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62話 匿名の挑戦状


「シャーロット、だと?」


 アルバートの口がかすかに動く。

 いつもの尊大な態度はすっかり消え失せ、少し音を立てるだけで聞こえなくなりそうなくらい細い声だった。顔からは完全に血の気が失せ、足もみっともないくらい震えている。シャーロットに向ける視線も普段の子馬鹿にするものではなく、「どうして?」「なぜ?」と疑問符しか浮かばないほど怯え切った眼をしていた。


「……情けないこと」


 シャーロットは扇子で口元を隠すと、アルバートの後ろに目を向けた。

 アルバートの後ろには、オリビアと数人の若い騎士が固まっていた。騎士たちの顔には見覚えがあり、学園に通っていた貴族の子弟だった。見目の良い貴族の子弟だったが、旧家ではなく、いわゆる新興貴族や身分の低い者たちだった。彼らも普段であれば、野心と向上心が顔からにじみ出ていたが、彼らの眼にも恐怖と絶望しか映っていない。剣は既に手から落ち、降参とばかりにしりもちをついている。なにかしゃべろうと口を動かしているように見えるが、ぱくぱく動くばかりで何も出てこない。

 それを考えると、アルバートはまだマシで、オリビアも彼らを率いるように立っている分、比較的ちゃんとしていた。少なくとも、オリビアの顔にも怯えの色はあったが、毅然とした態度で背筋を伸ばしている。だが、それだけだった。


「……シャーロットさん? なぜここに?」

「御機嫌よう、オリビアさん」


 シャーロットはできるだけ優雅に微笑みかけた。

 しかし、それは逆効果だったらしい。まだマシだったオリビアでさえ、息を飲んでいた。こひうゅっと息を吸う音が異様なまでに静まり返った玉座の間に響き渡る。

 シャーロットは何も分かっていないふりを装い、こてんと首を傾げて見せた。


「なぜと申されても……せっかく王都にいるというのに、一大事件を見逃すような真似はもったいないですもの。それにしても……みなさん、まるで死人が生きているような眼を向けてくるの止めてくださいな」


 シャーロットはそう語りかけながら、オリビアのさらに向こうへと視線を上げる。

 そこには、数人の大臣が縄で縛りあげられていた。全員、いつかの忘れもしない婚約破棄の場にいた者たちである。アルバートが婚約破棄を言い渡す際、にまにましながら含み笑いをしていた大臣たちも、もれなく含まれている。彼らは騎士に剣を突き付けられ、完全に戦意喪失していた。

 そのさらに奥――玉座に腰を下ろす男性に目を向け、シャーロットは扇子を閉じた。右手で杖を握りしめたまま、左手でスカートの裾を軽くつまみ、なるべく自然に――強張る脚を軽く曲げた。


「国王陛下、お久しぶりでございます」

「…………」


 国王は何も言わなかった。

 ただ、少しばかり驚いたように目を見開いている。

 国王の代わりに口を開いたのは、サリオスだった。


「まさか、陛下はすでにクーデターを知っていたのですか!?」


 サリオスは目を白黒させながら、オリビアたちと国王を交互に見ていた。


「それ以外ありませんわ」


 シャーロットがため息を零すように言った。


「おそらく、アルバート殿下とオリビアさんたちの計画はこんなところでしょう」


 シャーロットは元の姿勢に戻りながら、ゆっくりと話し出した。


「ネザーランド衣裳店の衣装箱に武器を潜ませ、着実とクーデターの準備を進めたのでしょうね。あとは先ほど兄様に説明した通り、騎士の手の空く騎士団長の誕生日に決行すれば、より少ない手勢で陛下を脅し、退位を迫ることができます――なんとも杜撰な計画ですこと。陛下に早々露見したことも無理ありませんわ」

「ず、杜撰とはなんだ!」


 ところが、これに対し、声を荒げたものがいた。

 アルバートである。先ほどまで生気がなかったことが嘘のように、顔を真っ赤にさせて怒鳴っていた。


「私とオリビアが考えた策だ! 騎士たちに迷惑をかけぬように、少しでも無血で父上に退位を促せる術はないか考えてきたのだ!」

「馬鹿なことを……20年もすれば、なにもせずとも王位に就けたではありませんか」


 至極正論をぶつけてみるが、アルバートは舌打ちをしただけだった。


「父上の横暴に我慢できなかったからに決まっているだろう!」

「横暴?」


 シャーロットの眉がぴくりっと動いた。


「むしろ、甘々ではなくって?」


 息子が正統な婚約者を明らかに不当な理由で破棄したことを黙認し、玉座の間で断罪することを許可したのは、他でもない国王その人である。そのことを忘れたのだろうか、と憐れみの眼差しを向けるが、アルバートに油を注いだだけだった。


「横暴だ!」


 アルバートの怒声が玉座の間に響いた。


「父上は結婚式の予算を削減するように言ってきたんだ! 私の交友関係にも口を出すし、オリビア付きの予算も減らせと、くどくどくどくど……!」

「いや、それは……当たり前のことでは?」


 これに反論したのは、サリオスだ。アルバートに強く睨まれたが、サリオスは動じることなく、すっかり呆れ果てた声で続けた。


「殿下たちの浪費癖は、私たちの間でも有名でしたよ。あまりにも豪華と荘厳さを重視するから、いずれ国庫を食いつぶすだろう、と」

「そんなもの、税を増やせばいいではないか!」


 アルバートは悪びれもなく、声高らかに宣言する。


「王族が贅沢をしていない方が不自然だろう! 貧しい国なのかと侮られるぞ!?」

「それにしても、限度というものがあるのですよ」


 サリオスはがっくしと肩を落とすと、シャーロットに憐みの視線を向ける。


「……シャーロット、こんな奴の妻にならなくて本当に良かったな。というか、それで本当にクーデターが成功できると信じているのがどうかしている」

「概ね同意いたしますわ」


 シャーロットは再び扇子を広げ、小さく頷いた。


「もっとも、殿下――いえ、オリビアさん、理由はそれだけではないのでしょう?」


 青い目を細め、じろっとオリビアに冷たい視線を送る。すると、オリビアは一瞬だけ身体を硬直させた。だが、ほんの一瞬だけだった。すぐに元の調子を取り戻すと、彼女はなるべく威厳を整えるような声色で答えてきた。


