【第13話 影の研究室】
書き溜めていた分を見直したりしていて日付変わったら投稿するつもりが遅くなりました。
※2026/01/12 イラストを更新しました
【第13話 影の研究室】
――冷たい光が、床を白く洗っていた。
手術台の周囲には、円弧を描くように器具が並ぶ。鉗子、管、脈動を映す黒い計器。鼻腔に刺さるのは薬液と金属の匂いだ。天井から吊られた照明は、祈りの燭台にも似て、しかしここで祈る神はひとりもいない。
「記録開始。素体—零七、事前同調指数八四・二。呼吸浅し、熱は平常。拒絶反応なし」
白衣の男が乾いた声で告げた。白金色の瞳孔の紋章が胸章に刻まれている。ラドクリフ――《世界救済団体》開発主任。弱った心音が部屋の壁に反響するたび、彼の目は、獣医が子猫の呼吸を数えるような静けさで瞬きした。
「お前の分類は“奇蹟”だ、少女。奇蹟は測定できる。測定できるものは、再現できる」
眠る少女の睫毛が微かに震える。手首に巻かれた布には、まだ消えない名が刺繍されていた。〈Sena〉。その上から、無機のタグが被せられている。〈素体—07〉。名は剥がされ、番号だけが残る。
胸元には、小さく割れた青いペンダントが下がっていた。
亀裂の隙間から、時折、淡い光が漏れる。
ラドクリフはその光を一瞥しただけで、あえて記録に残さなかった。
金属扉が開き、冷気が一枚流れ込む。黒い軍装の男が入ってきた。銀灰の短髪、赤銅色にかすか発光する瞳。クロウ――作戦監督官。歩みは音もなく、視線は部屋を一巡して即座に要所へ収束する。
「時間だ」クロウは短く言った。「護送ルートは変更する。陸路は囮に回す。空路を主軸だ」
「判断は妥当だ」ラドクリフは微笑にもならぬ唇の動きを見せる。「空は冷える。冷えるほど、光は澄む」
「問題は“光”ではない。人間の方だ」クロウの視線が少女で止まる。「動かせるのか」
「動くように作るのが私の仕事だ」
クロウの目が、白衣の袖口にこびりついた薄い茶色の染みを掠める。「祈りの器は壊れやすい」
「器が壊れるのではない。願いが脆いのだ」ラドクリフは淡々と言い、計器の波形を指先でなぞる。「願いはやがて形になる。形になったそれを“神”と呼ぶか、“兵器”と呼ぶかは、いつだって兵站が決める」
「私は兵站ではない。作戦だ」クロウは視線を逸らさない。「作戦は、失敗しないために在る」
「ならば、失敗の定義を作り替えればいい」ラドクリフは少女の額から汗を拭い、清拭布を交換する。「この世界は、すでに失敗している。火も、水も、風も、土も――救済を必要としている。私たちはそれを与える。たとえ、その過程で何かが焼け落ちるとしても」
計器の鼓動が、ひとつ深く沈み、また浮かぶ。少女の胸が小さく上下した。ラドクリフがわずかに目を細める。
「見たまえ。光因子の“穏やかな寄り”。彼女は、呼び合っている」
「何と呼び合う」クロウ。
「同じ光だ。遠くで、別の“残滓”が揺れている。――気配がある」ラドクリフは、まるで旧友の所在を地図上で示すかのように、観測紙にペン先を置いた。「座標は東帯。距離は可変。おそらく、歩いている」
「歩く光、か」クロウは目を伏せ、短く息を吐く。彼は祈らない。だが、沈黙のうちに、戦場で倒れた兵の数を数える癖がある。名も知らぬ死者の数。番号で呼ばれた者の数。彼はそれを、今日もまたひとつ増やす任務に就く。
「追撃部隊を出す」クロウは言った。「光反応は全て捕捉、無力化。対象No.07は冷却維持のまま搬送。空路二、代替港は北東」
「ふむ。港は氷の匂いがするだろう」ラドクリフは子守唄のような声で言い、少女の手を包む器具のバンドを微調整した。「彼女は、そこで目を覚ますかもしれない」
「目を覚ましたら?」
「問えばいい。『あなたは神か』と。答えが『いいえ』なら、治す。『はい』なら、量る」
「……お前は変わらないな」クロウの声は温度を持たない。「夜明け前のように冷たい」
「夜明け前は最も美しい。誰も見ていない光が満ちる」ラドクリフは振り返らず、計器に目を落とす。「君は“朝”ばかりを指揮している。私は“夜”を作る。そうして、世界に一日が巡る」
クロウは答えず、通信機に指を当てた。「こちら監督官。護送班、準備開始。陸路は偽装、空路二を上げろ。警戒級、作戦コードは――《ルーベリア》」
短い応答が返る。金属扉に手をかける前、彼は一度だけ少女を見た。眠る横顔は、幼い。どこにでもいる村の娘と変わらない。変わっているのは、世界の方だ。
「名前は」クロウが背に問う。
「名は、必要ない」ラドクリフは、乾いた指先で紙の角を揃えた。「救済の前では、全てが番号だ」
扉が閉まる音は、鐘にも似ていた。ラドクリフは静かに記録を続ける。ペンの先が紙を走り、数字が列を成す。
――その時、少女の指が、ほんのわずかに動いた。
まるで、誰かの名を掴もうとするように。
胸元のペンダントが、ひときわ強く光を漏らした。
亀裂の中に、淡い青の残滓が瞬き、すぐに消える。
計器の脈動が、目に見えない何かに共鳴する。遠い東で、別の脈が答えた。歩く光は、まだ“人”の形を保とうとしていた。
「……いい子だ」ラドクリフは囁く。「君の光は、必ず再現される」
硝子のように冷たい約束は、無邪気な眠りにそっと貼り付く。数分後、彼は胸章の白金の瞳を一度だけ指でなぞり、記録に一行を加えた。
――護送予定、空路二。代替港:北東氷港。陸路は囮。
“世界を救う手順”は、いつも項目として整然としている。そこには涙の欄はない。あるのは、成功率と必要資源、兵の消耗見積り。ラドクリフはそこに、もうひとつだけ欄を作った。
――光の純度。
彼は笑わない。笑うのは、世界が完成したときだけでいい。
(第13話 了)
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