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29話 王太子の初仕事


「さあ、偽者はどこにいる!」

 

 アルバートが騎士を引き連れ、酒場の入口で腕を組む。

 とはいえ、酒場にいる者の大部分は王太子の顔をよく見たことはない。一年に数度、王族が城のバルコニーに立って民の前に姿を見せることもあるが、警備のこともあって遠目から見るのが精いっぱい。新聞に姿絵が載ることもあるが、あくまで絵なのですぐに結びつかない者も多いだろう。

 だが、アルバートが誰なのか分からなくても、彼が上流貴族だということに気づいてはいた。

 赤いマントを翻し、滑らかな服にはシミひとつなく、綺麗な白い顔には傷どころか汗ひとつかいていない。さらに見るからに強そうな騎士を引き連れていることからしても、自分たちとは普段交わらない貴族だということは誰もが理解していた。


(はぁ……本人が酒場に乗り込むとかなにを考えて……いえ、なにも考えていらっしゃらないのね)


 シャーロットは心のなかでため息をつくと、ちらっと隣に座る偽プリンスの顔色を伺い見る。

 偽プリンスは真っ青になってうつむいていた。がたがたと震え、歯がかちかちとなる音も聞こえてくる。まさか、アルバート本人が乗り込んでくるとは思っていなかったに違いない。


「あの……お客さん……ここはしがない酒場でして……」


 それでも、バーテンが勇気を振り絞ったような声で問いかけようとしたが、アルバートから鋭く睨まれて黙ってしまう。


「偽プリンスはどこだ?」

「えっと、その……自称してる奴はいますけど、ふざけてっていうか誰も本気にしてねぇし……」


 アルバートに凄まれ、バーテンがしどろもどろになる。

 そのやりとりに、じれったさを感じたに違いない。アルバートは舌打ちをすると、面倒だとばかりに手を振り上げた。


「貴様、犯罪者を匿うつもりだな! 面倒だ!……全員、連れていけ!」

「ちょっ! 待てよ! 俺たちはなんにもしてねぇって!」

「ここで酒を飲んでただけだっての!」


 アルバートがそんなことを言うものだから、さすがに客たちは声を上げ始めた。


「あ、あいつだよ! プリンスって自称してんのはあいつなんだ!」

「あいつだけ連れていけばいいだろ! 俺たちは関係ねぇーよ!」

「そうだよ、旦那! 俺たちは無関係だって! なーんにも悪いことしてねぇ! 横暴だ!!」


 客たちは立ち上がると、偽プリンスを指さした。

 しかし、アルバートは止まらない。むしろ、庶民にいろいろ指図されるのが嫌だということが顔からにじみ出ていた。


「ええい、黙れ黙れ! 全員同罪だ! だいたい、この酒場は包囲してある! お前ら、全員捕らえろ!!」

「……はぁ、いい加減にしてよ!」


 シャーロットは腹から声を出すと、アルバートを冷たく見据えた。男性の怒声のなかに混じった若い女性の声は一際目立ち、場はしんっと静まり返った。


「なんで、あたしらを捕まえるのさ! こいつだけ連れて行けっての!」


 怯え切ったプリンスの襟をつかみ、どんっとアルバートの前に突き出した。


「い、いや、俺は違うって! 冗談でプリンスって名乗ってたわけでな……」

「冗談でも王族だと騙るのは重罪だ。おい、そいつを捕らえろ」


 偽プリンスはなんとか弁明をしようとするも、アルバートは意にも返さない。


「お前らも同罪だ! 王族を騙る偽物を常日頃見逃していたのだろう! これは立派な国家反逆罪だ!」

「あんたねぇ、なに言ってるんだい!」


 シャーロットは憤慨したように立ち上がると、アルバートに詰め寄った。

 正体を見破られるのではないか、という恐れもあったが、それ以上にここでこんなくだらない理由で逮捕されるわけにはいかない。せっかく残された時間を一瞬でも本も馬もなにもない牢獄で過ごすなど、それこそ冗談ではなかった。


「そんな理由で国家反逆罪になるんだったら、王国民みんなを捕まえることだね! 王様ゲームしたことのある連中は全員同罪だ。後ろの騎士さんたちも自分で自分に縄をかけたらどうだい?」

「貴様、それとこれとは……!」

「同じことだよ!」


 シャーロットは自分の腰に手を当て、アルバートを睨みつける。彼の怒りで真っ赤に染まった額には、数本の筋が浮かんでいた。


「王様ゲームだってなんだって、そんなの冗談だろ? 自分が王様だって言いふらしても、本気にする奴なんていないさ!」


 シャーロットが啖呵を切っていれば、視界の端でうんうんっと頷く偽プリンスの姿が目に入る。

 けれど、彼は残念ながらここで逮捕させるつもりなので、冷たく突き放すことにした。


「別にさ、その自称プリンスが本当に悪いことしてたってなら捕まえてもまーったく問題ねぇよ。だけどさ、プリンスだっていう冗談を笑ってただけで犯罪者扱いなんてたまったもんじゃねぇ!」

