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57話 衣装屋の噂話


 ネザーランド夫人は、サリオスの耳元でこう囁いた。


「次期王妃様は妊娠なさってるの」


 夫人の言葉を聞き、サリオスは眉間に皺を寄せた。できる限り不快感を表情に出さないよう心がけながら、夫人に問い返すことにする。


「それだけか?」


 サリオスは商売に直接携わったことはないが、それでも情報と値段が釣り合わないことだけは理解できた。アルバート王太子とオリビアが熱熱な関係であることは、誰もが知っていることだし、結婚式待たずして子を成すことも容易に想像がついた。彼女が教えてくれた情報は、冬用のドレス8着分と春のドレス1着分では割に合わない。


「貴方は公正な商売をすると信じていました」

「あら、私のことを随分と買ってくださっていたのですね」


 ネザーランド夫人はくすっと微笑んだ。いつのまにか手にしていた扇子を開き、口元を貞淑に隠してみせる。すっと目を細めてこちらを見る視線からは「もう少し投資すれば、その先を教えます」と暗に訴えているように見え、サリオスの不快はますます強まった。


「妊娠なんて、誰もがすぐに知ることです。腹が膨らめば、民だって気づきます。いえ、その前に、あのオリビアがヒールを履かなくなった時点で、勘の良い人なら理解することでしょう」

「おっしゃる通りだわ」


 サリオスが糾弾すると、夫人はさらに目を細めた。


「当然、この話には続きがありましてよ」


 夫人はぱしんっと音を立てながら扇子を閉じた。

 そして、目を輝かせながら口を開いた。


「彼女、アルバート様の従者の子を妊娠しているのよ」

「冗談はやめろ」


 サリオスは冷たい声色で返していた。

 

「僕が聴きたいのは、市井のゴシップじゃない。真実の話だ」

「あら、かぎりなく黒だと思いますわ――まあ、そう思われるのも無理はありませんが」


 すると、夫人は甲高い声を潜めた。内緒話をするかのように、再び扇子を開き、こちらの耳に寄せてくる。


「いま、あの2人は仲がやや冷めてますの。アルバート様は市井の娘に夢中ですから」

「……例のマリリンとかいう娘か?」

「ご存じでしたのね。もっとも、実在するのか定かではありませんが」


 夫人の口の端がわずかに吊り上がった。


「私、調べましたのよ。アルバート様が夢中になられる方ですもの、将来のお得意様になる可能性がありますから。ですが、なにも分からずじまい。……私の情報網でも経歴や居場所も引っかからないとなると、他国のスパイかもしれませんわ」

「ハニートラップか。あいつなら、すぐに引っかかるだろうさ」


 サリオスはやれやれと頭を振ってみせた。

 まさか、その娘がシャーロット・エイプリルの変装とは口が裂けても言えるわけがなかった。名前も経歴もなにもかも彼女が適当にでっち上げたものなので、どこまで捜査の網を広げても成果は得られないだろう。もしかしたら、サリオスが知らないだけで、シャーロット自身は絶対に足が着かないように工夫してからついた嘘なのかもしれない。自慢の妹が考え抜いた嘘なら、夫人の目を誤魔化すことだって可能だろう。


「……で、アルバートはマリリンなる娘に夢中。そっちに心を完全に奪われて結婚が破談になる前に、オリビアは既成事実を造ろうとした……そんなところか」


 サリオスはため息をついた。

 オリビア自身がシャーロットから略奪した結果、いまの地位にいる。彼の寵愛だけが、いまの地位を支えていた。そこから寵愛が消えてしまえば、転落すること間違いなしだ。後に残るのは、王太子から寵愛を受けていた下級貴族という事実のみ。一歩判断を誤れば、シャーロットのように消えない呪いを背負うはめになってしまう。そうならないようにするためにも、腹に子を宿したに違いない。


「……そんな理由で産まれてくるなんてな」


 はたして、その子は真に望まれて産まれてくるのか?