「私はなにもしらないのよ。ぜーんぶ、アルバート様がやったことなの」

「オリビア……!?」

「なるほど、そうだったのですね」


 アルバートの目が点になったが、そのようなことはどうでもいい。

 シャーロットは淑女として完璧な微笑みを作ると、可能な限り柔らかな声で語りかけることにする。


「では、そういうことにしておきましょう。ところで、私……オリビアさんに謝らないといけないことがありますのよ」

「私に?」


 オリビアは警戒するように構えているようだが、シャーロットはあえて気付いていないふりをした。


「せっかく贈り物をくださったのに、まだ袖を通していませんの。私には似合わないドレスでしたから」

「……さあ、なんのことかしら?」


 オリビアの目が細くなったが、しらばっくれるように眉を寄せる。


「私、あなたに贈り物なんかしたことないわ」

「あらあら、ご謙遜を」


 シャーロットはころころと笑った。


「素敵なドレスをくださったではありませんか。お恥ずかしかったのか、匿名でしたけど」


 オリビアの表情が固まった。

 だが、アルバートやサリオスに伝わらなかった。アルバートは最初から知らないのだろうし、サリオスにも話していないのだから、きょとんと瞬きをしているのも当然の反応である。


「オリビアさん、私を見くびりすぎでしてよ」


 扇子で貞淑に口元を隠しながら、獲物を狙う鷹のようにオリビアを睨みつける。


「匿名で死のドレスを贈るなんて、私に『謎解きをしてください』と言っているようなものでしてよ」

「死のドレスだって!?」


 サリオスが「聞いてないぞ!?」と騒ぐのをまるっと無視し、シャーロットはオリビアだけを見据え続けていた。


「私があなたに死のドレスを? そんな証拠、どこにもないわ」

「証拠がどこにもない?」


 シャーロットはますます愉快そうに笑った。笑うたびにあばら骨が痛んだが、そんなこと気にならないくらい傑作だった。


「『どうして?』とか『贈るわけないわ!』ではなく、『証拠がない』ですって? まるで、『証拠がないから、私が贈り主だと立証できない』と言っているように聞こえましたわ」

「言葉の綾よ」


 オリビアは柔らかない声だったが、言葉尻に怒気を滲ませていた。


「私が贈ったって証拠がないし、もちろん、あなたに死のドレスなんて贈る理由もないわ。私たち、競馬場であんなに仲良くなったじゃない」

「その節はどうも」


 たった数か月前、たった数分のことで「仲良し」なんて――ありえない。それなら、世界中みんな友達になってしまうだろう。


「ですが、それはそれ。これはこれですわ」


 シャーロットは扇子をパンっと閉じ、細い指を4本突き立てた。


「火炎瓶による放火、プリンスなる謎の男、我が領地で急速にはびこり始めた毒、死のドレス――……私、ずっともやもやしていたのです」


 エイプリルの領地は平穏である。

 もちろん、犯罪がゼロなんてわけはない。人が集まる以上、邪な心を持つ者が紛れ込むのは致し方ないし、そのような者を取り締まったり、民の善性が反転しないよう常に目を光らせる必要はあるが、それを踏まえても平穏な領地であった。

 ところが、シャーロットが暇を得て帰ってきて早々、物騒な事件が立て続けに起きている。数年から十数年に一度、起きるかどうかといった事件が数か月の間で起きるものなのだろうか?


「これは、私への挑戦状。ならば、手袋を取るのは至極当然のこと」

「……そう。大変なことが起きていたのは分かったわ。でも、私には動機がないわ。だって、あなたはもうすぐ死ぬのでしょう?」

「ええ、死にますね」


 シャーロットはさらっと返した。


「だからです。私に恨みを持つ者は多くいますし、嫌われている自覚はありますわ。ですが、おかしくありません?」


 口の端を上げ、指をゆっくり曲げていく。


「私の命は残りわずか。ならば、命尽きるのを待てばいいだけのこと。それを待ちきれない者がいるとすれば、私が万が一にも魔法を克服し、婚約者の地位に返り咲くことを望まぬ者です」


 大多数の貴族の淑女たちは、シャーロットのことを嫌っている。シャーロットではなく、自分がアルバートの隣に立ちたいと願う者たちばかりだった。

 しかし、それはたった数か月前までのこと。

 競馬場で風に乗って耳に入った噂話だと、「オリビアより、シャーロットの方がまだマシだった」という評価に変わっている。オリビアの失脚を望む者はいても、シャーロットが元の鞘に収まることを否定しない風潮になりつつあったのだ。


「そうなると、あなたしかないのですよ」


 扇子の先端をオリビアに向けながら、シャーロットは高らかに宣言した。


「一連の騒動の裏で手を引いていたのは、貴方でしてよ――オリビア・クロッカスさん」





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