43話 カウントダウン
五章が始まります。
最後までよろしくお願いします。
書庫は好き。
本に囲まれて古書の香りを嗅いでいると、木陰で微睡むような安心感があった。
もちろんページをめくり、その世界観に浸るのは堪らない幸福のひと時なわけだが、こうして本を膝の上で広げたまま、ぼんやりする時間が増えたような気もする。
「――さん……お嬢さん?」
どこか戸惑うような声をかけられ、シャーロットの意識が浮上した。
「ロイさん?」
シャーロットは顔を上げ、心配そうに眉を寄せる獣人を不思議そうに見つめる。どうして話しかけてきたのか、と一瞬考えこみ、彼が手にしていたサンドイッチの包みを見て納得した。
「もうお昼でしたか……時間が経つのは早いですね」
「いや、もう昼だけどさ。なんつーか、大丈夫か? ぼやっとしてる時間、増えてね?」
「そんなことは……」
すぐに否定しようとするも、手元のページが進んでいないことは事実である。シャーロットは言葉を詰まらせるも、ややあってから瞼を閉じる。
「ええ、事実でしょうね」
「具合悪いのか? 顔色は平気そうだけどさ」
不安そうな声と共に、なにかが近づいてくる気配で目を開ける。ちょうど、ロイの大きな手のひらが迫ってくるのが目に飛び込んできた。シャーロットの前髪を優しく退け、硬くも温かなぬくもりのある手のひらが額に被せられる。
「んー、熱はないみたいだな。食欲は?」
「あまりありませんが、それはいつものことです」
「それもそうか。だけどさ、お嬢さんはもう少し食べた方がいいぜ? ちょいっと痩せたんじゃないか?」
「貴方という人は、本当によく見ていること」
シャーロットが肩をすくめれば、ロイは額から手を退ける。
「なにか原因があるのか? 夏バテには早いだろ」
「あくまで推論ですけど……その前に、貴方には言わないといけないことがありましたね」
ずっと言う機会を逃していたが、ちょうどよい頃合いだろう。
シャーロットは覚悟を決めるように深呼吸をすると、ゆっくりと――しかし、ハッキリとした声でこう言った。
「『精霊の泉』への旅行の件ですが、白紙に戻そうと思いますの」
「本気か、お嬢さん!?」
すると、ロイは驚いたように瞬きをする。
「だって、物凄く楽しみにしてたじゃねぇか! そこに行けば、精霊が見えるかもしれねぇんだろ!?」
「ですが、現状難しいと思いまして」
「それは……お嬢さんの体調が悪いのと関係してるのか? ここんとこ、怪我してねぇのに杖使ってるし」
ロイの視線が、いまもシャーロットの手の届くところに立てかけられた杖に向けられる。ここのところ、どこへ行くにも手放せなくなってしまった相棒のような杖を見て、シャーロットは苦笑いをすることしかできなかった。
「最近、よく躓くことが増えましてね」
「医者呼んで検査した方がいいんじゃ……主治医は何か言ってるのか? たまに来るだろ」
「きわめて健康と」
実際、病気にかかっているわけではなかった。
王都の兄が心配して二週に一度、派遣してくる主治医の健康診断を受けているが、特に問題なくパスしている。歩行だって早く歩けなかったり段差に躓きそうになることはあれど、特に膝が痛むなどといった外傷はなく、指先も少し力が入らないような気もするが、こちらも突き指などの怪我をしたわけでもなければ日常生活に支障をきたすほどではない。
では、これらの異常は何故? と考えたとき、思い当たる節は一つしかない。
「おそらく、魔法のせいでしょう」
シャーロットはそう言いながら、胸元を抑えた。
服によって隠されているが、白い胸には八枚の花弁が刻まれている。
「1年後に死ぬって奴か? だけど、それはまだまだ先で――」
「ですが、予兆は始まっています」
1月過ぎるごとに、花弁が1枚散る。それに伴い、花弁が刻まれた心臓を中心に激しい痛みが全身を襲い、苦しみでのたうち回りそうになる。最初はそれだけだと思っていた。だが、次第にそれだけではないということがひしひしと伝わってくる。
