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9話 12枚の花弁


 その日、富裕層に激震が奔った。

 収集家として知られるマリリン夫人が、殺人罪で逮捕されたのである。


「王都でも話題になってるぜ、夫人の逮捕劇について」


 ロイが書庫を訪ねてきたのは、最後に会ってから数日後のことだった。

 王都の新聞を手のなかで回しながら、前触れもなしに訪問してきたのだ。


「新聞の大見出しだ。有名人だったからなー、夫人」

「それで?」


 シャーロットは読んでいた本に目を落としたまま、ロイに言葉を投げかける。


「どうしてその話を私に? あなた、王都に帰られたのでは?」

「まだ休暇は続いてるんだって」


 ロイはそう言うと、シャーロットの傍まで歩み寄って来る。


「ほい、新聞」

「興味ありません」


 自分の目の前に差し出されたのは分かったが、シャーロットは本から顔を上げなかった。


「すでに解決したことではありませんか」

「んー、実はな、お嬢さんのことが書いてあるんだよ」

「私が解決したと?」


 ここで、ちらっと視線だけ上に向ける。すぐ目と鼻の先に、ロイの楽しそうな顔があった。よほど愉快なのか、緑の眼は爛々と輝き、鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気を纏っている。

 シャーロットは胡散臭い青年を軽く睨みつけた。


「私のことを面白おかしく書き立てる記事など、いまさら見たくありませんわ」

「いや、まあそうなのかもしれねぇけどさ。興味深いのは、そこじゃなくてな」


 ロイはにやっと口の端から牙を覗かせながら、囁くような声で言うのだった。


「王子がコメントしてるんだ、お嬢さんについて」

「はぁ!?」


 ここでようやく、シャーロットは完全に顔を上げた。

 本を読んでいたい気持ちなど完全に吹き飛び、ロイの言葉の意味が理解できずに顔が歪むのが分かった。


「色呆け馬鹿王子が?」

「そっ、読んでみない?」


 シャーロットは今度こそ新聞を受け取ると、さっと目を通した。

 記事に書かれていたのは、おおむね予想通り。

 強盗事件は夫人の自作自演であり、共犯者の庭師は遺体で発見されたこと。夫人を問い詰めたところ、あっさりと殺人を認めたこと。逮捕に伴い、夫人の集めた貴重な品々は一時的に国が預かること――もともと、夫人には子どもがおらず、自分が亡きあとは国にすべて寄付すると語っていたことなどがつらつらと記されており、そのなかに、「シャーロット・エイプリルの助言によって、今回の事件を解決することができた」と書かれていたのだ。

 どうやら、ヘンリーが記者に対し「シャーロット様のおかげです」と言ったらしい。


「まあ、そこまでは予想通りですが……」


 ヘンリーの性格からして、シャーロットの推測を自分の手柄にはしないだろう。

 記事には、「シャーロット・エイプリルとは、何者なのか」について書かれている。ご丁寧なことに、「エイプリル家の令嬢であり、アルバート王太子の婚約者だったが、約一か月前に婚約を破棄され、田舎で静かに過ごしている」ということまで語られている。

 

 しかも、この記者は王太子に「シャーロット嬢はどういう人物でしたか?」と尋ねることに成功したらしい。

 アルバートが鹿狩りに出かけたところに接近し、聞きだしたようだ。


『アルバート王太子はシャーロット嬢が事件を解決した話を聞くと、不快そうに顔をしかめられた。

 “シャーロットが事件を解決したからなんだ? その程度で、婚約者に返り咲けるわけがないだろう。あの女はオリビアを馬鹿にしたんだ。それに、どうせもうすぐ死ぬというのに、おとなしくできないのか? あいつは目立ちたいのか? 目立ちたいのであれば、逆上した夫人に刺殺されたらよかったのに”

 王子はそう語ると、記者に背を向けるのであった』


 シャーロットは最後の一文まで読み終えると、頭が痛くなった気がした。


「あの人……本当に分かっていないのね」


 前半部までは百歩譲っていいとして、後半は世に出ては駄目だ。嫌いな相手を殺されたらよかったのになんて口にしてはいけない。王太子でなくても、人間として絶対にダメである。


「これ、本当に発行された新聞ですの?」

「そっ。ただ、さすがにマズイってなったのか、朝の8時に全部回収されたってわけ。この記者は謹慎だってさ」

「それはそうなるでしょうね……で、どうやって新聞(これ)を?」

「こっそり隠し持ってたんだ。ほら、お嬢さんが読みたいと思って」


 ロイは悪戯っぽく笑い、黒くふさふさの尻尾が楽し気に揺らした。


「で、感想は?」

「別に」


 シャーロットはなるべくすました顔で告げた。


「あの男の滅亡が早まったな、と思うだけです」


 もともと、感情の赴くままに婚約破棄を決定した挙句、シャーロットに『死の魔法』をかけた人物だ。いずれ、どこかで王としての資質がないことが露呈するということは考えるまでもない。

