6話 奇妙なこと
強盗犯は魔法のように消えてしまった。
マリリン夫人を傷つけた挙句、盗まれた品と一緒に。
「しかしな、魔法で人が消えることってあるのか?」
ロイが不思議そうに呟く。
「そういうこと、お嬢さんは詳しいんだろ?」
「今回の場合、考えられる魔法は転移魔法というものが考えられますね」
シャーロットは腕を組み、庭に出ないよう注意しながら扉の周りを見て回った。
「そもそも魔法というものは、この世に存在すると言われる精霊の力を借り、不可能を実現させるというもの。そのためには、精霊と言葉を交わす必要があります」
「ですがな、シャーロット様。夫人は犯人の声を聴いていないと証言しております」
ヘンリーが困った顔のまま言うので、シャーロットは大きく頷いた。
「ええ。ですので、今回――もし、転移の魔法を使ったのだとすると、転移の陣のようなものを使ったと考えられますね。陣に描かれた古の文字を通じて、精霊と会話するというものになります。なので、こういうところに――」
シャーロットはそう言いながら、分厚いカーテンをめくってみる。
「転移の魔法陣が書かれていたらと思ったのですが……」
カーテンの後ろにあったのは、雨漏りやカビたあとばかり。カーテンに隠された汚い壁を見てしまったので、思わず顔をしかめた。
「なさそうだな」
ロイがつまらなそうに口にした。
「……ま、そう簡単に魔法が見つかったら苦労しないですものね」
反対に、シャーロットは目を光らせる。カーテンを元に戻すと、埃のついた手を軽く叩いた。
「ヘンリーさん。盗まれた物は分かっていませんか?」
「ん、あ、ああ。既にリストを作ってもらっている」
ヘンリーはポケットからメモ帳を取り出す。
「さすがは、夫人ですな。どこになにが置いてあったか、全部覚えておられている……すぐに作成することができたよ。ご覧になりますか?」
「ありがとうございます」
シャーロットはメモ帳を受け取ると、盗品リストに目を落とした。てっきり長々と描かれていると思ったが、盗まれた品自体は拍子抜けなほど少なかった。
「ラヴィーノの絵画1点、ユニコーンの角で造られたチェスの駒一式、古代神殿から発掘されたガラスの壺、それから、ああ……あの錆びた短剣……」
「どれもこれも、昨日見たものだな」
ロイも後ろからのぞき込んでくる。
「『自慢の我が子だ』って言ってた奴ばっかじゃないか」
「それだけ高価で貴重なものということになりますね」
シャーロットは顔を上げると、楽し気に周囲を見渡した。
「絵画は階段の途中に飾られていたもの、チェスの駒一式はリビング、ガラスの壺と錆びた剣は3階の展示室にありました。ちょっと行ってみてもよいですか?」
ヘンリーが頷いたので、シャーロットは階段を上り始めた。
「私は何度か来ているので、どこに何が置いてあるのか知っています。夫人も美術品を見せて回るのがすきでしたから、これは他の客人にも言えることでしょう」
「つまり、犯人の顔を夫人は知っている可能性があると?」
「あくまで可能性ですね」
シャーロットは壁にかけられた絵画に目を向けながら答える。
「他に可能性があるのは、ここに出入りできる人物。侍女と庭師があたりますね」
「それは私も考えました」
ヘンリーはちょっとムッとしたような口調で返した。
「夫人には誰かの恨みを買っていないか、盗みに入るような人物に心当たりがいないか思い出してもらっている最中です。それに、あの侍女はありえませんよ。かなりのご老体だ!」
「では、庭師は?」
「難しいでしょうね。庭師は通いの者で、屋敷の一階にしかあげたことがないようです」
2階以上の構造を知らないとされる庭師には、3階に展示してある壺や剣を盗むことは容易ではない。
もっとも、夫人の眼を盗んで上の階に出入りしていたり、他の招待客と夫人の会話からどこに何が置かれているのか見当をつけることは可能であろう。
「それに、盗品を持って逃げた痕跡がない。さっきも見せました通り、庭には盗人が逃走した痕跡がなかったのです。庭師なら庭を熟知しているでしょうが……」
「肝心の盗まれた品はどこへ消えたのか。まあ、それは後で庭を見せてもらったときに考えるとしましょう。ああ、ここですね」
シャーロットは3階に着くと、昨日は一番で見せてもらった部屋に足を踏み入れた。
ここも見るも無残な有様で、床には壺やガラスの破片が散らばっている。シャーロットが素敵だなと感じた星を落としたような椀や色彩豊かな壺は無事だったが、一番奥の棚が開かれたままになっていた。
「たしか、錆びた剣はここにありましたね」
記憶が正しければ、この棚に盗まれた短剣が仕舞われていた。
「失礼」
シャーロットは開け放たれた棚ではなく、その下の段を開いてみる。
そこには小さな箱が棚一面に隙間なく収納されていた。ためしに1つ開いてみれば、小指の爪ほどの真っ赤なルビーが収まっている。おそらくは、他の箱にも宝石が眠っているのだろう。
「犯人はどうして宝石を盗まなかったのでしょう?」
シャーロットがぽつりと言葉を零すと、ロイが小首を傾げた。
