4話 美術館のような屋敷
シャーロットたちの乗った馬車は、堂々とした鉄門を抜けていった。
マリリン夫人の屋敷は街外れにあり、周囲は鬱蒼とした林に囲まれている。やや錆び気味の鉄門ということもあり、どこか陰気な空気を漂わせていた。それでも、舗装された私道の先に見えるこじんまりとした屋敷は小奇麗で、ちゃんと整備されている感じがした。
「さすがは、マリリン夫人の屋敷だな」
サリオスが馬車を降りると、感嘆の声を漏らした。
玄関周りには、数多のブロンズ像が威風堂々と設置されている。
どれもこれも、ここ百年における著名な彫刻家の作品だということは一目見ればわかった。ブロンズ像自体も手入れが行き届いており、つい最近できたばかりかと思わすほど黒々と輝きを帯びている。
ロイも口笛を吹き、しげしげとブロンズ像を見上げていた。
「この像、城の中庭にある奴と似てないか? 同じ作家の作品?」
「おそらくは」
シャーロットも貴重な品々に目を奪われてしまう。
玄関前の石段も磨き抜かれ、雑草ひとつ伸びていない。このあたり、マリリン夫人の几帳面な一面が現れているように見えた。
「凄い資産あるんだな」
ロイが呟いた。
「何者なんだ?」
「銀のとれる山を持っていると聞いたことがある」
サリオスは呼び鈴を鳴らしながら答える。
「もともとは旦那が持っていたらしいんだが、はやくに亡くなってたそうでな……」
そこまで言うも、ドアノブを回す音で口を閉ざす。
現れたのは、エプロン姿の年老いた侍女だった。彼女はシャーロットたちを視止めると、「ああ、お客様ですね」とにっこり微笑んだ。
「奥様、お客様がいらっしゃいましたよ」
侍女は人のよさそうな笑顔で屋敷のなかを案内する。
入口から壁面のいたるところに風景画やら人物画がかけられ、キャビネットやコンソールの上には豪奢な壺や精密な細工の施された彫刻などが置かれており、ちょっとした美術館のようだ。
「あらー、エイプリルの坊ちゃんたち! よく来たわね!」
リビングに案内されると、ふっくらとした女性が迎え入れてくれた。お世辞にも美人とは言えないが、屈託のない笑顔が優しそうな雰囲気を醸し出している。
「おひさしぶりです、マリリン夫人。ですが、もう坊ちゃんという年齢では――」
「いやねー! 23歳は十分子どもよ、子ども! あたしにとってはね、あたしもまだまだ若いけど! お嬢ちゃんもよく来たわね、何年ぶりかしら?」
「5年ぶりです、夫人」
シャーロットはスカートの端をつまみ、一礼する。
「あなた、あれでしょう? その、王子との婚約破棄をなされて、戻って来たとか?」
「ええ」
「余命一年の魔法をかけられたって本当なの?」
「その通りでございます。胸元に印がございますので、お見せすることはできませんが」
自身の左胸のあたりに手を置くと、マリリン夫人はあらあらと声を零す。
「人生、せっかくこれからというときなのに……私は魔法なんてものは見たこともないけど、まだ存在しているのね。魔法が由来とされる壺や本は何冊か持っているけど、本当に魔法が宿っているかどうかは知らないし、試してみたいとも思わないわ。私は静かに愛でるだけ」
夫人は当然のように語り始め、背後に飾られた本棚を紹介するように手を差し伸べる。どの本も背表紙が古びており、金糸で題名が刺繍されているものも少なくなかった。
「魔法について書かれているのは、このあたりかしら。全部がルーン文字で書かれた本もあるけど、お嬢ちゃんのことだから知っているでしょう?」
「はい、すでに読んだことがあります」
正直に答えると、サリオスが非難がましい目で見てくる。シャーロットは分かっていると目で合図をすると、にこやかに言葉を続けた。
「一番右端の一冊は200年前の古書でしょう? 凄く状態も保管状態も良さそうですね」
「200年前!?」
これに驚いたのは、ロイだった。
「そんな昔の本なのか!?」
「その通り! 手に入れるのに苦労したのよ」
マリリン夫人は上機嫌と言った様子で手を振った。
「馴染みの骨董商がね、やっとの思いで仕入れたらしいのよ。どこかの貴族が没落してね、売りに出したんだと。金貨一袋分したのだけど、よい買い物をしたと思っているわ」
「中身を拝見させていただいても?」
「あらあら、駄目よ」
シャーロットが本棚に近づこうとすると、夫人はくすくすと笑った。
「まだ中身が読めるほどの修繕はできていないのよ。触ったら壊れてしまうかもしれないわ」
夫人はにこやかに言うと、そのまま廊下に出ようとする。
「あれ? 昼食とるんじゃないの?」
ロイが不思議そうに囁いてきたので、シャーロットは静かに首を振った。
「昼食でも茶会でも、まず最初は夫人のコレクションを拝見することろから始まるのです」
彼女に案内されて家中に所狭しと飾られたコレクションを見てから、食事が始まるのだ。その食事の話題も、いままで見せられたコレクションについての話になるので、ちょっと気持ちが憂鬱になる招待客もいるだろう。
「さあ、我が子たちを見せてあげるわ」
そう言いながら、夫人は階段を上り始める。
意気揚々と階段を上がる彼女を見上げ、シャーロットはおやっと首を傾げた。
「夫人? お庭の紹介はされないのですか?」
