第3話 めくるめく甘い日々
昼休みはめいちゃんの手作り弁当を一緒に食し、放課後は寄り道をしつつ二人で並んで夕暮れを歩く。
休日は仲良く手を取り合ってお洒落にデート。
恋人がいる生活というものがこんなに楽しいものだったのだということを、倫太郎はめいちゃんに出会って初めて知った。
今まで恋人という存在をつくったことが無かった倫太郎には、どれも新鮮で刺激的な毎日だったのである。
めいちゃんの気持ちを受け入れることにしてからこちら、倫太郎は秘密を抱えたまま、そんな甘い日々を過ごしていた。
「いやまったく、恋とは素晴らしいものだよ。彼女と歩けば、そこらの道端に生えている何でもない雑草ですら急に愛おしく見えてくる」
めいちゃんと付き合い始めて数週間、事あるごとに彼女とのめくるめく日々を自慢して回るのは、既に倫太郎の日課になっている。自慢する相手は主に、同じマンションに住み、同じ高校に通う、いつ顔を突き合わせてもゲームに明け暮れる友人ジョーだ。
この日は、週末にめいちゃんとゲーセンで撮ったツーショット写真を自慢しに来ていたところだった。
「ああ、本当に、なんて素晴らしい毎日だろう!」
「そりゃよかったな」
ジョーは相変わらず冷静に画面に向かったまま、忙しなく指を動かしている。この日のゲームは、引き抜いた根っこを仲間にして回るRPGゲームのようだった。
何が面白いのか全く分からないが、十数年前に爆発的に大ヒットし、社会現象まで巻き起こしたゲームの復刻版である。倫太郎たちが生まれる前に等しい程の過去に流行ったものらしいが、当時、「あなたのために闘って食べられても、愛してくれとは言わないよ」という自虐テイストのCМソングとともに話題になったことは、今の同級生たちは知らないだろう。
「けどリン、お前ちょっと浮かれ過ぎだぞ」
「何? どこがだ」
「楽しむのはいいが、全く地に足がついてない」
「おほっ、地に足がついてないだと? これは、まったく上手いことを言う! 確かに俺は地に足がついていない。浮いているからな! どうしたジョー、珍しく上手いことを言うではないか」
「それそれ、そういうところだよ」
そう言われても、倫太郎には何のことやら、だ。幸せを幸せだと感じられる分だけ十二分に満喫して何が悪い。
ただのやっかみか? と思いながら、冗談めかしてジョーの言葉を受け流す。
「おいおい、何だ? 俺が相手をしなくて寂しいからって拗ねているわけではあるまい」
「はあ? 俺がなんでだよ」
画面から目を離してこちらを向いてまで片眉を跳ね上げたところを見ると、どうやら本気で不本意な言葉だったらしい。
落ち着け、冗談に決まっているではないか。
「しかし、本当に楽しいのだよ。今までどうして知らなかったのかと思う程、世界がきらきらと美しく輝いて見える」
「……驚く程に大袈裟だな」
「大袈裟などではない。俺はいつだって本気だ」
言ってしまってから、しかし倫太郎はふと表情を暗くした。
「……しかし、そうだな。確かにお前の言う通り、少し浮かれている部分があることは否めない」
「少しか?」
間髪入れずにそんな突っ込みが入るが、華麗にスルーしてみせる。その上で、心の片隅にいつも引っ掛かっていたことを口にする。
「本当に、めいちゃんと一緒にいると忘れそうになるよ。俺が普通の人間ではないということを」
倫太郎は顔を上げ、遠くを見るように目を細めた。
楽しくて、つい自分の正体を忘れてしまう。普通の人間と同じように、自分も普通の人間だと錯覚してしまう。
このままめいちゃんとずっと生きていけると信じてしまいそうになる程に。
「だが、俺は普通の人間とは違う。今の俺は世を忍ぶ仮の姿。本当の俺は、現代の科学では証明できないような異常な性質を宿した異常な存在だ。正体がバレるのではないかと、いつもヒヤヒヤしている」