「そりゃ、剣の方が価値があるからだろ?」
「ですが、盗みやすいのはこちらですよ。どれも、ポケットに入るサイズです。私が強盗なら、あんな触ったら折れそうな剣やガラスの壺ではなく、こっちの宝石を選びますね。手軽にたくさん盗めますから」
「こっちの棚を開けなかったから気づかなかったんじゃないか?」
「そうだといいのですが、実に奇妙な犯人だこと。リビングは棚という棚が全部開いていたのに」
シャーロットはそう言いながら、足元に目を向ける。
ガラスや陶器の破片をじっと見つめ、いくつか手に取ろうとする。すると、ヘンリーが「怪我しますよ!」と慌てる声がしたので、指だけは傷つけないようにハンカチで拾い集めた。
「ここはもういいでしょう」
「そんじゃ、庭に出るってこと?」
「いえ、その前に夫人ともう一度お話がしたく思いまして」
破片をハンカチで包むと、シャーロットは部屋を出た。
リビングに戻れば、夫人は依然として意気消沈としていた。涙をほろほろ流し、しゃくりあげている。その傍には老婆の侍女が寄り添い、優しく背中をさすっていた。
「夫人、お加減はよくなりましたか?」
「……ええ、少しは」
夫人は力なく笑う。
「バーサーがね、ホットミルクをいれてくれたの。少し落ち着いたわ」
「奥様は昔からお茶よりもミルクがお好きでしたからね」
侍女のバーサーは皺くちゃな顔をますます緩めて小さく微笑んだ。
「少しでも気分がよくなればと思ったのです」
「バーサーさんも驚いたでしょう。この惨状に」
シャーロットは侍女に尋ねてみる。
「ええ。私は最近は街から通っていましてね……息子が農園へ行く途中に荷車で送ってくれるのですが、びっくりしましたよ。玄関の扉を開けたら、奥様が倒れておりましたし、屋敷もこんな状態で……」
侍女はその時のことを思いだしたのか、ぶるりと身体を震わせた。
「息子を呼び止め、急いで騎士隊を呼んだのです」
「なるほど……つまり、息子さんが通報したのですね」
「はい、私は奥様が心配で……」
自分の長年仕えた女主人が腕から血を流して倒れていたら、それは心配で離れることはできないだろう。
「……そういえば、マリリン夫人。3階でこのような物を拾いました」
シャーロットは聞きたことは終わったので、今度は夫人の前に進み出る。彼女の前に座ると、ハンカチをゆっくり開いた。
「破片がいくつも落ちていました。修復師を呼びますか?」
「……いえ、もういいの」
夫人は辛そうに眉を寄せ、静かに首を横に振る。
シャーロットは驚いて目をちょっと見開いた。
「ですが、夫人の大切なコレクションでしょう?」
「そうだけど、修復師を呼ぶとね……」
夫人は目を泳がせ、口ごもってしまう。
その様子を見て、シャーロットはにこりと笑った。
「でしたら、私が修復師代を出しましょう」
「え!?」
今度は夫人が目を丸くする番だった。よほど驚いたのか、目玉が零れ落ちそうなほど見開き、口もあんぐりを開けている。
「いくらお金を持っていたところで、死後の世界にまで持っていけませんもの。夫人が苦労してお集めになった貴重な品のためなら、修復師代くらいは出しますわ」
「で、でも、かなりの金額になるわよ!?」
「かまいません。その分、夫人は他のところにお金をお使いになったらいかがです? たとえば、壁紙とか」
シャーロットがにこやかに申し出ると、夫人は壁紙に目を向けた。リビングの落ち着いた壁紙はナイフで切り刻まれている。夫人はそれを見ると、申し訳なさそうに頷くのだった。
「そうね……壁紙を張り直すのはかなりの出費になるものね……」
「では、のちほど手配させていただきますね。……その代わりと言っては何ですが、庭を拝見してもよろしいでしょうか?」
シャーロットはわずかに声を落として、夫人に語りかける。
「昨日、手入れが行き届いてないからと断られてしまったので。それに、犯人の手がかりが残っているかもしれません。もちろん、ヘンリーたちの捜査の邪魔になるようなことはしませんわ」
「シャーロットお嬢ちゃん……ありがとう」
夫人は深々と頭を下げる。
シャーロットはハンカチで包んだ破片を近くの騎士に預けると、彼女に背を向けて歩き出す。そして、庭に出るため裏口に回ろうとしたとき、ぽつりと呟く。
「……資金繰りに苦労しているようね」
無理もない。
いまもどこかしらに美術品が目につく。この屋敷に置いて、貴重な品が目に入らない場所の方が少ないだろう。これだけのコレクションを集め、維持するのにどれだけの費用が掛かるのだろう。下手したら、国家予算並みの金額が必要になって来るのではないだろうか。
「資金繰り……?」
ロイがシャーロットの言葉を拾う。
「……なんでもありませんわ。それよりも、ロイさん。ここからあなたの出番ですよ」
裏口の扉を開けると、庭が広がっている。
そこで見つかるのは、本物の魔法かはたまた犯行のトリックか。どちらにせよ、ロイの鼻にかかっているのだ。
「犯人の臭い、見つけてくださいね」
シャーロットは振り返ると、悪戯っぽく笑うのだった。