いつもは庭に鎮座された彫刻たちの紹介から始まるのに、と指摘すると、夫人は足を止めた。
「いま、庭は改装中なのよ。なかなか庭の木々の手入も終わっていなくって」
夫人は笑顔で応える。でも、その顔が一瞬、硬く強張っていたように見えたが、瞬きしたあとには朗らかな表情に変わっている。
「さあ、まずは我が家の三階――陶器のコレクションから」
夫人は楽し気に語り始める。
星空を落としこんだような碗、美しいほどに白い陶器の壺に鮮やかな色彩で装飾された花瓶――この家に来るたびに何度も見せられているが、つい見せられてしまう。
「見て、この短剣! 東洋から取り寄せたばかりなの!」
特に彼女が熱を入れて説明していたのは、一振りの剣だった。
鉄剣の一種なのだろうが、すっかり錆びてしまっており、とてもではないが美術品には見えない。よほど腕の良い研技師に出さない限り、元の状態には戻せないし、ちょっと触れただけで折れてしまうだろう。
一見すると、ただの鉄の塊。だが、そこに在った。
「いまから1000年以上前の剣でね、ほら、ここに金の文字で所有者の名前が刻まれいてるのよ。東方の王の名前なんですって!」
1000年以上もの月日を経ても、なお現存する。
なるほど、それは確かに歴史の浪漫や重みを感じた。
「それにね、ここ……ほら、この部分をよくご覧になって。小さな宝石がはめられているでしょう?」
いまにもかすれてしまいそうな金文字の隣に、点より遥かに小さい白銀の石が輝いていた。
「これは……プラチナ?」
「そうよ! 時が過ぎても、変わらぬ輝き……美しいと思わない?」
マリリン夫人はうっとりと告げる。
「この子を迎えるためにね、相当苦労したわ。玄関前の彫刻全部よりも遥かに高かったの。でもね、一目惚れよ。私がお迎えしなくちゃって思ったら、ぽんっと出せたわ」
彼女はそう言うと、甘い顔のままシャーロットに向き直った。
「ねぇ、あなた……魔法が本当なら、一年後にお亡くなりになるのでしょう? あなたの住んでいる書庫の本はどうなさるの? もしよろしければ、私が譲り受けるけど」
「検討しておきますね」
シャーロットはにっこり笑った。
誰がこの女に渡すものか、と反骨する気持ちもある反面、こういう収集家のもとに買い取ってもらった方が本たちのためになるのではないかと思う気持ちも少なからずあった。
彼女の美術品や貴重な品々に対する扱いは良く、どの品も極めて手入れが行き届いている。相当の愛がなければ、この管理を実現できないだろう。
「ええ! よろこんで迎え入れるから。しばらくあそこに住んでいるんでしょ? よかったら、また遊びに来なさいな」
夫人はからからと笑う。
「ええ、ぜひ」
シャーロットも微笑み返す。
嘘と言うわけではないが、久しぶりの外出は興味深いものであったことは事実だった。何度も同じ貴重な品を解説付きで目にするのは退屈そうに思えて、見る時々で姿を変えるような気もしてくる。
それに、5年前に訪れたときよりも品は増えていたし、初めてみるものもあった。ちょこちょこと目についていた贋作も減り、驚いたことも嘘ではない。
少なくとも、退屈はしなかった。
だから、次――たとえ、同じ品で似た解説付きのお茶会だったとしても、参加しても悪くないかもしれないと思えるほどには、好感を抱いていたのだ。
しかし、そうはならなかった。
翌日、サリオスの悲鳴がエイプリルの屋敷を震わす。
「シャーロット! マリリン夫人が強盗に襲われたらしいぞ!」
書庫に駆け込んできた兄の手には、今日の新聞が握られていた。
「強盗?」
朝食前の軽い読書にと読んでいた本から顔を上げ、半信半疑で新聞を受け取ってみる。地元の新聞の一面には、「マリリン夫人負傷! 屋敷に強盗が押し入る」という文字が躍っていたのだ。
「昨日行ったばかりなのに……なぜ……」
サリオスが青ざめた顔で頭を抱えているが、シャーロットが気になったのはそこではなかった。
「『魔法としか思えない手口』?」
担当した警備隊の言葉として書かれていた一文が引っかかった。
「『犯人は夫人を脅しで刺すも、その場から逃走。だが、現場に足跡はなく、逃走を目撃した者もいない。まるで、その場から魔法で消えたとしか思えない』……ね」
シャーロットは口の端を持ちあげると、楽し気に立ち上がった。
「ねぇ、サリオス兄様。ロイさんは王都にお帰りになったの?」
「ロイ? あいつなら、街に宿をとっているはずだが……」
「彼と一緒にもう一度、屋敷を訪れたいの。お見舞いとして」
「見舞い? お前が?」
サリオスは胡散臭いようなものでも見るような目つきでシャーロットを眺めていたが、「まあ、ロイがいるなら」と首を縦に振る。
「だが、いまは忙しいはずだ。さすがの夫人も気落ちされているだろう……邪魔になると判断したら、すぐに帰って来るんだぞ」
「もちろんですわ、お兄様」
シャーロットはにこっと笑って見せる。
連日の外出になるとは思わなかったが、これはこれでいい。それに、もし本当に魔法使いの仕業なのだとすれば、ぜひ解明して死ぬ前に会いたいと思った。
心臓が鼓動を速く打つ。
二度目の魔法に会うために、シャーロットは意気揚々と出かけるのだった。