8話 犯人はだれ?
「まず、おかしいと思ったのは本棚です」
シャーロットはヘンリーに椅子に座るように促すと、静かに推測を語り始めた。
「本棚?」
ヘンリーは椅子に腰を降ろすと、眉間に皺を寄せる。
「たしか、リビングにありましたよね。私には本など分かりませんが、凄く貴重な品が揃っているのだと思っただけですが……」
「ええ、とても貴重な本ですわ。ここにも、2つ向こうの棚に置いてありますが、問題は『強盗犯が、なぜあの本棚には手をつけなかったのか』というところですの」
壁にかけられた絵画の多くは、誰かが触ったかのように傾いていた。陶器の類に至っては、割られた物も数多くあった。きっと、強盗犯が真贋や作者を確認するために触った拍子に傾いたり割れてしまったりしたのだろう。他の棚も開かれて、なかの書類やらなにやらをあさった形跡が目立った。
しかし、リビングの本棚だけは無傷。
扉が開かれたような形跡もなく、あの部分だけ日常を保っていたのである。
「それは……強盗犯が本に興味がなかったのでは?」
「それも一理あるでしょう。ですが、考えてみてください。他の棚は家探しした形跡がありますし、陶器を割ることを何とも思っていない犯人ですよ? 本の隙間になにか貴重なものが挟まっていないか、調べません?」
それこそ、棚に収まった本を乱雑に押し出し、床に落としながら、棚に何か隠されていないか探しても不思議ではない。
「犯人は本に興味がないのではなく、本の価値を知っているからこそ粗雑に扱えなかったのです」
「それは、どこかおかしいですな」
ヘンリーはそわそわと足を揺すりながら口を開いた。
「シャーロット様、そうなると矛盾が生じます。たとえば、犯人は陶器を粗雑に扱っていましたが、なにが最も価値のある品なのか知っていました。陶器のことに詳しければ、最も価値がある品でなくとも大切に扱うのではないでしょうか?」
「そうですね。ですので、破壊された壺や花瓶は価値のない品でしょう」
「しかし……いや、それなら……」
ヘンリーが言葉を詰まらせる。喉元まで出かかっている言葉を出すべきか悩んでいるように唸っているので、シャーロットは肩を落とした。
「そう、よほど屋敷に熟知した者になります。それも、わざわざ贋作と思われる品々を破壊し、壁も不必要に傷つけことで、野蛮な者の仕業だと偽造していますね。つまりこれは外部に野蛮な犯人がいると見せかけた自作自演なのです」
「……シャーロット様、焦らさないでください」
ヘンリーは少しムッとしたような顔になる。
「庭師だということが強まったではありませんか。庭師が外部犯だと見せかけて捜査をかく乱している隙に、逃走したということでしょう? 庭師はどこへ逃げたのです?」
「……庭師は犯人ではありません」
シャーロットはきっぱりと言い切った。
「それどころか、哀れな被害者の可能性があります」
シャーロットは彼の困惑した顔に二本の指を見せつける。
「外部犯だと見せかける時点で、この事件を企てた者は2人に絞られます。マリリン夫人か侍女のバーサー、このどちらかです」
「あ、ありえませんよ!!」
ヘンリーは勢いよく立ち上がる。悲鳴のような叫びは書庫を震わせた。あまりに大声を出すものだから、周囲に収められた本も「何事か!」と言いたげに揺れたようにすら思える。
「ありえませんよ、シャーロット様! 夫人は腕を傷つけられてますし、侍女のバーサーはかなりの老体だ! 盗みなど働けるはずもない!!」
ヘンリーはよほど信じられないのか、目を泳がせている。
「被害者はいるのですよ!? 夫人は傷をつけられている! それに、実際に盗まれた品はどこへ行ったのです!? 庭師が違うという理由は!?」
「落ち着いてください、ヘンリー」
シャーロットは小さく息をつく。
