【第101話 白に染まる祈り】
セナの両腕と両脚は固定されていた。
金属の拘束具。
動けば痛みが返る構造だと、見ただけで分かる。
息はしている。
だが、呼吸が浅い。
痛みを抑えるために、身体が勝手に縮こまっている。
◇ ◇ ◇
ルコールの中で、何かが熱を持つ。
壊せる。
この拘束具も、この台も、この部屋も。
だが――壊した瞬間に何が起きるか分からない。
因子。
装置。
警報。
自動防衛。
理屈ではなく、狩人の直感が告げる。
今、力で切り裂けば――
セナを巻き込む。
セナが“消える”。
◇ ◇ ◇
だから、壊さない。
壊したい衝動を、喉の奥へ押し込む。
怒りは武器にならない。
怒りは判断を鈍らせる。
ルコールは、狩人の目に戻る。
敵を探す。
◇ ◇ ◇
『――ようやく来たか』
クロウの声。
低く、感情のない声。
だが、言葉だけは丁寧に整えられている。
『君が辿り着くまで、少し時間がかかったな』
◇ ◇ ◇
ルコールは言わない。
言葉は、ここでは不要だ。
クロウはそれを理解しているのか、淡々と続ける。
『安心しろ。直接は出ない』
『今はまだ、君に“見てもらう”段階だ』
◇ ◇ ◇
白い照明が、一段だけ強くなる。
セナの輪郭が鮮明になる。
汗の粒。
震える睫毛。
噛み締められた唇。
そして――
彼女の瞳。
淡い水色ではない。
その奥に、光がいる。
白金の、冷たい光。
セナの髪が、ふわりと揺れた。
動いていないのに。
空気が揺れたのではない。
力が揺れた。
髪の先から、白が広がる。
一本、一本が“燃える”ように白くなる。
栗色が、奪われていく。
彼女の色が、消えていく。
◇ ◇ ◇
セナは、ルコールを見た。
最初は焦点が合っていなかった。
だが、次の瞬間。
視線が刺さるように定まる。
「……ル、コ……」
声が出ない。
喉が震えて、音にならない。
それでも、呼ぶ形だけは残る。
口が、動く。
名前を呼ぶ。
◇ ◇ ◇
ルコールの胸が、わずかに痛む。
痛みを感じるのが悔しい。
だが、ここで“感じない”ほうが嘘だ。
彼は一歩だけ近づく。
床の白さが靴音を吸う。
「……生きてたな」
それだけ。
それ以上は言えない。
言えば、全部溢れる。
◇ ◇ ◇
セナの唇が震える。
笑いたいのか、泣きたいのか分からない顔になる。
そのとき――
セナの身体が、びくりと跳ねた。
拘束具の内側で、筋肉が勝手に痙攣する。
白い光が、胸元から脈打つ。
まるで呼吸の代わりに、
“何か”が鼓動している。
◇ ◇ ◇
セナは歯を食いしばった。
痛みを飲み込むためではない。
声を漏らさないため。
悲鳴を出せば――負ける。
そう思っている顔だ。
その意志が、痛々しいほど強い。
◇ ◇ ◇
『見事だ』
クロウが言う。
『君の“姫”は、まだ折れていない』
『だが――時間の問題だ』
◇ ◇ ◇
セナの内側で、何かが動く。
肌の下を走る光の線が、増える。
肩から腕へ。
腕から指先へ。
指先が、わずかに白く透ける。
血ではない。
血色ではない。
白金が、身体を塗り替えていく。
◇ ◇ ◇
セナは、自分の変化を見ない。
見れば崩れると分かっている。
だから、ルコールだけを見る。
“ここにいる”ものを、掴む。
目を逸らせば、自分が消える。
だから見る。
◇ ◇ ◇
(だいじょうぶ)
セナの胸の奥で、声がする。
(まだ、わたしは、わたし)
痛みが走るたびに、思い出す。
孤児院の朝。
木漏れ日。
薬草の匂い。
小さな笑い声。
セラの声。
そして――兵隊さん。
あの背中。
あの手。
あの不器用な優しさ。
(わたしは、あの人に――)
言葉が続かない。
続けたら、涙が出る。
涙が出たら、折れる。
だから、飲み込む。
◇ ◇ ◇
「……やめろ」
ルコールの声が低く落ちる。
それは誰に向けた言葉か分からない。
クロウか。
この装置か。
それとも――世界か。
『やめる?』
クロウが笑う気配だけを滲ませる。
『君は止められない』
『止めたければ、手段を選べ』
『破壊するか、奪うか、殺すか』
『――君は、どれを選ぶ?』
