2話 死の魔法を受けた日
「――ロット……シャーロット!!」
父の呼ぶ声で、シャーロットは目を開けた。
知らない天井を背景に、父の青ざめた顔が覗き込んできている。どうやら、いまの衝撃で自分は倒れてしまったらしい。
「お父様……?」
ぼんやり問いかけると、父の顔にわずかながら安堵の色が浮かぶ。だが、それも一瞬で、青かった顔が茹で上がったように赤くなり、怒りに満ちあふれた表情でアルバートを睨みつけるのだった。
「殿下! 話が違います!! 婚約を取り下げる代わりに、シャーロットを他の有力貴族や将軍の妻になるよう取り計らってくださるのですよね!? ですが……これでは、あんまりではありませんか!!」
「その罪人が悪い! オリビアを……未来の王妃を侮辱したのだ!」
アルバートはふんっと鼻を鳴らす音が聞こえる。
「その罪、死をもって償うべき。本来ならここで首を落とされてもよいのだぞ? むしろ、この程度ですませたことを感謝してもらいたい」
一体、どういうことなのだろう。
シャーロットはよろよろと重たい身体を起こし、ゆっくり辺りを見渡した。アルバートは腕を組み、不満気にたたずんでいたが、周りの大臣たちの顔色からは完全に血の気が引いていた。国王夫妻でさえ、顔から表情が消えている。注目すべきは、ここに集った皆の視線が、シャーロットの胸元に向かれていることだった。シャーロットもおそるおそる自分の目を落としてみる。左胸の上あたりにできた異変に気付き、ぎょっとした。
「なに、これ」
左胸の上あたりに、花の刺青が彫られていた。
白い肌は十二弁の花が黒々と刻まれているのが際立って目立つ。先程までなかったことは明白であり、思わず両手で胸元を隠した。
「死の魔法だ!」
アルバートは高らかに宣言する。
「知っているだろう、王家のみに伝わる『魔法』の存在を!」
「え、ええ、存じております」
シャーロットは戸惑いながらも頷いた。
魔法という文化は今ではすっかり廃れ、伝承のなかにしか残されていない。大昔は魔法使いなる者たちが多くいたらしいが、いまでは王家の血を引く一部の者しか使うことができなかった。
そのなかで、最も恐るべき魔法とされるのが『死の魔法』である。
「死の魔法を受けたものは、1年後に命を落とすという……伝承を耳にしたことがあります」
「そうだ! 12の花弁が散るとき、お前は死ぬ!! 本当はこの場で首を切り落としてもよいが、12か月も生きることができるのだ! 光栄に思うのだな!」
「……つまり、余命一年と言うことですのね」
シャーロットは小さく呟く。
嘘だと思いたかった。だが、自分の胸元を見下ろせば、黒々とした花が刻まれている。目を疑いたくなるような出来事だったが、これは紛れもなく現実なのだ。
「でしたら、これからは好きに生きさせていただきますわ」
「好きに!? まさか、オリビアに復讐を……?」
「いいえ」
シャーロットは表情を引き締めると立ち上がり、スカートの裾を軽くつまんだ。
「田舎の所領に戻り、残りの余生を静かに過ごしたく思います。よろしいでしょうか――国王陛下」
アルバートではなく、その奥で顔を青ざめている国王に問いかける。
父と国王の様子からして、シャーロットの婚約破棄までは既定路線だったが、命まで奪うつもりはなかったらしい。むしろ、新しい婚約者の選定にも積極的に取り組む姿勢があったように見える。それが、馬鹿王子の一時の感情のせいですべて破談になり、おそらく避けようのない死刑宣告までさせてしまったのだ。
普通に考えて、ちょっとした戦争に発展してもおかしくない。
「もちろんだ。他に必要なことはないか?」
国王は冷や汗をたらしながら、必死に笑顔を作っていた。
「必要なものを思いつけば、その都度……アルバート様、そのような顔をしないでくださいませ。私、復讐なんてくだらないことに残りの命を割くつもりはございません」
シャーロットは、いらだつアルバートに普段と変わらぬ微笑を返した。
「私の家族や愛馬に危害を加えない限りは」
わざわざ残された貴重な時間を使ってまで、自分が手を下すまでもない。
近い将来、アルバートたちが苦しむ姿は想像できる。
それだけで、十分だった。
「では、ごきげんよう」
スカートを翻し、颯爽と王の間を後にする。
父が後ろから慌てて追いかけて来る気配を感じながら、今度こそ――本当の笑顔を浮かべる。
「……やっと、自由になれる」
笑顔が抑えられず、シャーロットは右手で口元を覆った。
アルバート王子の婚約者故に、くだらない社交や勉強にすべてを費やしてきた。
そのすべてが報われないのは悔しいが、一分刻みのスケジュールから解放される。田舎の所領に戻り、時間に追われることなく静かに本を読んだり、時々馬と戯れたりすることができるのだ。
興味のない夜会やお茶会に誘われたり開く必要もなく、すべてが自分の思いのまま。
これを自由と言わず、なんというだろう!
「ありがとうございますね、オリビアさん」
おまけに、魔法を自分の身に受けることができた。
もはや、伝説とまで言われ、生きている人間は見たことがないとまで囁かれる魔法の存在を!
「ああ、私はなんて幸せなのでしょう!」
胸に刻まれた十二の花弁に左手で触れながら、シャーロットは歓喜に震えた。
これは余命一年の令嬢が、自由を謳歌する物語である。