「貴様ぁ……! さっきから誰に対して物を言ってる!」

「知らねぇ! だって、あんた自分の名前を言ってないじゃないか!」


 シャーロットが叫ぶと、アルバートの眉間に筋が浮かぶ。


「あたしはマリリン! マリリン・ブラックローズ! 今日、王都についたばかりさ! 子どもの頃から花の都に憧れてたけど、ついて早々こんなくだらねぇ理由で縄かけられるなんて……この国は圧制が敷かれてんだな!」

「ッ! アルバートだ!」


 アルバートがつばを散らしながら叫んだ。


「アルバート三世! 貴様の前にいるのは王国の王太子であり、未来の国王だぞ!」

「ふーん、王太子様ねぇ」


 普通の小娘ならば、ここで動揺することだろう。

 けれど、シャーロットは違う。なにより、ここで引いてはならない。


「じゃあ、王太子様。あんたが捕まえる暴徒一号が、あたしってことになるな」


 シャーロットは顔色を変えることなく、まっすぐ両手を差し出した。 


「さっさと捕まえろよ。あたしを皮切りに、この店の全員を! 厨房のスタッフまで全員! 縄に繋いで、夜の街を歩かせるといい! プリンスを詐称してた悪い奴と酒場で働いたり仕事の疲れを癒してたりした者たち総勢50人と1人の大行列! あんたの偉大さが、明日までには王都中に広まるだろうさ!」


 ここまで言い切ると、さすがにアルバートの顔色に変化があった。

 プリンスを自称していた大罪人はともかく、ほぼ無実の民たちがずらりと縄に繋がれて牢へと連行されていく姿を想像してしまったに違いない。


「違う……」

「違わない! あんたがやろうとしてることは、そういうことさ!」


 アルバートが必死に逃げ道を探すのに対し、シャーロットは断言する。


「それが未来の国王がすることかい? せっかく、本当に愛してる女と一緒になるっていう幸せな王太子が、最初に民にする仕打ちがこれなのか!?」

「俺は……そんな人物では、ない」


 アルバートの口から言葉が絞り出される。それを聞くと、シャーロットは怒っていた顔を解き、一変して快活な笑顔を浮かべてみせた。


「なら、なにをするべきか分かっているはずだな――未来の国王陛下」

「……っ、その男だけ捕らえろ。他の者たちは関係ない」


 アルバートがそう言ったところで、酒場中に張り詰めていた空気が一気に緩んだ。

 自称プリンスだけが「違う、俺も無実だ!」と叫んでいたが、騎士たちが黙々と縄をかけ、暴れる男を担ぐようにして店を出て行った。


「……邪魔したな」

「待て。それだけか?」


 アルバートも去ろうとするので、その背中に声をかける。


「……まだなにかあるのか?」

「……まあいいさ。あんたがそれでいいなら」


 本当は謝罪の言葉まで引きずり出したかったが、それまでやると私怨に近くなる。なにより、そこまで未来の国王教育をしてやる義理はない。そう思っていたのだが、アルバートは振り返ると、こちらにまっすぐ頭を下げてきた。


「その場の感情に任せて逮捕すると口にしてしまい、すまなかった」

「え……?」

「未来の国王としてふさわしくない行動だった」


 アルバートが珍しく素直に非を認めたので、シャーロットは思わず目が点になってしまった。ちょっと勝ち気な街娘の演技を忘れ、素でキョトンとした顔をしてしまう。そんな顔が、アルバートの目にどう映ったのだろう? 彼は何か堪えたように、ぷっと噴き出した。


「な、なんだよ」

「いや、君の顔が可愛らしくてな……」


 彼の顔には、先ほどまでの怒りは欠片もなかった。それどころか、いままでに見たことがないほど安らかな頬笑みを浮かべている。

 

「マリリンと言ったな? こんな酒場にいるのは惜しい頭脳だ。俺と一緒に城に来ないか?」

「は、はぁ!?」


 アルバートが自然と手を取ろうとしてきたので、反射的に避けてしまった。アルバートの行き場がなくなり、宙を浮く右手を見ながら、シャーロットは必死に頭を働かせる。


「あ、あたしは城で働くなんて脳はねぇよ! 礼儀作法なんて知らねぇし!」

「礼儀作法は学べばなんとかなる。オリビアと一緒に学べばいい」

「じ、冗談じゃねぇって!」


 シャーロットはアルバートの視線を振り切るように、酒場の出口に向かって一目散に走り出した。先払いでよかったと心底思いながら、夜の街へと駆けだしていく。

 確かに、勝ち気な街娘を演じるにあたり、本の知識だけでなく、オリビアをわずかに意識したのは間違いではない。だからといって、それが王太子の気を引くことに繋がるまで計算してなかった。そもそも、あの馬鹿王子が酒場に乗り込むこと自体、確率としては低いと考えていたのである。


「まったく、どこで情報を仕入れたのやら……」



 シャーロットは馬車を待たせている場所への道を思い出しながら、必死に足を動かすのだった。















「……マリリン……マリリン・ブラックローズか……」


 アルバートは呟く。

 自分の手をすり抜け、去っていく背中を見つめるその姿は、まさに恋する男そのものだった。






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