「落ち着け。悲劇のヒーローぶってるが、お前はただ紙一枚分浮いてるだけだ」
倫太郎の耳に、冷静なジョーの言葉は聞こえているようで聞こえていない。
己の完全なる世界に無粋な言葉は必要ない。都合の悪い言葉はシャットアウトできるよう、倫太郎の耳は都合よくできていた。ジョーの言葉は無かったものとして話し続ける。
「いくら愛していると告げようと、自分を偽っている限り、それは嘘をついているのと何ら変わらない。本当にこのままでいいのかと思ってしまうよ」
「……ああ、それはそうだな」
ジョーは既に倫太郎の方には一瞥もくれず、適当な様子で答える。そんな光景はいつものことではあるが、少し違うのは、もう一人のジョーの存在だった。
目の前の画面上では、ジョーの動かす「ジョー」が次々と根っこを引き抜いては仲間を増やしていく。
ぞろぞろとついてくる根っこたちはジョーの何が好きなのか、目の前に現れた怪物に盾になるようにして飛び掛かっていく。そうして、根っこの命が散っていく。その光景を、画面の中のジョーは我がことのように嘆いているのだ。
だが、現実のジョーはそれとは全く正反対の人間なのである。
よせ、お前たちが守ろうとしているジョーは、お前たちに感謝の涙を流すどころか、事務的にその光景を眺めるだけの冷血漢だ。そんな奴のために命を無駄にするな。
「いっそのこと、もうめいちゃんに話しちゃえばいいんじゃね?」
逃げ惑う根っこたちにそんな同情を向けていると、急にあっけらかんとした言葉が返ってきた。まずは、ちゃんと聞いていたのか、と少々驚いてから、次いで、投じられた言葉の意味を理解する。
こいつは。また何でもない顔でそんなことを。
「簡単に話せるものなら話している! 話せる話ではないから、こうして思い詰めてみせているのだろうが!」
「思い詰めて「みせて」んのかよ。別にいらねえし」
そして、心底面倒くさそうに続ける。
「話したいなら話せばいいだろ? ほんと面倒臭い奴だな」
「面倒臭いとは何だ。人が気持ちよく正体を隠すヒーローの「葛藤」というものに浸っているというのに、水を差すようなことを言うんじゃない!」
「水を差すも何も、浸ってる時点で「葛藤」じゃねえな」
「ぐぬ……、お前がそんなことを言うから、今週末予定されているデートで余計なことを口走ってしまいそうではないか……っ」
そう、この週末にはめいちゃんと映画を見に行く約束をしているのだ。なのに、めいちゃんに話してしまえ、などと言われると、ついポロっと口が滑ってしまいそうだ。
倫太郎は殊の外、人の言葉に左右されやすい性格をしているのだ。それを知らないジョーでもあるまいに。
「別に余計なことでも何でもねえだろ。そもそもお前は、元々余計なことしか口走ってないと思うぞ」
「何だと!」
思わず立ち上がる倫太郎をちらと横目に見て、ジョーは気の無い様子で言った。
「話したところで何も変わんねえって。今も普通に立ってんじゃん」
「だから、何度言ったら分かるんだお前は! そう見えるがこれは浮いているのだ。ほぼ普通に立ってるのと変わらんが……、薄い紙っぺら一枚分な!」
「自分で言ってりゃ世話ねえな」
呆れるように息をついて、ジョーはもう倫太郎には見向きもしなくなった。
その背を見ながら、倫太郎は鼻息を荒げつつ、密かに胸に刻む。
今度のデート、決して余計なことは口走らないよう気をつけねば。もしそんなことをしたら、めいちゃんがどんな反応を示すか分からない。何よりも、正体を隠すヒーローの葛藤にもう浸れなくなる。
そんないろんな事態を避けるためには、決して口を滑らせてはいけない。
倫太郎は、この時確かにそう胸に刻み込んだのである。