「まず、盗品について語りましょうか。盗まれた品々は貴重なものばかり。どうやって持ち出したのかは、庭からでしょうね。外部犯説が消えた時点で、庭にある足跡は手がかりになります」
犯人の足跡がないから、魔法のように消えたのだとされた。
だが、犯人が屋敷の人間になれば足跡は残っている。足跡があったとしても、特に誰も問題にしない。
「バーサーが息子に頼んで荷車で屋敷から盗み出したということも考えましたが、夜中に荷車など走らせていたら、街の誰かが気づくでしょう? 家に荷物の出し入れをしていたら、隣近所が気づくはずです。となると、他に貴重な品を安全に外に持ち出す術はありません――つまり、盗品は屋敷にあるのです。正確に言えば、あの庭に」
「あの庭に……?」
ヘンリーは落ち着かない様子で、その場を無目的に歩き出す。
シャーロットはその様子を椅子に腰を降ろしたまま、黙って見守っていた。やがて、ヘンリーが「あっ」と小さな声を出した。
「もしや、あの穴に……?」
「おそらくは」
剝き出しの庭には無数の穴が開いていた。
かなり深く掘られた穴は落ち葉や生ゴミを廃棄するためのものだけでなく、盗まれた品を隠すためにも使われていたのである。
「しっかり梱包して埋めたのでしょうね。そうすれば、ほとぼりが冷めた頃に掘り出してしまえば問題ありません」
「なら、やはり庭師だろう? 庭師が掘った穴だ」
「ええ、穴を掘ったのは庭師でしょう。もしかしたら、盗品を埋めたのも庭師かもしれません」
だが、それでも、庭師は犯人ではない。
「強盗犯の正体は、マリリン夫人ですよ」
「……は?」
ヘンリーが足を止める。
ぽかんと開いた口を見ながら、シャーロットは肩を落とす。
「だから、この事件の興味がなくなったのです。これは、夫人の自作自演――目的は保険金でしょうね」
「保険金……?」
「夫人はお金に困っているように見えました。鉄門に錆が目立ちましたし、カーテンの裏には雨漏りのあとやカビた壁紙。無理もありません……いくら銀山を有していたとしても、あれだけの貴重な品を収集して手入れもするとなると、お金はいくらあっても足りませんよ」
あれだけの貴重な品があふれた屋敷だというのに、使用人はたった2人。シャーロットたちのような招待客が主に目につく場所は綺麗に整えていたのだろうが、他の場所は手が回っていない。おそらく、もっと詳しく探せば綺麗な屋敷の影の部分が見えてくるはずだ。
「割られた陶器類は、おそらく贋作でしょうね。収集品は我が子のように扱っているのに、修復師に頼んで元通りにすることを強く望んでいなかったことからも察せられます。まあ、こちらにつきましては私が修復師を頼むことの許可が降りましたので、そのまま鑑定に回せば判明するでしょう」
盗まれたと嘘を告げ、多額の保険金を手に入れる。
長い年月を経たのちに「本物が見つかった!」と掘り出すつもりだったのではないか。
「壁紙を傷つけたのは、乱暴者の仕業に見せかけるつもりでもあり、降りた保険金で張り替えるつもりだったからではないでしょうか」
「だ、だが……それでも、おかしい」
ヘンリーはようやく言葉を絞り出す。
「マリリン夫人一人であれだけの真似をできるか? もしや、庭師やバーサーに手伝わせたとか?」
「庭師でしょうね。バーサーは考えにくいです。彼女が夜になっても帰らなかったら、家の者が心配するでしょう? 家族ぐるみで手伝っていたなら話は変わってきますが、普段、屋敷にいないはずの者がいたら目立ちますし、なにか痕跡があるはずです」
「ふむ……」
「昨日、私とサリオス兄様を昼食に招待したのは、屋敷に盗みが入る前はちゃんと綺麗でしたと見せつけるため。貴重な品々がそれよりも前に失せていないことを確認させるためだったのでしょう」