 正しい愛情を注がれ、健全に成長することができるのだろうか?

 サリオスはオリビアが宿した性別すら分からぬ赤子の未来を想像し、無性に悲しくなった。そっと目を閉じ、気持ちを切り替える。赤子のことなど、いま考える場合ではない。いま、大事なのはシャーロットの身に起きた事件を解決するためなのだと。サリオスは短く息を吐き、同情の気持ちを吹き飛ばしてから、再び目を開いた。


「だが、疑問は残る。なぜ、お前の店から衣装箱が届くんだ? それも、ほぼ毎日」

「毎日?」


 ここで初めて、ネザーランド夫人の顔から笑みが消えた。ぽかんっと小さな口を呆けたように開け、まじまじとこちらを見つめてくる。


「毎日? 毎日って、一体……? なぜ、そのようなことを?」


 夫人は状況が飲めないらしく、自分で発した言葉にすら戸惑っているように思えた。

 どうやら、本当に衣装箱が毎日届けられていた事実を知らないようだ。


「言葉通りだ。あなたの店から2、3箱の衣装箱が城門を通過している。それも、毎日――だから、てっきり30着以上は卸していると思っていた」

「……嘘、ではないようですね……」


 夫人は虚を突かれたような顔をしていたが、だんだんと笑顔が戻ってきた。ただし、ただの笑顔ではない。笑顔の仮面だった。表情筋こそ笑顔を形作っているが、目がまったく笑っていない。サリオスの目から見ても分かるくらい、夫人が怒っているのが伝わってきた。


「そのようなこと、我が店は一切関与しておりません。大量の依頼があったというのであれば、必ず私の耳に入る仕組みになっておりますの。ですが、なにも聴いておりませんわ。部下に確認するように――いえ、店の信用問題に関わってきますので、すぐに店に戻り確認してきます」


 夫人はスカートの裾をつまみ、そそくさと一礼し、そのまま出て行こうとした。

 サリオスはその背中に待ったをかける。


「あと1点、聞いてもいいか?」

「大事なことでしたら」

「結婚式用のドレスとはどういうことだ?」

 

 サリオスは率直に疑問に思ったことを尋ねた。

 シャーロットに結婚する予定など聞いたこともないし、そのような相手がいるわけもない。少なくとも、シャーロットは数か月後に自分が命を落とすことを自覚している。相手より先に旅立ってしまうことが確定しているというのに、妹が結婚を志すとは思えなかった。ましては、彼女に本以上か同等の関心を寄せる相手が現れるとも想像がつかない。


「お聞きではないのですか?」


 夫人はわずかに驚いたように瞬きをした。そして、すぐに状況を飲み込んだのだろう。ここに来た当初のように、くすっと笑った。


「あらあら……シャーロット様、内緒にしてましたのね」

「……ほう」


 サリオスはわずかに目を細め、腕を組んだ。指先に力を入れ、ぎゅっと腕をつかむ。そうでもしないと、「信じられない!」と叫びたくなる気持ちが表情に出てしまいそうだった。必死に本音を噛み殺し、さも平然としているような声色で聞くことにする。


「サプライズのつもりだったことを聞いてしまった、ということか……だが、これでも、エイプリル家の次期当主。妹がこっそり何を計画しているか知っておきたい」


 サリオスは言葉を口にしながら、冷静に妹の思考を考えようとした。


「さしずめ、古の魔法が彼女の心臓を止める前に、花嫁衣裳を着てみたかったというところか? 我が妹にしては可愛らしい夢だ……気づかれたくなかったんだな。僕は知らないふりをすることにしよう」

「いえ、結婚されるようですよ」

「…………は?」


 夫人の発言を頭で理解するまで、たっぷり一分近くかかった。それでも理解が追いつかず、長い沈黙の末、変な言葉が口から零れ落ちてしまう。


「誰と?」


 妹に出会いなどなかったはずである。

 書庫に籠っているか、馬と戯れるか。

 シャーロットの興味とはそのくらい。魔法には並々ならぬ関心を抱いているが、フィールドワークに出ることはなく、基本的に書庫の本から知識を吸収している。誰かを招くこともなく、彼女の性格上、貴族たちから嫌われているので好意的にパーティに誘われることもないし、「未来の王妃」というう枷が外れた現状、そのようなところに進んで顔を出すこともないだろう。


