23話 オリビア・クロッカス
「フリル夫人のことは、よく存じておりますわ」
シャーロットは口元を隠しながら微笑みかける。
「礼儀作法の知識においては、彼女の右に出る者は少ないでしょう」
「はいっ! フリル夫人はすっごく優しいですし、いい先生に恵まれたなって思います!」
オリビアの無邪気な姿を見て、シャーロットは内心失笑する。
フリル夫人は悪い人ではないし知識もあるし優しい人であることを否定できないが、教師として一流であるとは言い難い。教え子は褒めて伸ばすことは重要だが、注意をまったくしないというのも問題だ。教え子が「今日は嫌だ」と拒否をすれば「まあ、そういう日もあるでしょう」と毎回許諾してしまう。その結果、真面目に励めば礼儀が身につくのだが、怠け癖があったり自分に甘い一面があったりすると彼女に習うのは意味がない。
オリビアはおそらく後者。
申し訳ないが、未来の王妃として求められる立ち振る舞いは難しいだろう。
「……それで、今日はどうしてこちらに?」
だが、それを指摘する気にはならない。
それをするだけの義理はないし、せっかく向こうから会話を振ってきたのだから、しばらく花を咲かせようと思った。
「私は愛馬が出走したので足を運びましたが、オリビアさんも馬に関心がおありで?」
「別に馬は興味ないんですけど、私って未来の王妃でしょ? こういうところに顔を見せるのも大切だなーって思ったんです。それに、午後はアルバート様の馬が出るらしいし」
「いろいろと考えていらっしゃるのね」
「えー、それほどでもないですよ」
えへへ、とオリビアは照れたように頬を掻いた。
「ほら、シャーロット様と何かと比べられるので。本当に大変で大変で……正直、私なんかがシャーロット様より勝ってるところって、明るい性格とアルバート様の愛くらいかなって思うんですよ。あっ、シャーロット様が別に愛されてなかったってわけじゃないですし、根暗だったって言ってるわけでもないんですよ!?」
「お気になさらず」
「せっかくですし、これから一緒にレースってのを見て回りません? アルバート様が来るまで暇だなーって思ってたんですよ。他の人たちもノリ悪いですしー」
オリビアが明るい調子で提案してきた。ぽんっと両掌を合わせ、お願いするように上目遣いで見つめてくる。しかし、本人としては隠しているつもりなのだろうが、黄色い瞳はまったく笑っていない。アルバートやそこらの男は騙せるだろうが、シャーロットの目は誤魔化せなかった。
「かまいませんわ」
「あの、シャーロット様……」
シャーロットが了承すると、周りにいた淑女たちが驚いたように口を挟んできた。
「本当に大丈夫なのですか? その……」
「今日の時間だけはたっぷりありますので。オリビアさんのおかげで、私はアルバート様の婚約者という大役から降りることができたのですから……もっとも、私の余命は10か月ほどしかありませんが」
シャーロットは自虐を口にするが、これに笑ったのはオリビアだけだった。
「ちょっと、シャーロット様! それだと、私が恩人みたいじゃないですかーなんだか、冬のお茶会のときから性格変わりました?」
オリビアが大口を開けて笑いながら言うと、淑女たちは不快そうに眉を寄せる。こんな女性が自分たちの上に立ち、王妃として崇める存在になるのだと思うと頭が痛いのだろう。彼女たちの顔には「これなら、シャーロットの方がまだよかった」という文字がありありと浮かんでいる。
「重責から解放されましたことが、少し影響しているかもしれませんね」
だが、もうあの地位に戻る気はない。
仮に寿命を戻すことができたとしても、アルバートを支え、王妃として王国に仕え続けるつもりはまったくなかった。
「国王陛下から自由に動くことを許可されましたし、毎日が楽しいことで満ちてますもの。好きなときに本を読み、時間を気にすることなく愛馬を応援することができる……素晴らしいことですわ」
「えー!? 時間あるのに本なんて読むんですか?」
シャーロットが下手に出ていると、オリビアは調子に乗ってきたのか、だんだんと会話の内容だけでなく、笑顔に小馬鹿にしたような色合いが混ざり始めてきた。
「せっかく時間あるなら、買い物に行ったり、ダンスパーティーに参加したり、旅行したり遊べばいいのに。もしかして、エイプリル家には自由にできるお金ないとか?」
「本は心の栄養。私は本があれば満足なのです。ですが……」
