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44話 精霊の軟膏

「精霊がいる? ここに!?」


 ロイは身体を強張らせ、不思議そうに周囲を見渡している。鼻をぴくぴくと動かし、少しでも周囲の臭いを感じ取ろうとする様子を見て、シャーロットは小さく肩を落とす。獣人のロイが本気になれば、姿の見えない精霊の匂いを感じ取ることができるかもとも考えたが、現実はそう簡単にいかないものだ。


「まあ簡単に見つかったら苦労しませんわ。それに、精霊がこの場にいると仮定したとき、ちょっと腑に落ちないことがありますの」


 シャーロットは本の表紙を撫でながら、自分もなにもないように見える空間を眺める。


「私の周りに精霊がいるのでしたら、アルバートはどうして私の変装を見破れなかったのでしょう?」

「変装? って、ああ。酒場のときの話か」


 ロイは眉をしかめ、怪訝そうな視線を向けてきたが、すぐに納得したような顔で頷いた。


「たしかに、妙だな……精霊が見えてるなら、王太子には街娘の正体がお嬢さんだって分かったはずだ」


 シャーロットの周りに魔法を引き起こす精霊がいるのであれば、王都の酒場で街娘に扮したときも近くに精霊の姿があったはず。にもかかわらず、アルバートはその存在に気づくことなく、シャーロットを一介の街娘だとすっかり信じ込んでいた。魔法をかけた張本人なのに、自身の使役する精霊に気づかなかったということになる。


「このことから考えられるのは、アルバートも精霊を見ることができない可能性です」

「魔法を使えるのに?」

「思い返せば、おかしなことですの」


 シャーロットは考察を静かに口にした。


「覚えていますか? 私がアルバートの婚約者として選ばれたのは、母方の曾祖母が王の姫君だったからだと語りましたね? 王家の血を濃くすることで、このご時世でも魔法という神秘を行うことができる――それが定説でした。ですが、ちょっと変だと思いません? もし、王家の血を引く者が魔法を使えるのなら、私だって魔法を使える可能性があるはずなのです」


 もしかしたら、自分でも精霊だって視えるかもしれない。


「そりゃ、お嬢さんが王家の血が薄いからじゃねぇの? 曾祖母って、結構離れてるだろ」

「たった三世代です」


 シャーロットは戸惑う彼に対し、三つの指を立てた。


「もちろん、三世代分他家の血が入っていますが、その程度薄まったくらいで精霊が見えなくなり、魔法を扱うことができなくなるのであれば……」

「いくら直系でも、魔法なんてもんを使いこなせるとは到底思えねぇな。精霊が見えるってのも怪しくなってくるが……実際にお嬢さんは魔法をかけられてるんだよな」

「つまるところ、アルバートは精霊を見ることができないのに、魔法を使うことができると推察できます。または一定の条件下のみ、精霊を視認でき、魔法を使うことができる――私としては後者だと思いますわ」

 

 たとえば、場所。

 玉座の間にいるときに限り、魔法を使えるのであれば、婚約破棄を伝えるときにわざわざ呼びつけた理由にも納得がいく。

 ただ、この説は少し弱い。もし、玉座の間で魔法を行使することができるのであれば、シャーロットのように王家の血を引く他の者も精霊を視認し、魔法を使える可能性が生じてくる。しかし、あの場では自分や父のように自分よりも王家の血が濃い者でも、精霊を視た者はいなかった。

 もしくは、アクセサリー。

 王冠や王太子のみが身につけることを許されている指輪が、所有者に精霊を視ることができる力を与えている可能性がある。

 だが、これも説得力に欠ける。

 アルバートが「偽プリンスを捕えるため」に酒場を来襲した際、しっかりと王太子の指輪を身につけていた。その時点で、この説はいささか真実味がない。それに、アルバートは感情のまま動くことが多く、アクセサリーを身につける程度のことで魔法を発動させることができるのであれば、もっと多くの魔法を皆の前で披露していたことだろう。


「アルバート本人に聞くことができれば簡単ですけど、それは不可能でしょう」


 もう一度、街娘に変装して口を割らせてもよいが、わざわざ危険な橋を渡りたくはない。杖が傍らにないと歩行に不安がある以上、あのときのような立ち振る舞いは難しいし、足元が不自由になってしまった理由をこじつけるのも面倒だ。


「そっか……ならさ、薬ってのはどうだ?」


 ロイがぽんっと手を叩いた。


「たしか、どっかの本に書いてあっただろ? 『精霊の軟膏』って薬を塗れば、精霊が視えるようになるって!」

「それが一番可能性としてはありえますが、問題は薬の作り方が失伝しているということです」


 シャーロットは首を振る。


「作り方が記された本がどこにもないのです。ここにも、城の書庫にも、ダグラス家の書庫にも」

「マジか……」


 何千という本を見てきたし、『精霊の軟膏』の存在があることは知っている。だが、肝心な作り方がどこにも記されていないのだ。


「せいぜい見つけたのは、『四つ葉のクローバー』が必要ということだけ。四つ葉のクローバーを見つけたあとの処理が分からないのです」


 幸運の象徴を探すだけでも一苦労。きっと、他の材料も手に入れるのが難しい品であることは簡単に想像がつくし、精製するときも一手間必要だということは火を見るよりも明らかだ。


「……いったい、どうするべきなのでしょうね」


 こうして手を伸ばした先に、精霊がいるかもしれない。指先に触れているかもしれない、と想像するだけで心が躍る反面、やっぱり視えないことへの寂しさは募るばかりだ。


「お嬢さん……」


 そんなシャーロットに対し、ロイが何か言おうと口を開きかけた、そのときだった。


「シャーロットお嬢様、失礼します」


 書庫の扉をノックする音のあと、侍女がどこか困ったような顔で顔を覗かせてくる。誰かからの贈り物なのか、大きな細長い箱を抱えていた。


「騎士隊長のヘンリー様がいらっしゃいました。お嬢様に火急の要件があるとか」

「……お断りしますわ」


 わざわざ訪ねてきたのに申し訳ないが、犯罪を暴くことを専門にしているわけではないし、そのたびに頼られては困る。残りの人生を静かに過ごすためにここにいるのであって、街の事件を解決するために滞在しているのではない。一応、連続放火事件の以降、毎日新聞に目を通しているが、シャーロットの目を特別引きつける悪質な事件は起きていないので、いまは魔法のことに専念したかった。


「ですが、お嬢様……ヘンリー様が『シャーロット様にお会いできなくても、これを見せて欲しい』と」


 侍女はおずおずとした声でそう言うと、傍らに持っていた大きな箱をゆっくりと空ける。

 シャーロットは興味なさそうに侍女を眺めていたが、箱のなかにハッと目を惹くほど美しい緑のドレスを見た途端、さあっと全身から血の気が引くのが分かった。


「いますぐ蓋を閉めなさい!」


 シャーロットは考える間もなく叫び、勢いよく立ち上がった。あまりに激しく動いたせいで、傍らに置いてあった机に肘が辺り、カップが床に落ちてしまう。だが、そのような些事を気にしている場合ではない。


「それは死のドレスですわ!」




次回は24日の夜に更新します。

※申し訳ありません。更新予定を12月1日に延期します。

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