◇ ◇ ◇
ルコールの指が、拘束具へ伸びる。
掴めば壊せる。
だが、壊した先に何がある。
セナの胸元の刻印が脈を打つ。
装置の一部ではない。
セナ自身が“装置”になりかけている。
ここで乱暴に外せば、
彼女の内側が弾ける。
◇ ◇ ◇
狩人の直感が、もう一度告げる。
今は壊すな。
今は奪え。
今は――“持ち帰れる形”を見つけろ。
◇ ◇ ◇
ルコールは、拘束具の構造を見る。
力で壊すのではない。
外すために見る。
鍵の位置。
固定点。
解除の順序。
敵はわざと難しくしている。
時間を奪うために。
時間が奪われれば、セナが変わる。
変われば、心が折れる。
心が折れれば――
彼女は“別のもの”になる。
◇ ◇ ◇
セナが、息を吐いた。
音にならない息。
喉の奥で、短く震える。
泣きそうな顔を、必死で抑えている。
その瞬間。
セナの瞳の光が、いちどだけ揺れる。
白金の冷たさの奥に、
ほんのわずか――温度が戻る。
人の光。
セナの光。
◇ ◇ ◇
「……ルコール」
今度は、声になった。
小さい。
掠れている。
だが、確かに彼女の声だ。
「……ごめん、ね」
謝るな。
ルコールの喉が動く。
言いたいのに言えない。
言えば、全部壊れる。
だから言う。
短く。
「謝るな」
◇ ◇ ◇
セナの睫毛が震える。
涙は出ない。
出せない。
出したら負けるから。
彼女はそれを知っている。
だから笑う。
笑ってしまう。
苦しいのに。
痛いのに。
それでも――見つめて、笑う。
◇ ◇ ◇
『美しい』
クロウが言う。
『抗う姿は、いつ見ても美しい』
『だが君は知っているだろう?』
『人は、美しいままでは死ねない』
◇ ◇ ◇
照明が、ほんの少し落ちる。
代わりに、拘束台の下が淡く光る。
魔法陣のような回路。
発動準備。
クロウの“合図”だ。
ここから先は、変異が加速する。
見せるための演出が、始まる。
◇ ◇ ◇
セナの体が、再び跳ねる。
肩が反り、背中が硬直する。
痛みに抗うために、筋肉が勝手に引き攣る。
白金の線が、胸から喉へ上がる。
声が塞がる。
呼吸が詰まる。
◇ ◇ ◇
「……っ」
セナは声を漏らさない。
歯を食いしばる。
唇が切れる。
血が滲む。
赤が、白い世界でやけに鮮やかだ。
それでも――
セナは目を逸らさない。
ルコールだけを見る。
◇ ◇ ◇
ルコールの中で、何かが崩れそうになる。
怒りが膨らむ。
破壊したい。
全部終わらせたい。
だが、終わらせればセナが消える可能性がある。
狩人の思考に戻す。
戻す。
戻す。
戻す。
それでも、胸の奥が熱い。
◇ ◇ ◇
「……クロウ」
ルコールが、初めて名前を口にした。
低く、短く。
それだけで、空気が変わる。
狩人が獲物を見つけた声だ。
◇ ◇ ◇
『君がその声で呼ぶのは、久しぶりだ』
クロウは淡々と返す。
『良い』
『そのほうが、長年の宿敵として相応しい』
◇ ◇ ◇
セナの髪が、さらに白くなる。
栗色は、もう半分も残っていない。
それでも、彼女の瞳は――まだセナだ。
まだ、人だ。
まだ、ここにいる。
◇ ◇ ◇
ルコールは、セナの手に触れない。
触れれば、崩れる。
だが、声だけは落とす。
「……耐えろ」
命令だ。
祈りではない。
彼らしい言葉で、彼女を繋ぐ。
「俺が――」
一拍。
「……連れていく」
◇ ◇ ◇
セナの瞳が揺れる。
涙が出そうになる。
だが堪える。
堪えて、頷く。
ほんの小さく。
それだけで――彼女はまだ折れていない。
◇ ◇ ◇
白い室内で、時間が重く流れる。
クロウの仕掛けが動き始めている。
変異は止まらない。
痛みは強くなる。
心は折れそうになる。
それでも。
セナは、ルコールを見る。
ルコールは、壊さずに奪う道を探す。
互いの光だけを頼りに。
◇ ◇ ◇
そして――
天井の奥、見えない場所で。
“合図”の音が、もう一度だけ鳴った。
これが本番だと告げるように。
(第101話 了)
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