もう口をきいてあげないから、アプリのチャット欄で会話しています
その日、彼女は、言い間違えた。盛大に噛みました。
俺はソレを拾い上げ、火中の栗を火炙りの刑にした。
結果、もう口をきいてあげにゃい、と猫パンチされた。
それからだ。
俺のスマホさんは盛大に元気になった。水を得た魚のように。『お手紙さん』のチャット欄に彼女のお手紙の紙ヒコーキが不時着しまくっていた。
魚心あれば水心ありと、手紙には手紙で答える。それが平安貴族直系の遺伝子があると思い込んでいる俺には簡単だ。
周りからは、あの幼馴染は投壊したように、ゲームセットしたと思われていたが。時代は水面下で動くのだ。
彼女の逆鱗に触れて、柳眉を逆立てることをしちゃったけど、おっと、表現が難し過ぎたけど、文章というやり取りは難易度を上げていき、解読不可能になるほど、困惑と諧謔と慇懃さと晦渋がいるのだ。
厨二病患者のルビのようなものなのだ。暗黒と書いて、ノワールなのだ。
「書いている言葉書けないでしょ」
「ネット上に書いてるから書ける」
「それ書けるって言わないから」
「そろそろ誤字ってくれないかにゃ―」
「誤字なんてないもん。そういう表現だもん」
「だもんって。もっと方言女子かんだしてー」
「バリムカ」
「バリカタって需要あんのかな」
電子の世界で多弁しながら、リアルワールドでは、関係を絶っていた。絶縁体が僕たちの、空気には敷かれていて、ただスマホという最先端デバイスだけが、僕たちの、近くて遠い距離をパスしていた。
疲弊した俺の内心報告、以上。
そろそろ、ビデオ通話ぐらいオッケーにしませんか。寝落ち通話しませんか。
「御清穆の段お慶び申し上げます」
「わたしの心身の安寧は今毀損されました」
「開口一番、丁寧な挨拶をしたのに、即罵倒」
「デレないツンデレなので」
「それ、ツンツンしているだけだどん」
「デレるよ、ただしイケメンに限る」
「成程。俺にはデレるということか」
「? 疑問」
「遠回しに俺の面貌を揶揄しないで」
「難しい言い方禁止」
「ごめん。国語が得意な日本語ネイティブで」
「わたしの方がテスト上なんだけど」
「オール・イズ・相対評価」
「まぁ、合計で100点以上ひらいているし」
「日本のテストはできる人の点数を分配する平等システムにすべき」
「仲良くお手々繋ぐ、運動会かな」
雑談を僕たちは凄まじい速度で繰り返していた。まるで情報化社会で情報量のないネット記事を散逸させるライターのように。
ライトしても、全く光を当てられないwrite。
口を止めるな、文字を止めるな。最後にレスした方が勝者なのだ。
レスのない呟きかもしれないが。
「告白されちゃった。わたしフリーだから」
「振ったくせに情報が流れ込んできたぞ。そして堰き止めた」
「ツマンナイですね」
「ツマンナイですな」
「同じ言葉を繰り返すのはコピペ的だから文章中では禁止です」
「ご遠慮願いたいとはご無体な」
しかし、こういうネットで繋がっているのは、隠れている恋人同士的なワクワク感がある。
おいおい、実はそいつ俺の小指ちゃんなんだぜ。という。振られたと思った男が実は陰では付き合っている、なんという実力者だろうか。
口と耳を失うことで、彼女の体には耳なし芳一のように、俺の文字がビッシリと刻まれているのだ。蟻走感に苛まれるなよ。
「全然不便さがないな」
「新婚生活で喧嘩したら文字コミュニケーションしような」
「ん、肉体言語でいい」
「猫パンチはやめてくれにゃー」
「ウン、こいつ、桜耳にしてやろう」
「ダメです。こいつは一筆も書いてないんだぞ」
「じゃあ、墨汁でもつけて、習字で反省文を書いてもらおう」
「あ、悪魔かこいつ。閻魔様ももう少し優しいぞ」
俺の婉曲な告白は、立板に水を流して。のれんに腕を押した。彼女にはまだ微妙な機微がわからないのだ。
文字になる際に失われたニュアンスがラスベガスのチップのように、散逸していた。
「僕たちは文字だけで愛し合うことが可能だと証明しよう」
「普通、言葉でランゲージするよ」
「もうなんて話しかけるのか忘れました。筆談サイコー」
「大丈夫。わたし以外に話す人いないもんね。」
「いるわい」
「サボテンのIQは低いよ」
「は、話しかけてね―し」
「仕方ないなぁ。もう人の口にした言葉をバカにしない」
「しないしない。真顔で受け止めます」
「よし。仕方ないな。声を解放してあげよう」
「おいおい、どうしたんだいチキン野郎」
「ちょっと待って。なんでこんな空気が重いの」
「情報を制するものは、世界を制するのだよ。今日、お前が俺に話しかけることは周知の事実。このビッグイベントに障子に穴を開けないのは無作法というもの」
「長い。喧嘩になりました。文字しか受け付けてません。シャッターはおりました」
「そんな、この空気を、維持するつもりかい」
「声はいつか書けるよ」
「いや、書けないでしょ」
「変換間違い」
ズレ込んだ。
彼女と俺との無言期間が。文字だけが行き交う。その濁流が川を作り海を作り、声という陸地は沈もうとしています。グッドラック、ボイス。
耳元で愛を囁くように、耳たぶを噛んでも反応もされませんでした。赤面しながら悲鳴を上げてビンタされて椛を作る予定だったのに。
「実は今まで話していたのは人工AIでした」
「そう。わたしは天然AIだったのに」
「というか、そろそろ普通に話そうよ」
「ごめんごめん。噛んでから舌が痛くて」
「1年経ってますよ。自然治癒力さん」
「連続で舌をかみまみた」
「誤字ってないっ!」
「バーバルコミュニケーションって必要かな」
「必要必要。vtuberは声が大事だし」
「わたしを画面の中の人にしないでよ」
「電子世界でしかコミュしてないから同じ」
「わたしは推しだったか。スパチャ求む」
「無い袖は振れない」
「じゃあ、金じゃなくて文字でその気にさせてね」
「えーん。そうだ。このアプリ、動画も送れるよ。自撮りあげようよ」
『ピコン』
「あのー、なんで無言のサイレント動画なんですか」
「電話の声って本人の声ではないんだってね」
「声そのものがナインですが」
「この豚っ、とかいえばよかった?」
「もうこの際それでも無問題」
「え、変態、キモ」
「はい。男子高校生に言ってはいけない禁句です」
俺はもはや最終手段に出ることにした。
「これは使いたくない作戦だったが、スマホ断ちします」
「そんな、文字でしかおしゃべりできないのに、そんなことしたら、アナログ式になっちゃう」
「おい、手紙になるのか。もっと原始的な情報伝達手段があるだろう」
「あっ!モールス信号か」
「うんなんオタクしか勉強しませんよー」
「冗談。肉体だよね」
「肉体言語を情報を伝える手段にしないで。テロだから」
長いよー。
1年以上も怒ってしまうなんて。
もう万以上の言葉を送ったのに。億の言葉がいるのだろうか。
ツンツン――。
ん、誰だ。今、俺は教室で考える人なんだが。
「やっと歯列矯正が終わりました」
「……」
「どうしたの」
「ラノベ的には、もっと重い病気や突然の人魚姫的な展開が必要だって思いませんか」
「ごめん、実はわたしの人生の言葉の残弾は、あと――」
「見える見えるぞ。貴様の戦闘力は53――」
「35億ぐらい?」