第2話 ヒーローの苦悩
思い出すだに、その可憐さに胸が締め付けられる。
見上げる潤んだ瞳に、小さく震える肩。
ああ、なんだって君はそんなに愛らしいんだ、とそんなことを思いながら倫太郎はめいちゃんを見つめていた。
差し込む夕日に、グラウンドに伸びた二人の影。それはさながら、美しい映画のワンシーンのようでもあった。
しかし、そんな情景ですらも、めいちゃんの可憐さを引き立てるものでしかない。
これ以上無い程の幸せ。
だが、倫太郎にはそれを手放しで喜ぶことができない事情がある。
倫太郎は胡坐から正座に居住まいを正し、顔にも真に迫るものを宿らせて、全身に真剣さを帯びさせた。
「ジョーは知っているだろう、俺の秘密を」
「秘密?」
聞き返すジョーは、やはり画面に目を向けたままだ。
表情が乏しいわりに、コントローラーを持つ指先だけは目まぐるしい勢いでその形を変え続けている。
ジョーの指先の意志を宿したかのように、画面の中のキャラクターは次々と必殺技を繰り出し、どんどん相手を追い詰めていく。ついには端まで吹き飛ばし、画面いっぱいに「K.O!」の大きな文字が浮かび上がった。
一体なぜそんな動きをするのか理解に苦しむが、キャラクターに必殺技を繰り出させるためには、法則というものがあるらしい。それに則って操作しているだけだと言うのだが、倫太郎には全く納得できない話である。
「―――周りより少し浮いている、というアレだ」
「ああ……、あのうっすい紙一枚分だけ体が浮いてるかもしれないっていう、アレね」
わざわざ声を低めて言った倫太郎に対し、ジョーの方はいたって普通のトーンだ。むしろ、倫太郎からすればそれは、大きいとも言える声量であった。
「しっ! おい、やめろ!」
慌てて声を上げ、倫太郎は周囲にさっと視線を走らせる。
「どこで誰が聞いているか分からないんだぞ! お前のせいで俺の正体がバレたらどうする! それに、「かも」ではない。真実浮いているのだ」
「この家には今俺とお前しかいないっての。つーか、別にバレて困るような正体でもないだろ。ほぼ普通に立ってんのと変わんねえんだから」
「お前はそう言うが、浮いているのは事実だ。たった薄い紙一枚分だろうとな」
ふんっと突き返すが、ジョーに堪えている素振りは全くない。
倫太郎の浮遊状態をジョーが「紙一枚分」と揶揄するのには理由がある。
この能力に目覚めた当初、倫太郎はある程度仲の良かった者たちに「お前にだけ俺の秘密を教えてやろう」と、この浮遊状態を話してやっていた時期があった。その際、言葉を証明するために使っていたのが一枚の紙だったのだ。
つまり、傍目には普通に立っているのと変わらない足の下に、その紙をさっと通すことで、何の引っ掛かりもなくそれが通り抜けること、僅かながらもそこに隙間があることを証明してみせていたのである。
まるで手品か何かのようだが、そこには種も仕掛けも無い。普通に立っているだけならば、例え薄い紙一枚であろうと足の下を通り抜けるなどあり得ないのだから、浮いていることを証明するのには最適の方法と言える。
足の下を通すのは、別に厚紙でも段ボールでも何でもよかったのだが、確実にスムーズに通るものを使用した方が言葉の証明にはなる。その最大の条件に合致していたのが、何の変哲もない普通のコピー用紙一枚だけだったというだけだ。
それをして、ジョーは「紙一枚分」と言っているのだ。まったく、なぜそれが揶揄の要素になり得るのか、倫太郎には甚だ分からないが。
「リン、お前確か中学の時、クラス全員に「俺の能力を見せてやる」とか言って騒ぎまくってたよな。完全に中二病だったじゃねえか。なんで今さら秘密とか言ってんだ?」
「何の話だ。まるで身に覚えが無いな。俺が自ら正体を明かすようなマネをするわけがないだろう」
「あれだけ騒いでおいて……、調子のいいヤツだな」
そうジョーが呟くのが聞こえたが、聞こえないフリをする。
そう、本物のヒーローはいつだって、己が手にした能力を他人にひけらかすことなどしない。己の正体を隠して、一般市民の中に紛れて暮らす。それが、特殊能力を持ったヒーローの鉄則だ。もし正体がバレた時に、周囲の人間を少しでも危険から守るために。
ゆえに、倫太郎は悩んでいるのだった。
「特殊能力を持ったヒーローであるからには、やはり弱みともなりかねない「愛する人」という存在はつくらない方がいいのだろうな……」
「は~あ?」
ここでジョーは予想外にゲーム画面から目を離し、こちらに顔を向けた。何とも形容しがたい妙な顔をしている。
「お前、何言ってんだ?」
「何かの拍子に俺の正体が敵にバレたらどうするんだ。真っ先に狙われるのはめいちゃんだぞ」
「敵って誰だよ。てか、バレても狙われねえよ。いやその前に、そもそもなんでいきなりヒーローなんだよ。リン、お前どっちかっていうと、話の序盤でそのヒーローに倒される雑魚キャラの方だぞ」
普段は大して話を聞いていないくせに、失礼なことだけは言う奴だ―――と思うが、あえてそれを口にするようなことはしない。耳には入っているが、まともに取り合う話ではないからだ。
それでも倫太郎は、ジョーのこういうところを一種の可愛げとして受け取っていた。よって、寛大な心で受け止めてやることにする。
ジョーがゲームから目を離したのは一瞬で、すぐにコントローラーを握り直しながら「どうでもいいけど、」と本当にどうでもよさそうに言った。
「俺にはお前が何を悩んでんのか全く分かんねえわ。実際浮いてるかどうかは別として、そもそも悩む程の大した能力じゃねえだろ、お前のは」
「ぬ、今お前、俺のことをバカにしたな?」
「はあ? なんだよ、今さら」
「今さらだと? まるでずっとバカにしているような口振りではないか」
「だから、なんだよ今さら」
こいつ……。
倫太郎はだが、それでもジョーの言葉をそのまま飲み下す。なんせ、自分は心の寛大な男なのだ。友の言動にいちいち目くじらを立てるようなせせこましい人間ではない。むしろ、その逆を意識している。ヒーローとは常にそういうものだからだ。
「しかし、まあ、そうだな―――」
影響されたわけではないが、悩む必要はないというジョーなりの激励を受けて、倫太郎は考えを改めてみることにした。
「めいちゃんのことは、ヒーローである俺が守ればいいだけだしな」
万が一、誰かに力が知られるようなことがあっても、めいちゃんに危険が及ばないようにすればいいだけの話なのだ。そこさえ押さえていれば、「愛する人」という存在がいたとしても何ら問題はない。
つまり、めいちゃんの気持ちを受け入れることができる。
それを言うと、「よかったな、解決して」と、またどうでもよさそうな答えが返ってきた。
最後まで適当な返事を寄越すジョーは、もう完全にゲームの方に持っていかれていた。