ぱち、と爆ぜる音。
「……これ……あったかい……」
「火、だからな」
フォティの返事は、少し素っ気ない。
自分でも、なぜそんな言い方になったのか分からなかった。
夜が更け、ミラは先に横になる。
呼吸は、すぐに規則正しくなった。
フォティはしばらく眠れず、空を見ていた。
星が、思ったより多い。
◇ ◇ ◇
翌朝。
馬車は、また同じ速さで走り始めた。
景色は似ている。
だが、確実に距離は縮んでいる。
昼前、ミラが少しだけ歩調を崩した。
「……平気……」
言葉は先に出たが、
フォティはそれを真に受けなかった。
だが、何も言わない。
代わりに、ルコールが自然に馬車を止めた。
「ここで休む」
理由は言わない。
バルドも、当然のように荷を下ろす。
ミラは一瞬だけ戸惑ったが、
すぐに腰を下ろした。
「……ごめ……」
「違う」
フォティは即座に言ってから、
自分で驚いたように口を閉じた。
「……あ……」
ミラはきょとんとしてから、
小さく笑った。
「……ありがとう……」
それだけで、胸の奥が少し軽くなる。
◇ ◇ ◇
夕方。
再び夜営の準備に入る頃、
バルドが遠くを見て呟いた。
「明日の朝だな」
「国境か」
「ああ」
ルコールは火のそばに腰を下ろし、前を見た。
急げない。
だが、止まる気もない。
ミラは火のそばで、静かに眠っている。
フォティは、その寝顔を見てから、そっと視線を逸らした。
このまま進めば――
明日の朝には、国境に着くだろう。
(第44話 了)
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