その後、バーサーが帰宅。
一人暮らしの庭師も帰宅したと思わせ、夫人と一緒に屋敷を荒らした。貴重な品も一緒に埋めたのかもしれない。
「腕の傷は切口を見ていませんので断定はできませんが、おそらく夫人が自ら切ったのでしょう。傷があるのは利き腕ではないようでしたので……もちろん、庭師に切らせた可能性も否定できませんが、私はないと思いますよ」
すべてが終ったあと、庭師は帰宅。高熱があると言えば、込み入った取り調べをされずにすむと打ち合わせをしていたのかもしれない。
「保険金狙いの自作自演なんて、浪漫の欠片もありません。どうせ、修復師が全部贋作だと見抜けば分かってしまうこと。少なくとも10年もあれば、解決する簡単な事件――つまらないでしょう?」
ところが、庭師が蒸発してしまう。
このことさえなければ、シャーロットがこれ以上余計な口出しをする気にはならなかったのだ。
「おそらく、庭師は亡くなっているでしょうね。だって、よく考えてみてください。『熱が出た』なんて理由で、取り調べから逃れられると思います? 騎士団が詳しく話を聞きたいと訪れたら、熱があるか否かなんて分るでしょう?」
もし、今回――その嘘でしらばっくれようとしたとしても、顔を見れば熱があるかどうか分かったはずだ。よくよく考えれば、分かりそうなものである。
「つまり、それは夫人が庭師についた嘘。夫人は共犯者の庭師を始末したのです」
おそらくは、貴重な品を埋めている途中のことだろう。
肉体労働は夫人が苦手とすることなので、庭師が土を運んでいたと考えるのは容易い。かなりの深さがある穴にシャベルで土を入れている最中、後ろから夫人が背中を思いっきり押せば――庭師は落下する。
あとは、夫人が穴を埋めた。
庭師が叫んだかもしれないが、街から離れた林に囲まれた屋敷では誰にも届かない。
「夫人が穴を埋め終えたあと、屋敷に戻って靴を履き替え、腕に傷をつけたのでしょうね」
きっと、その頃には朝日が昇ろうとしていただろう。
バーサーが出勤してきたとき見た夫人は、出血よりも疲労で座り込んでいたのだった。
「ロイさんも言っていたでしょう? ……腐臭がするって。あれは生ゴミだけじゃなく、本当に人の腐敗臭がしたのかもしれませんね」
さすがの彼も、本当に人の死体があるかもとは言えなかったのかもしれない。
シャーロットが頼んだのは、3人以外の臭いがあるかどうか調べてくれとのこと。いまにして思えば、庭師の臭いが強く感じていたのも、死体が地面深くに埋められていたからなのではないだろうか。
「しかし、腑に落ちません」
ヘンリーはなおも腕を組み、難しい顔をしていた。
「なぜ、シャーロット様に協力を申し出ていたのでしょう? あなたなら何か気づくかも、と屋敷の散策を許可していたではありませんか」
「簡単ですよ」
シャーロットはつまらなそうに言った。
「あの人、私が嫌いなのです。嫌いな人が『分からない』って困る姿を見て、楽しみたかったのではないでしょうか? それより、私が腑に落ちないのは――」
そこまで言いかけ、首を横に振る。
ヘンリーが「どうしたのか?」としきりに何度も聞いてきたが、そこから先は口を頑なに開かなかった。
「とりあえず、私はこれで。庭を掘り起こさないといけませんので!」
ヘンリーは敬礼をして、小走りに去っていった。
書庫に静寂な空気が戻り、シャーロットも本のページを開く。
「…………腑に落ちないのは、そこじゃないの」
シャーロットはしばらく考えたが、諦めるように首を横に振る。
とりあえず、1つの事件の解決はできるだろう。
ならば、いまの自分は少しでも本に浸りたい。そう思い、ページをゆっくりとめくった。
あの人が嘘をついてることは、また今度で考えることにしよう。