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3話 来訪者


 兄が訪ねてきたのは、婚約破棄から三週間後のことだった。


「シャーロット……大丈夫か?」


 呆れ気味の声を耳にし、シャーロットは本から顔を上げてみる。そこには、やや不満気に腕を組んだ兄の姿があった。そこでようやく、今日は兄が来る日だったことを思いだした。


「サリオス兄様……失礼致しました」


 シャーロットは読みかけの本を閉じると、兄に微笑みかけた。


「少々、読み耽ってしまってまして」

「読み耽っていた、か」


 サリオスは怪訝そうな目で辺りを見渡した。

 大型の馬車が十台は余裕で入りそうなほどの室内は、見上げていると首が痛くなるほどの高さの天井に至るまで本で埋め尽くされている。相当広いはずにもかかわらず狭く感じるのは、所狭しと建ち並ぶ本棚が見上げるような壁になっているからに違いない。

 シャーロットのいる小さなテーブルと椅子がある空間だけが、わずかに開けた場所となっていた。


「お前なぁ……こんなところに朝から晩まで閉じこもっているのか?」


 サリオスは目を細め、テーブルの上に置かれた冷え切ったお茶のセットを一瞥する。


「身体を壊すぞ。たまには外に出ろ」

「まあ、失礼な」


 シャーロットは腰に手を当てると、兄の不満気な顔を睨みつけた。


「私の寿命は残り一年。対して、読むべき本は三万冊以上。時間はどれほどあっても足りません」


 田舎の所領に戻ると宣言したのは、王都の騒がしい世間から離れたいというのも理由のひとつだったが、亡き祖母が集めた書籍の数々を思う存分堪能したいというのが本当のところである。


「ここにあるのは、王城の書庫にも勝るとも劣らぬ所蔵本。……深呼吸すると、良質な古書の香りが身体に満ちるでしょう? ああ、なんて幸せなのかしら! これだけで、軽く10年は生きることができそうですわ! まぁ、私の寿命は残り1年ですけど」


 ちょっとしたジョークも披露してみたが、サリオスの皺は深くなるばかりだった。

 シャーロットは大きなため息を零し、やれやれと首を横に振った。


「サリオス兄様は真面目ですこと。ご安心くださいませ。朝と夕は厩舎を訪れていますし、気が向いたときは昼も乗馬を楽しんでおります。書庫に日が昇ってから沈むまで永遠と籠りっぱなしというわけではありませんので」

「外出はしてないってことじゃないか」

「外出する理由がありませんから」


 シャーロットの暮らす屋敷の麓には、それなりに栄えた街が広がっている。

 湖に面した街は交通の要所にもなっており、富裕層の避暑地としても知られているのだ。


「メインストリートをぶらつくだけでも気分転換になるだろうに」

「衣装やアクセサリーを購入しろと? それこそ無駄な出費ですわ――ところで、サリオス兄様。そこの本棚の後ろに隠れている御方を紹介してくれません?」


 シャーロットが言うと、サリオスはぐっと言葉を詰まらせる。


「……どうして分かった?」

「影が見えておりました」


 サリオスが振り返ると、窓から差し込まれた陽光が本棚の影を作っている。その端が、わずかに丸みを帯びていた。


「……おい、出てこい」


 サリオスは肩を落とし、合図をする。

 すると、本棚の影からひょいっと青年が顔を覗かせた。


「はじめまして、サリオスの妹さん」


 眩しい笑顔が特徴的な男だった。

 爽やかな夏の森を思わす緑色の瞳は、シャーロットを興味津々と言った様子で眺めている。だが、なによりも特徴的なところは、狼の耳が生えていることだろう。


「これは……珍しいお客様ですね」


 シャーロットもわずかに目を見開いた。

 ふさふさとした髪と同じ黒色の耳に目が行き、それからゆさゆさと楽し気に揺れる尻尾に移る。


「狼族の方ですか?」

「そっ! ロイ・ブラックドッグだ、よろしく」


 彼が手を差し出してくる。一見すると普通の男性の手のようだったが、爪の形が獣のものだった。丁寧に手入れをしているのだろう、丸みを帯びていたが人間の爪より硬質で尖っている。

