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54話 ちりぢりになって

 ところが、アンナから話を聞くことはできなかった。

 それどころか、王城の書庫に足を踏み入れることすら叶わなかった。


「今日は誰も入れるな、との命令だ。帰れ!」


 王城の門の前で馬車は止められ、2人の門番から厳しい口調で引き返すように指示される。

 シャーロットが馬窓を覗くと、御者が手にほとほと困っている姿が見えた。御者が許可証を提示しながら、なんとか門番を説得しようとしている。


「そうは言いましても、こちらには許可証があります。正式なものです。国王陛下のサインだって――」

「何度言っても、今日は誰も入れるなとの命令なのだ! さあ、帰れ!」


 ところが、ここで思いもしないことが起きた。門番はいらだちながら言い放つと、御者が手にしていた許可書をひったくり、その場でびりびりに破いてしまったのである。

 国王のサインがしっかり書かれた許可書は散り散りになり、地面にはらはらと落ちていく。


「な、なんてことを!」


 御者の顔色は瞬く間に青ざめ、すぐさまびりびりになった紙をかき集める。

 これはまずいことになった、とシャーロットが思ったのと同時に、馬車のドアが乱暴に開け放たれた。


「おい! なにしてるんだ!?」


 シャーロットが動く前に、ロイが馬車から飛び降りてくれたのだ。すぐに御者と一緒に紙を拾うのを手伝ってくれたが、すでに何枚かは風に飛ばされてしまい、全部を拾うことは難しいだろう。ロイは集めた紙の切れ端を大事そうに抱えながら、門番を睨みつけた。


「許可証を破るとか、なに考えてんだよ!」

「誰かと思えば、近衛の獣人じゃねぇか!」

「お前みたいな獣人と話すだけで吐き気がするぜ。だいたい、いまは仕事クビになって、性悪シャーロットのお守りしてんだろ? あー、落ちぶれたものだなー」


 門番たちはロイのことを知っているらしく、子馬鹿にしたように笑っている。

 それに対し、ロイは怒鳴り返すことはしなかった。ロイの尻尾の毛が逆立つのが遠目からでも分かったので、激怒していることには違いない。だが、彼は努めて平静に話そうとしているらしく、数度呼吸を繰り返してから尋ねていた。


「……お前たちこそ、ちゃんと門番としての仕事をしてるのか? これは正式な書類だろ。王のサインがあるし、書庫を利用する日付まで明記されているじゃねぇか」

「おー、凄んでやんの。獣人は怖い、怖い」

「…………正式な書類だっていうのに、門を開けねぇってことは怠慢か? それとも、なにか理由があるのか?」

「お前なんかに教えるかよ。さっさと尻尾まいて帰れ! ほら、帰れったら!」


 門番たちは大声で笑う。

 シャーロットは静観するつもりだったが、これ以上、黙って見ていることはできなかった。小さく息を吐くと、扇子をわざとらしく音を立てながら開いた。

 馬車の内部から音がしたので、ロイがおもむろに振り返る。それにつられるように、門番たちも馬車のなかに視線を向けた。


「門前払いされたのでしたら、仕方ありませんわ」

「っ、お嬢さん!? いいのかよ!?」

「なにかの事情があるのでしょう。ロイさんたちが許可証を拾い集めてくださりましたし、これを持ってタウンハウスへ帰りましょう」


 シャーロットは扇子で口元を隠したまま、目元とわずかに緩ませる。そして、そのまま――門番たちに微笑みかけた。


「ちょうど、お父様はタウンハウスにいる時間ですもの。予定よりも少し早い帰宅に驚かれるかもしれませんが、城に入れなかった理由を説明すれば納得してくださるはずですわ。国王陛下(・・・・)の命令ですものね」


 最後の言葉を告げるときだけ、目を細めてみせた。

 それまで、門番たちは野次馬気分といった雰囲気でシャーロットを眺めていたが、冷たい視線を注がれ、ぶるりと震えあがる。シャーロットは彼らが怯えたことに気づかないふりをしたまま、なるべく柔らかい優し気な声色で話を続けた。


「この許可証は、私のお父様が国王陛下に頼んで発行してくださったもの。それをこのように粗末に扱われるとは、きっと深い理由があるのでしょうね。まさか、国王陛下が我がエイプリル家に喧嘩を売るような真似をするとは思えませんし……大臣であるお父様でしたら、理由を知っているはずですから、直接聞くことにしますわ」