「月が経つことに、杖が必要になり、手先を使った活動に支障が出始めています。思い起こせば、ここしばらく月のモノも来ていません。……これはあくまで仮説ですが、死の魔法が進むごとに身体に何かしらの影響を及ぼしているのでしょう」
シャーロットは自分以上に愕然とする男に向かって、淡々と自身の推論を述べた。
「いまの体調なら、ぎりぎり『精霊の泉』まで行けるでしょう。ですが、現地に着く頃には再び魔法が進行します。そのとき、どのような不具合が身体に出るのか……分かりません」
「そのあたり、過去の文献には書かれてないのか?」
ロイが震える声で尋ねてくる。
「俺も『死の魔法』にまつわる文献って奴を何冊も読んだけどさ、そういう記載はなかったぜ」
「そうでしょうね」
シャーロットはロイの意見に同意した。
「王家に伝わる死の魔法を受けて、きっちり12か月後に死んだ人間はいないのです」
多くは魔法を受けた時点で絶望し、自ら死を選ぶ。
自分の身辺整理をする者も少なくないが、途中で命を放り出す。迫りくる死のカウントダウンに恐怖を覚え、誰もが悲観し発狂するのだそうだ。
「もっとも、この魔法を受ける時点で大罪人。周囲からは悪人として扱われ、白い眼で見られ続けるということもあるのでしょうけどね」
「お嬢さんは罪を犯したわけじゃねぇからな。むしろ、罪を暴いて人を助ける側だ」
「それは最近の星の巡りでしょう」
シャーロットはドナルドを無傷で救い出し、表彰されかけたことを思い出した。表彰やら式典に参加するのは面倒極まることだし、どう考えても自身に残された貴重な時間の無駄遣いなので、貴重な本の数々を謝礼代わりに、表彰を丁重に断ったのは間違いではない。
「とにかく、この魔法を受けて4カ月生きた人間は記録にないのです。ですので、ここからは未知の領域となってきます」
最後に心臓と呼吸が止まるのだと仮定し、他に衰えそうな機能を想像するだけで背筋に冷たいものが流れる。視力が弱まり文字が読めなくなるのは切ないし、古書の香りを嗅げなくなるのは辛いし、馬のいななきを聞くことができないのは寂しい。五感はもちろんだが、認知機能や記憶にダメージが来るかもしれないというところまで考えが至ったとき、無性に恐怖が込み上げてきた。いままで自分が培ってきた物が一瞬で崩れるかもしれないと悪い方へ想像が膨らむほど、身体から血の気が失せ、手先の震えが止まらなくなる。
「ですが、これはチャンスなのかもしれませんの」
だけど、それと同時に――1つ希望があった。
「これだけの大魔法、たった一度だけ魔法を唱えただけで効果が発揮できると思います?」
精霊の力を借り、人間には成しえぬ奇跡を起こす――それが魔法だ。
いまでこそ、アルバートのように王の直系くらいしか魔法を発現することはできなくなってしまったが、彼でさえ精霊の力がなければ魔法を使いこなすことができないはずだ。それを実際に行使し、シャーロットの身体に影響を及ぼしている以上、間違いなく魔法は存在し、恐ろしいまでの威力を発揮している。
「ですが、これまで読み解いた文献によると、魔法が発動するときには必ず精霊が傍にいないと不可能だとされているのです」
どれほど高名な魔法使いであれど、精霊がいなければマッチ一本分の火を起こすことすら叶わない。そう考えると、毎月決められた瞬間に死の魔法の花弁が散り、死が進行するというのは、どうにも引っかかるところだ。
「あのアルバートが、わざわざ魔法をかけた時間を覚えていて、王都から逐一魔法を唱える器用な真似ができるとは思いませんの」
「それは……確かに同意だな」
「ということから導きだされる仮説は一つ」
シャーロットはロイではなく、なにもないはずの周囲の空間を見渡して宣言する。
これだけ悲惨で背筋が凍るような未来が待っているのだとしても、そこに救いがあるように。
「見えないだけで、私の周りには『死の魔法』を発動させるための精霊がいるのです」
次回は11月17日の金曜日の夜に更新します。
(10日の金曜日の更新はお休みします)