「獣人の騎士様ですよ。ロイ・ブラックドッグという方で――そうそう、その犬とよく似た方ですわ。黒髪で俊敏な方でしてね、とても陽気で……まあ、私の眼から見ても、そこまで悪い方ではないと思いますわ」

「ロイ……ロイ、だと……!?」


 サリオスは立ち竦んでしまった。

 夫人がくすくす笑いを携えながら「では、失礼致しましたわ」と退出してからも、石のように固まったまま動けない。まるまる数分程度してから、ようやく声を発することができた。


「あの男と……? シャーロットが……!?」


 それまでシャーロットの身に起きた不幸のことしか考えていなかったのに、いまやすべて吹き飛んでしまった。どうしたらよいのか分からず、ちらっと足元の犬に目を向けるが、黒犬は素知らぬ顔で欠伸をするところだった。心なしか、こちらと視線を合わせないように伏せているようにも感じたが、きっと気のせいだろう。


「っく、気づかなかった。悪い奴ではないが……むしろ、気の良い奴だが……!」


 少なくとも、友人としてシャーロットに紹介する程度には友人だし、親友のカテゴリーに入れても良いだろう。シャーロットの結婚相手として考えると、身分差はあったが、人間性はアルバートより遥かに良いことは断言できる。むしろ、そのあたりの貴族の子息より、シャーロットを幸せにできるはずだ。

 しかし、それはそれ。これはこれだ。


「あいつが義理の弟になるというのか? いや、待て、そもそも結婚式を挙げるなんて聞いてない! 知らないのは僕だけなのか!? どういうことだ!?」


 サリオスは混乱の渦に叩き込まれた。ぐるぐると部屋を歩き回りながら、突如降ってきた妹の結婚についてあれこれ考えてしまう。脳の冷静な部分が「いまはそのことを考える場合ではない」と指摘して、その都度、妹の事故について考えるのだが、やっぱりこの話題が沸々と浮上してきてしまう。

 そうこうしているうちに、執事が控えめなノックと共に入出を請うてきた。


「入れ!」

「失礼致します。サリオス様、シャーロット様がお目覚めに――……」

「すぐ行こう!」


 執事の言葉を最後まで聞かず、サリオスは即座に返答していた。

 あれほどの事故に巻き込まれ、やっと目覚めたのだ。きっと、疲れているだろう。そっとしておいてあげた方が良いに決まっている。心のある兄ならば「ゆっくり休め。いまは寝ろ」と微笑みかけるはずだ。

 しかし、彼女には可哀そうだが、そうはいっていられない。

 結婚のこともそうだが、現時点で判明していることや自分なりに考えた推理や伝えなければならなかった。彼女は寝てしまったら、聞くことを後回しにしてしまったことを悔いるに違いない。少なくとも、自分の知る妹であれば――……。


「シャーロット!」


 妹の部屋に向かう足も進むにつれ速度を増していき、部屋の扉をくぐるときには半ば走っていた。


「……サリオス兄様」


 ベッドに横たわる妹は、青ざめていた――が、不敵に微笑んでいた。血の気が完全に失せ、誰がどう見ても万全ではない顔色だったが、青い眼を細め、楽し気にこちらを見つめている。


「……少しは調べてくれましたか?」

「当然だ。妹がなにを欲しているのか、分かるに決まっている」


 サリオスも笑い返した。

 彼女が気を失い、黒犬がここに連れてきたときから起こったこと、自分が知ったことをすべて話すことにする。これ以上、彼女の身体に負担をかけないように、なるべく早口で語るのだった。


 愛する妹のために。



次回更新は3月下旬の土曜日の予定です。


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