 にっこりと微笑みかければ、門番たちの顔からはすっかり色が抜け落ちていた。門番たちはロイを押しのけるように扉の前に立つと、これまた見事な敬礼をした。


「い、いえ。シャーロット・エイプリル様! 本当の本当に『今日は限られた人しか城に入れてはならない』との命令が下っているのです!」

「本当なんです! おれたち――いや、私たちは命令通りに動いているだけでして」

「国王陛下の?」


 こてん、と首を傾ける。

 微笑みは絶やさず、けれども、氷の視線を向けながら問いかけた。


「国王陛下が『この日なら来ても良い』と定めて許可を出した日に、国王陛下が駄目だと命令を出すかしら?」

「いえ、アルバート殿下です!」


 門番の一人が否定するように叫ぶ。

 隣の門番が「おいっ!」と小突くが、シャーロットの耳にはしっかり届いてしまっていた。


「そう、アルバート様が……このようなことを」


 わざとらしく笑みを深くし、くすっと息を零した。


「それが分かっただけで十分です。教えていただき、ありがとうございます。私、嘘をつかれることが嫌いでしてね。どうして、その人が嘘をついたのか……知りたくてたまらなくなってしまいますの」


 話は終わりだと言わんばかりに、ぱたんと扇子を閉じた。

 ロイと御者もこちらの意図を察したのか、無言で馬車に戻った。


「あ、あの! 私たちは本当に上からの命令で――」


 門番たちが冷や汗を垂らしながら、なにやら叫んでいたが、ロイが拒絶するように扉を閉める。それに呼応するように、馬車が滑らかに動き始めた。王城が後ろに下がり、王都の貴族街へ馬車が進み始めたのを確認し、シャーロットはようやく肩を落とした。


「……はぁ、まさか、アルバート様がこのような命令を出していたとは」


 父に手紙で「城の書庫へ行きたい」頼み込み、国王陛下のサイン付きの許可証を手に入れたというのに、それが無駄になってしまった。アンナと話すことも楽しみだったが、それと同じくらい、城の書庫の所蔵された本に目を通したかったのに……と、気持ちが落ち込む。


「アルバート様は……私が来ることを知っていたのでしょうね」

「どっちが性悪だよってなー」


 ロイも同意するように頷いてくれた。


「いじわるするなら、もっと他にも手段があるだろ。お嬢さんの親父さんが大臣なんだから、こんなことしたら何が起きるか分かりそうなものなのにな」

「まったくです」


 もっとも、父に今回の件を相談したところで、事態が好転するとは思えない。この程度のことで、父が王国に激怒していたら……自分の胸に死の紋様が刻まれることにならなかっただろう。シャーロットは自分の胸に触れながら、小さく息を吐いた。


「ですが、ありがとうございます。あの場で飛び出してくれて」


 シャーロットは胸に置いていた手を膝に落とし、血を通わすようにさすった。


「私の足は、もう満足に動きませんから」


 笑顔を浮かべていたけど、寂しさが少し滲んでしまう。

 杖を突いて、ゆっくりと歩くことはできる。

 だけど、階段を登ることが難しくなっていた。足の筋肉が固まってしまい、膝を持ち上げることが至難の業になっている。いまではもう……大好きな馬にまたがって、風を切って走るなんて夢のまた夢だ。


「お嬢さん」


 ぽん、と。

 ロイの大きな手のひらが、私の手を優しく握った。


「……お嬢さんにかけられた魔法、早く解かねぇとな」


 私のものとは異なる温かな熱が伝わり、心の奥をじんわりととかすような柔らかさに包まれていく。絹織物を扱うような優しい手つきなのに、不思議と確かな力強さを感じた。


「あなたの魔法も解けるといいですね」


 ロイの手に目を落としながら、シャーロットの口から言葉が零れる。


「あなたの口から、もっといろいろな話を聞きたいですわ」


 ロイがなんて答えたのか、どんな表情をしていたのか。

 それを確認することはできなかった。


「――、お嬢さん。俺は……っ!?」


 なぜなら、彼が口を開いた瞬間、世界がひっくり返った。

 比喩ではなく、文字通り馬車がぐるりと回転する。悲鳴を上げる余裕さえなかった。世界が回った、と気づく前に、ロイに抱き寄せられる。


「――ッ!?」


 人の悲鳴、馬の嘶き、そして、激しく脈打つ鼓動だけが耳から入り、なにがおきたのかと思考する間もなく、激しく地面に叩きつけられた。ロイに抱き寄せられていたはずなのに、後頭部から殴られたような衝撃が奔り、頭がぐらりと揺れる。


(いったい、なにが……ここは、外? 扉は、いつのまに……?)


 ちりぎりになった思考を纏めようとするが、痛みのせいか、はたまた死の呪いの影響か、うまく考えることができない。そのうち、だんだんと視界が端から黒く塗りつぶされていく。


「ロ、イ……さん」


 助けを求めるように声を絞り出したのを最後に、シャーロットは意識を手放すのだった。




次回は10月の土曜日に更新を予定してましたが、11月2日に延期します。大変申し訳ありません。

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― 新着の感想 ―
ぎぃやぁぁぁああ!!!杖ついて歩くのがやっとだってのになんて仕打ちぁ…誘拐か!?
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