 それが、こうも早くに起きるとなるとは思わなかったが……。


「早く死ねって言われてるけど」

「もうじき死ぬのも確かです」


 ちょうど1カ月前、死の宣告を受けたことを思いだし、自虐的に笑おうとした―――そのときだった。


「っ!?」


 心臓がどくんと早鐘を打った。

 まずい、と心臓を押さえたときには、胸の内側から太い針で貫かれたような強烈な痛みが、瞬く間に全身に広がっていくところだった。


「う、ぐ……っ!」


 そのまま、心臓が握り潰されてしまうのではないかと思われるほどの圧迫感に、椅子から転げ落ちてしまう。


「お嬢さん!?」


 ロイが驚いたように抱きかかえてくる。

 そんな彼に何か言わないと、大丈夫だと伝えないと、と頭のなかでは分かっているのに、荒い息をするのがやっとのだった。


「失礼!」


 ロイの顔には笑顔の欠片もない。

 呼吸をするのも辛い状況だと判別したのか、狼の爪でシャーロットが纏うドレスの胸元を切り、首元を和らげてくれる。そのまま、背中をさすってくれた。何度も何度もさすってくれるうちに、やがて、波が引くように痛みが消えていく。心臓が解放され、口が新鮮な空気を求めて方で呼吸をしていた。気がつけば、全身から脂汗を流している。

 まるで、1カ月前に体験した痛みのようだと思いながら、シャーロットはゆっくりと口を開いた。


「……ありがとう、ございます……」

「……お嬢さん、こいつは……」


 しかし、ロイはシャーロットの胸元を凝視していた。

 あまりにも険しい表情なので、シャーロットもつられて目を落とし――目を丸くする。


 白い胸に刻まれていた花の刺青――12弁のうち1枚が禍々しい赤色に染まっていたのである。

 

「あ……っ」


 シャーロットが見ている前で、真っ赤に熱された花弁は消え去った。

 後に残るのは、1枚かけた11の花弁。


「……そっか、この花弁が全部散るとき……」


 シャーロットは命を落とすのだ。いまの痛みは、この花弁が散るときのもの。残り11回、床に転げたくなるような痛みを感じ、最後は死に至る。そう思うと、やはり魔法の力は本物なのだと歓喜する心と仄かな寂しさが込み上げてくる。


「これが、死の魔法って奴か?」


 ロイが感情のこもっていない淡々とした声色で問いかけてくるので、シャーロットは頷いて返す。


「ええ。珍しいでしょう、いまどき魔法を目の前で見れて……あなたは幸運ですね」

「幸運なわけないだろ……! こんなの見せられて!」


 ロイの顔を見て、シャーロットはきょとんとした。

 彼は奥歯を噛みしめ、辛そうに顔を歪めていたのだ。


「いいのかよ! あんた、本当に殺されるんだぞ!?」

「……もういいのです」


 シャーロットは自分のために怒ってくれる珍しい青年に微笑みかける。


「最後の1年、この書庫で過ごすことができます。それに、魔法も見ることができました。それで、私は満足ですの。どうせ、婚約破棄されたあとに生き残っても惨めなだけですし」


 シャーロットはできるだけ安心させるような声色を心がけた。


「婚約破棄された娘が再婚する相手なんて、ろくな人物は残っていませんよ。かといって、いつまでも独り身でエイプリル家に迷惑をかけるのも心が引けますし……そう考えると、1年で自分の好きなことだけをやって死ねるのもよいと思いませんか?」

「あんたな……そんなのいいわけないだろ」


 心からの気持ちを語ったのに、ロイはいらだっている。彼は何か言おうとして口ごもるのを繰り返したあと、むしゃくしゃしたように髪をかきむしった。


「あー、分かった! 決めた!」


 そうやって叫ぶと、彼は覚悟を決めたような目で覗き込んでくる。


「お嬢さん、俺と一緒に魔法を解く方法を見つけ出そう! 1年ありゃ、なにかしら見つかる!」

「それは無理ですよ」


 シャーロットは反射的に否定してしまう。


「このご時世、魔法が珍しいのはご存じでしょう? 魔法を発動させる仕組みだって、いまは古文書にしか残されていないのですから」

「でもさ、お嬢さんの頭脳があればいけるんじゃねぇの? お嬢さんはここを動かなくていい。俺がお嬢さんの代わりに必要そうな本とか伝説とか調べて持ってくる。……なぁ、悪くねぇだろ? 失敗しても、1年間で魔法について相当詳しくなれるぜ」

「それは……」


 シャーロットは困惑する。

 ロイの提案を考えなかったわけではない。この書庫に籠って本を読むとき、無意識的に魔法についての書籍を目で追っていた。現に、いまシャーロットが読んでいた一冊も魔法について断片的に語られていた文章である。


「ですが、あなたにメリットはないですよね」


 シャーロットは懐疑的に彼を見つめる。ロイは魔法に詳しいとも見えなかったし、もっと知りたいというようには見えなかった。死の魔法を解く方法を一緒に探したところで、彼には何も利点はない。1人の命を救うなんて自己満足でしかないのだ。


「それに、私は生き残ったところで……」

「なに、それなら生きる目的を作ればいい」

「目的?」

「そうさ」


 ロイはそう言うと、シャーロットの耳元に口を近づける。耳元にかかる息がくすぐったくて、ぞわりと背筋が震えていると、彼はどこか熱のこもった声で甘く囁くのだった。



「お嬢さん、俺の嫁になってくれ」






第1章終了です。

次回から2章が始まります。今後もこつこつ書いていこうと思います。


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