シャーロットは目線をさっと下に逸らし、帽子で目元に影を作って見せた。
「旅行は少し憧れますわ。ただ、国王陛下に許可されるとは思えなくて……」
「どうして? 王様の許可が必要になってくるの?」
「まがりなりにも、私は罪人の身……本来でしたら、こうして外で息することも許されません。自分の領地で静かに余生を過ごす代わりに許されているのですから、国内を自由に歩き回ることまで許可されるとは……とても……」
「いや、旅行するくら大丈夫ですって!」
すると、思った通り、オリビアはくすくす笑いながら否定してきた。
「シャーロット様は考え過ぎだってばー旅行くらい自由にすればいいじゃん!」
「ですが、陛下の許可が……」
「んー、ならさ、あたしが許可してあげる! 未来の王妃なんだし、そのくらい特権あるから平気平気!」
「本当ですの!?」
シャーロットがぱあっと頬を染めてみせると、オリビアはますます調子の乗ったように口の端を吊り上げていた。
「もちろん! 未来の王妃に二言はないわ!」
オリビアは腰に手を当て、これ以上ない高笑いをする。
「では、一筆いただけます?」
「よくってよ!」
シャーロットが鞄から素早く用紙とペンを取り出し、目の前に付きつける。オリビアは何も疑うことなく、すらすらと――だが、お世辞にもあまり上手とはいえない字を連ねていく。
「たしかにいただきましたわ」
シャーロットはオリビアの許可証を丁寧に受け取ったとき、ちょうど聞き慣れた怒鳴り声が割り込んできた。
「シャーロット! 貴様、ここで何をしている!!」
競馬場にふさわしくない声に振り返れば、アルバートの怒り狂った姿があった。黒を基調としたモーニングスーツに遠目から見ても美しいトップハットを被っているというのに、真っ赤に顔を火照らせながらこちらに駆けてくる姿はまったく紳士とはかけ離れている。
「……ごきげんよう、アルバート様」
シャーロットは許可証を手にしたまま、丁寧に一礼をしようとするも、それを遮る勢いで叫ばれてしまう。
「貴様っ! オリビアに何をするつもりだ! すぐに離れろ!!」
「……アルバート様、声を潜めてくださいませ」
「はぁっ!? なにを――」
「馬が怯えてしまいます」
シャーロットは冷ややかに口にした。
「レースに臨む競走馬が繊細な生き物であることは、アルバート様もご存じですわね?」
「ぐっ……」
アルバートは言い返そうとするも、ここで周りの目にようやく気付いたらしい。怒りを抑えるように数度肩で息を繰り返し、ようやくわずかに声のトーンを落とした。
「貴様、どうしてここにいる」
「愛馬が出走しましたの。せっかく王都まで来たことですし、のんびり過ごしていましたところ、彼女たちと出会い、おしゃべりに花を咲かせておりました」
「そうですよー。私たち、すっかり仲良しになったんですよねー!」
オリビアがシャーロットの腕をつかみ、ぎゅっと寄せてくる。シャーロットは一瞬真顔になったが、彼女に合わせて和やかな笑顔を作って見せれば、アルバートが困ったように顔を歪めてしまった。
「そ、そうなのか……? オリビア、君はいくら優しいとはいえ……シャーロットみたいな奴と仲良くなる必要は……」
「でもでも、とってもお話が合うんですよー」
「ええ、オリビアさんはとても優しいですの」
そうやって微笑みあえば、アルバートの顔に困惑がますます広がっていった。いままで、アルバートの仏頂面か怒る顔しか見てこなかっただけに、彼が困っている姿は非常に珍しい。
シャーロットは心のなかでほくそ笑みながらも、あくまで自然な流れになるようにと心がけながら口を開く。
「そういえば、アルバート様とお会いして思い出したのですが……先日、私の暮らす街で放火がおきましてね。犯人がプリンスと名乗る者と繋がっていたとか」
「は、はぁ!? プリンスだと!?」
アルバートの顔に再び怒りの色が浮かび上がる。
「誰だ、そんな世迷言を口にする者は!?」
「あくまで噂ですわ。ただ、王家の魔法を使っていたとかいないとか……」
「馬鹿な! 魔法は王族以外に使えない!!」
アルバートは王家の一員という矜持が非常に高い。
その立ち振る舞いこそ未来の国王というには傲慢な気風が強いが、矜持が高いあまりに王族を馬鹿にする者を決して許すことはない。
シャーロットはこれを逃すまいとばかりに、今回の王都訪問において最もやりたかったことを切り出すのだった。
「その件につきまして、私に調査を任せていただけませんでしょうか?」




