第1話 秘密基地の中で目覚める犯罪者
暗闇の中。朝の陽ざしが視界に入り込んで来て、私の安眠は妨害を受ける。
生暖かい温もりの中、草木の何とも言えない匂いが私の鼻孔を擽った。
「んむ。今、何時。」
寝ぼけながら目を開ける。今の時間を確認する為に自分の携帯を探したのだが、それが見つかることはなかった。
「ん。あれ?」
ぼやぼやとした視界で辺りを見回す。そこは、私の部屋ではなかった。
ウッドハウス。というよりかは倉庫や小屋と言った方が似つかわしいようなその場所は、素人が木材を使って作った秘密基地だった。私が作ったものではない。私がまだ高校生だった頃の話。あの頃に有名だった弩抹高校の仲良し男子4人組。柊 修司。型乃坂 瑛己。海實 甲太朗。隠奇 咲夜。その四人が作った場所がここだった。
私たちが高校を卒業してからはもう十年近く経っているからだろう。ここにあるものは当時置かれた古いものばかりだ。壁に貼られたグラビア写真のお姉さんは、今はもう若くもないだろう。
最近のものが見当たらない感じ、彼らは高校を卒業してからはあまりここには立ち寄っていないのかもしれない。
『仁賁木 継菜』
私の警察手帳が開かれた状態で机の上に転がっていた。そこに映った何も知らない無垢な自分の写真がうざくて乱暴に手に取っては部屋の隅へと投げ捨てた。
古びた布団をもう一度深く被り直す。どうせ、これ以上はもうどこにもいけない。体もいい加減ボロボロだった。一度や二度寝たくらいで取れるような疲れじゃない。
“デモ悪魔”。彼らとの戦いは、警察を持ってしても難航している。私の所属していた部署はまるまる一つ潰された。多分皆、もう死んでしまっている。生き残りが何人いるのかなんてことも知らない。
私には、家に帰れない事情がある。だからこそ、同僚の行方など知りえない。こうして過去に憧れた希望に縋って逃げ延びることで精一杯だったのだ。私はこの場所に賭けた。奇跡さえ起これば、私はまだ何とかなる。そう信じていないとやっていられなかった。
私には今、殺人容疑が掛けられている。
私の上司であり、恋焦がれた相手でもある型乃坂瑛己巡査部長の殺害容疑だ。
私が殺人?彼を?そんな訳ない。ふざけんな。そんな思いが逡巡する。私達は嵌められたのだ。こうして素直に警察に出られないのも、組織の中に裏切り者がいたから。費ヶ縫巡査。彼は自分の体を自由に武器へと作り替える“デモ悪魔”であり、私達の捜査情報を外部に流していた。今のところ私が知る裏切り者は彼しかいない。だから、警察組織に具体的には何人の裏切り者がいるのかまでは分からなかった。だからこそ、下手に警察署に戻って弁明をすることも叶わない。一人でも“デモ悪魔”が紛れてしまっていた以上、私は組織自体を信頼出来い。他に居てもおかしくないのだ。
下手に戻れば、連中は私を消すだろう。警察の保護下にいる人間だろうと内密に消せる。あの“デモ悪魔”達にはそういったことが出来得てもおかしくない力が備わっていた。私はそんな訳も分からないチート能力によって、何も話せず型乃坂瑛己巡査部長の仇に何の尽力も出来ずにこの世を去ることになってしまうだろう。
それだけは嫌だ。
あの捜査の中でも生き残ってしまったからには、私は死んだ同僚の為にも何かを残したかった。それが私の最後の意地だった。でも、今の私にはそれをする力すらない。一人では、何も出来ない。
携帯は追跡を逃れる為に捨てた。ここに来たのは、運よく柊君か海實警視が来てくだされば、まだ話が通じると思ったからだ。隠奇君はハズレ。彼の印象は学生の時からあまり良くはなかった。学校でも、何故彼があの三人と一緒にいるのかは謎に包まれていた。弩抹高校の七不思議の一つと言われるようになったくらいだ。
勿論、他の一般の方が来ても駄目。全国指名手配犯になった私は、話も聞いてもらえずに警察に突き出されてしまうだろう。センタッチ街の大きなモニターで私の顔が乗ったニュースを報道されているところを見た時には流石に驚いた。途端に怖くなって逃げ出した。もうこの世界に、私の居場所なんてないんだって思った。
それでもまだ何かを残したいとこんなところに逃げ込んでいるのだから、やっぱり私は型乃坂君が信じた人達に希望を抱いているのだろうと思った。
もしこれが私じゃなくて、型乃坂君なら。彼ならどうしたんだろう。どうやって、この局面を打破したのかな。私と同じようにはしないだろうな。
大好きだった彼なら、どうやって私を助けてくれたのかな。
私を庇って死んでしまった彼のことを思い出すと、途端に心が切なくなった。
「……。」
でもそれは、虚しい感情だった。彼にはちゃんと奥さんが居る。高校の時から付き合っていた彼女さんだ。私は当時からそれを知っていた。私の思いが叶うことなどないと知りながらも、彼を追って同じ大学に進学して同じ職場に就職した。我ながら少し気持ちの悪いことをしていたのかもしれないと思う。それでも私は――。
一番になる必要はなかった。ただどんな形ででも、彼と一緒にいたかった。
それなのに、何も出来ないまま。何も言えないまま彼を失って。そして、その彼を殺した罪を着せられている。
はぁ。私の人生ってなんだったんだろうな。
涙が零れそうになった時、入り口の暖簾が上げられ始める。
それは、玄関扉の代わりに付いた一枚の布切れ。戸口の上部から地面にまで降ろされたその布が動く。誰かが来た。
体が強張る。緊張する。その中でも、少しだけ期待があった。もしかしたら、と。
「っ。」
だが、その期待も直ぐに打ち砕かれた。中に入って来たのが、隠奇咲夜だったからだ。ハズレ枠。私の人生は、ここで終わることになる。
彼は私を見ると、少しだけ目を丸くしてから愉快そうな笑みを浮かべた。
「ハッ。まじかよ。」
げすい視線。けれど、それよりも気になることが。彼の姿の奥に、警察がいる。だが、何かがおかしい。深く帽子を被って、まるで後を付けているみたいな。
「ひっ。」
警察帽の中の顔が見える。それは、費ヶ縫巡査だった。鋭い眼光が、隠奇君を睨んでいた。
私は、別に私が睨まれている訳でもなかったのに恐怖に震えて何も出来なくなった。
警察帽が落ちる。費ヶ縫の顔がガチャガチャと変形し、頭蓋骨の中から一本のどでかい銃口が飛び出て来る。彼の顔が、首から上の部位が一つの砲台と変わらぬ姿へと変貌する。それが彼の能力。私達を苦しめることになった力。
「あ?なんだ。何を見て――」
「あぶなっ」
私の顔を見て疑問に思ったのか。後ろに振り返ろうとする隠奇君に私が注意を呼び掛けるその瞬間に、その弾は発射された。
私の視界は、真っ暗になった。