【第102話 白翼の檻】
『――君の姫がお目覚めのようだ』
静かな声だった。
楽しんでいるわけでもない。
嘲っているわけでもない。
ただ、事実を告げる声。
その平坦さが、何より悪趣味だった。
◇ ◇ ◇
セナの身体が、ゆっくりと浮き上がる。
拘束具は外れていない。
だが、もはや必要がないと判断されたのだろう。
金属の固定具が自動で解放される。
音は小さい。
だが、その小さな「カチリ」という音が、
何かの終わりを告げた。
◇ ◇ ◇
セナの瞳が開く。
淡い水色ではない。
白金。
冷たい、無機質な光。
焦点は合っている。
だが――そこに“誰か”がいる気配は薄い。
呼吸は安定している。
痛みも、痙攣もない。
変異は完了した。
◇ ◇ ◇
ゆっくりと、セナの身体が拘束台から離れる。
足先が床に触れない。
重力に従わない。
白い室内で、
彼女だけが静かに浮いている。
そして――
背中が、裂けた。
◇ ◇ ◇
音はなかった。
血も、ほとんど飛ばない。
皮膚の内側から、
白い光が溢れる。
その光が形を持つ。
羽。
羽毛の一本一本が、淡く輝く。
純白ではない。
白金に近い白。
神話の絵画のように整いすぎた翼。
二枚。
ゆっくりと広がる。
◇ ◇ ◇
栗色の髪は、完全に消えた。
残っていない。
すべてが白。
肩まで流れていた柔らかな色は、
今や光を反射する無機質な白へと塗り替えられている。
それでも。
顔立ちは変わらない。
幼い頃から知っている輪郭。
唇の形。
睫毛の長さ。
人のままだ。
◇ ◇ ◇
『成功だ』
クロウの声。
『他の変異体とは違う』
『形状安定率、極めて高い』
『君の姫は、奇跡的に“原型”を残した』
◇ ◇ ◇
ルコールは答えない。
視線を逸らさない。
目の前の存在が、誰なのかを確かめ続ける。
◇ ◇ ◇
セナが、ゆっくりと首を動かす。
視線が、ルコールを捉える。
その瞳は冷たい。
だが――
ほんの一瞬。
ほんの一瞬だけ、
揺れた。
◇ ◇ ◇
セナの奥底。
深い、水の底のような場所。
そこに“意識”はある。
(……ここは)
身体が動かない。
命令が通らない。
声が出ない。
目は見える。
音も聞こえる。
だが、自分の身体ではない。
(……帰りたい)
強く思う。
あの場所へ。
孤児院へ。
木漏れ日の下へ。
セラの笑い声が響く場所へ。
兵隊さんの背中のある場所へ。
帰りたい。
ただ、それだけを。
◇ ◇ ◇
その願いが、形を留めた。
他の変異体は、骨格が歪む。
皮膚が裂ける。
顔が崩れる。
だが、セナは違う。
願いが、原型を守った。
人であろうとする意志が、
怪物の完成度を歪ませた。
◇ ◇ ◇
『興味深い』
クロウが呟く。
『完全な兵器にはならなかった』
『だが不完全というわけでもない』
『むしろ――』
一拍。
『“神話的”だ』
◇ ◇ ◇
セナの翼が、静かに羽ばたく。
風が起きる。
白い室内の空気が波打つ。
魔力が満ちる。
圧力が増す。
ルコールの外套が揺れる。
◇ ◇ ◇
セナの右手が、ゆっくりと上がる。
無意識の動き。
命令によるもの。
白金の光が掌に集まる。
球体。
高密度の光。
それは“魔法”と呼ぶには、
あまりに質量を持っていた。
◇ ◇ ◇
奥底で、セナが叫ぶ。
(ちがう)
やめて。
撃ちたくない。
傷つけたくない。
でも、身体は止まらない。
◇ ◇ ◇
ルコールは動かない。
避ける構えを取らない。
ただ見ている。
セナの目を。
◇ ◇ ◇
白金の光が、収束する。
発射直前。
その瞬間。
光が、揺らいだ。
◇ ◇ ◇
セナの瞳の奥で、
小さな波紋が走る。
完全支配には至っていない。
意識は、沈んでいるだけ。
消えてはいない。
◇ ◇ ◇
光が、逸れる。
ルコールの横をかすめ、
白い壁を抉る。
爆ぜない。
溶ける。
壁が、飴のように融解する。
◇ ◇ ◇
『……抵抗か』
クロウの声が、わずかに低くなる。
『面白い』
『君の姫は、まだ抗う』
◇ ◇ ◇
セナの身体が震える。
翼が大きく広がる。
光が暴れる。
制御が乱れる。
兵器としては不安定。
だが――
それは、人が残っている証。
◇ ◇ ◇
ルコールが、初めて口を開く。
「……セナ」
低い声。
命令ではない。
呼ぶ声。
◇ ◇ ◇
セナの瞳が、再び揺れる。
奥底で、涙が滲む。
(……聞こえる)
帰りたい。
まだ、帰れる。
あの声の方へ。
◇ ◇ ◇
だが、次の瞬間。
光が強制的に増幅される。
制御回路が介入した。
クロウの“合図”だ。
抗う意識を押し潰すための。
◇ ◇ ◇
『さあ、見せてもらおう』
クロウの声が響く。
『君が奪い返すのか』
『それとも――』
白い翼が、大きく広がる。
白金の圧力が空間を満たす。
神の使いのような姿。
だが、その奥底で、
少女が、帰りたいと泣いている。
◇ ◇ ◇
白翼の怪物が、ゆっくりとルコールへ向き直る。
完全な怪物ではない。
完全な人間でもない。
その中間。
祈りで形を保った存在。
◇ ◇ ◇
ルコールは、目を逸らさない。
狩人の目でありながら、
ただ一人の少女を見つめる目。
「……迎えに来た」
それだけを言う。
◇ ◇ ◇
白い室内で、
翼が羽ばたく。
光が満ちる。
戦いは、始まる。
(第102話 了)
※他作品も連載中です。
勤労に感謝を。働き続けた男の、転生スローライフ
https://ncode.syosetu.com/n1113lt/