 シャーロットは彼の手を握り返すと、頬笑みを浮かべた。


「シャーロット・エイプリルと申します。ブルットクックの戦いではたいそうな働きをされたようですね」


 シャーロットが指摘すると、ロイは驚いたように耳がピンっと立った。緑色の眼をまんまるくさせ、しげしげと見返してくる。


「俺のこと知ってるの?」

「いえ。ですが、剣だこがあります」

「それだけだと、この間の戦で派遣された地名まで分からないでしょ……サリオス、あんたの妹は噂通りだな。なんでもお見通しだ」


 ロイはにやっと笑った。


「千里眼って奴? それを持ってるんじゃねーの?」

「千里眼は持っていません。推理しているのです。千里眼とは透視の一種であり――」

「はいはい、わかったわかった」


 サリオスがシャーロットの話を遮るように、ぱんぱんと手を叩く。


「ということで、ロイ。こいつが僕の妹だ」

「ふーん、推理ねぇ……」


 サリオスが紹介すると、ロイの眼の奥に好奇の色が灯った。まるで観察でもするかのように、シャーロットのことを見つめてくる。シャーロットがその眼を見返すと、ますます穴が開くほど凝視してきた。


「こほんっ!」


 サリオスが咳払いをして、ロイはようやく名残惜しそうに目線を逸らした。


「シャーロット、こいつは僕の友人で同じ近衛連隊に所属してる。帰省するって話したら、勝手についてきたというわけだ。それでだな……」


 サリオスは話しながら袖をまくり、腕時計に目を落とした。


「マリリン夫人から食事の誘いを受けている。僕が帰省すると聞いて、招待したいということらしい。お友だちや妹さんもぜひいらしてくださいと」

「では、お断りさせていただきますわ」


 シャーロットが関係ないわと断言するも、サリオスは首を縦に振らなかった。


「マリリン夫人は、シャーロットも誘っているんだ」

「あの夫人、あまり好きではなくって」

「苦手じゃない人間の方が少ないだろ」


 サリオスが誘ってくるも、シャーロットは腰をあげたくなかった。

 マリリン夫人といえば、骨董品に目がないことで有名だった。

 屋敷には至る所に絵画や壺が飾られており、それを愛でることこそ人生の至高と考えている女性である。だが、それを除けば一般的な貴婦人と大して変わらず、おしゃべりで噂好きな一面もあった。

 お茶会に招くと必ず収集品を披露し、我が子のように自慢げに語りだす。それは新たな知識と思えば良いが、収集品を褒めなければ途端に機嫌を悪くするので接するのが難しいのだ。


「何年か前、彼女が手に入れた絵画が贋作だと指摘してから、会うたびに凄い勢いで睨んでくるんですよ。絶対に、私のことを嫌ってますわ」

「でも、彼女が昼食に誘ってるんだ。きっと、和解したいんだよ。それに、マリリン夫人……新しいコレクションで、ルーン文字とかいうもので書かれた古書を入手したって聞いたぞ」

「行きましょう!」


 シャーロットは勢いよく立ち上がった。


「ルーン文字の本はぜひ拝見しなければ!」


 魔法の文字で記された古書には、いったいどのような内容が隠されているのだろう?

 太古の魔法が書かれているのだろうか? それとも、ルーン文字の図鑑形式で文字の成り立ちや意味が記されているのだろうか? それとも、それとも――と、考えるだけで、シャーロットの心は弾んだ。つい、スキップをしそうになるほどはしゃぐ姿を見て、ロイがくすっと笑ったことも気にならないくらい、上機嫌だった。




 ところが、そうはいかなかったのだ。

 三週間ぶりの外出は、ちょっとした事件の幕開けになったのである。








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