【第29話 暴走する闇の胎動】
――その日、ルコールは司令部の一室にいた。
保護区画の閲覧権限。
いつもなら軍医や参謀だけが扱える、極めて限定的な許可だ。
「新設実験ラインの攻勢データだ。
お前の“前線経験”が必要でな。」
クロウの言葉は淡々としていたが、その奥にある期待は濃かった。
死神と呼ばれるほどの突破力。
彼の“眼”と“嗅覚”だけは、実験と戦術の双方で高く評価されている。
「……了解。」
ルコールは最低限の返事をし、端末に視線を落とす。
戦場の残骸。
祈りの器の分解記録。
魔物因子との接合試験……。
どの画面にも、血と鉄と絶望が貼りついていた。
――これが、俺が送ってきた“保護者”の末路かよ。
胸の奥に何度目かの苛立ちが走った、その時だった。
端末にノイズが走った。
同時に、司令部のメインモニターがちらつく。
バチッ。
赤い警告灯が点滅し、司令室がざわめきに包まれた。
『警報。実験区画Bにて制御不能事象――』
「……暴走か。」
ラドクリフが、うっすら笑った。
研究者らしい、狂気じみた興味の光が瞳に宿る。
「試作融合体《Ma-β3》だな。
ちょうどいい、データが欲しいところだった。」
「てめぇ……人が死んでんだぞ。」
「素材だよ。君も知ってるだろう?」
怒鳴り返す余裕はなかった。
次の瞬間、クロウが鋼の声で命じた。
「ルコール軍曹。近い。
侵入許可パスキーを発行する。B区画へ急行し、制圧に回れ。」
軍曹の肩章に、電子キーが投げ渡される。
命令というより、“最適解の提示”だった。
「わかったよ、作戦屋。」
ルコールは外套を払って駆け出した。
◇ ◇ ◇
実験棟の廊下は、すでに地獄だった。
焦げた臭い。
赤い非常灯。
崩れたパイプから蒸気が噴き出し、どこかで誰かが泣き叫ぶ声。
「セナ、逃げて――!」
震えた叫びが、廊下に飛び散った。
耳が覚えている声だった。
優しい歌声。
それとは似ても似つかない、悲鳴に似た叫び。
セラだ。
角を曲がると、飛び込んできた光景にルコールは息を呑んだ。
――小柄な少女が、必死に両腕を広げていた。
――その背に隠れるように、セナが震えていた。
――その正面に、暴走体がいた。
皮膚が裂け、魔物のような角と牙が飛び出し、
それでも人間の名残を残した、悲惨な融合体。
「下がってろ……!」
ブルッ、と暴走体の首が跳ねた。
疾走する影。
ルコールは地を蹴り、銃剣を横へ。
刃と爪がぶつかり、衝撃が腕を伝って骨を軋ませた。
「……っ、ぐ!」
暴走体は、泣いていた。
喉が裂けるような声で、ひとつの単語だけを繰り返していた。
「……いや……いやだ……
こわい……やめて……
……もう、やだァ……!」
人間の声だった。
この“兵器”が、どんな目に遭ってきたのか――
想像ではなく、現実として突きつけられる悲鳴。
ルコールは、刃を深く構え直した。
「――眠れ。」
それ以上は、苦しませない。
刃が一閃。
魔物の咆哮が途中で途切れ、暴走体は崩れ落ちた。
◇ ◇ ◇
「ルコ兄……?」
消え入りそうな声が背後から届いた。
振り返ると、セナが震えた目でルコールを見上げていた。
その呼び方は、知らぬ間に彼女の口から滑り落ちたもの――
**無意識が選んだ“救いの形”だった。**
「ルコ兄……怖かった……!」
次の瞬間、セナは駆け寄ってきて、ルコールに縋りついた。
頬を濡らした涙が、布に染みていく。
その後ろで、セラは歯を噛み締めていた。
震えながらも、まっすぐにルコールを睨む。
その瞳の奥には――恐怖よりも強い何かが燃えていた。
「……私が……守らなきゃ……」
セラの声は小さかったが、確かな意志があった。
セナを抱く腕に力を込めるようにして、続けた。
「セナを守るのは、私……
絶対に……」
その言葉は、ルコールの胸に突き刺さる。
――守るべきは、ここにいた。
――この世界で生きる資格があるのは、兵器じゃなく、こいつらだ。
背後では、警報が鳴り続ける。
これがただの暴走事故で終わらないことは、ルコールにもわかっていた。
(……次は、こいつらが“素材”にされる番だ。)
その想像だけで、喉の奥が焼けるように苦くなる。
「行くぞ。ここはもう安全じゃねぇ。」
ルコールは二人を抱き寄せ、崩れた通路の奥を見据えた。
――ここから三人で抜け出す。
その決意が胸に固まった瞬間だった。
(第29話 了)
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