14話 黒い煙の挑戦状
「これは……」
シャーロットは現場に駆けつけると、思わず息をのんでしまった。
住宅街の煉瓦造りのアパートメントの4階――その窓から黒い煙が立ち上っている。空が眩いほど青いだけに、黒い煙は異様に目を引いた。
アパートメントの周りには街の人々が大勢集まり、誰も彼も怯えた様子で火事の現場を眺めている。
「シャーロット様っ!」
シャーロットたちも馬に乗った状態で眺めていると、聞いたことのある声を耳にする。顔を向けてみれば、押し寄せた人々を規制している騎士のなかに、ヘンリーの姿があること気づいた。ヘンリーは人並みをかき分けながら、こちらに近寄ってきた。
「いやー、数日ぶりですな。おや、ブラックドッグ殿も!」
人ごみを抜けきったヘンリーは、額に大粒の汗をにじませていた。
「ヘンリー、状況は?」
シャーロットは愛馬から降りながら、顔見知りの騎士隊長に尋ねた。
「酷いってもんじゃないですよ。消防隊が必死に火をどうにかしようとしているのですが……はぁ」
ヘンリーは非常に疲れた顔をしている。汚れたハンカチで汗を拭うのに、次の瞬間には噴き出してきていた。
「これで今月だけで4回目です……4回もですぞ!?」
「まぁ! そこまで!?」
思わず、シャーロットは目を丸くする。
それなりの規模の街とはいえ、1カ月に4回も消防隊が出動する火事がおきるのは珍しい。冬のように乾燥した時期ならともかく、初夏の初めといっても過言ではない現在に、ここまで多発するだろうかと怪しんでしまう。
「お嬢さん、知らなかったの!?」
ロイが驚く気配が伝わってくるので、シャーロットは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「新聞を読まなかったので……」
書庫で一日中籠っていると、外を見ることなど滅多になかった。本を読むだけで時間が溶け、気がついたら夜になっているのだ。使用人たちなら火事について知っていたかもしれないが、必要以上に会話することもなく、彼らもシャーロットを気遣って何も語らない。
シャーロットは地元の新聞くらいは目を通すようにしないと、と考えながら、見物人たちを一瞥する。
「4件とも放火でしょうか」
「その線が強いと考えておりますな」
ヘンリーはそれだけ言うと、他の人に聞かれないか辺りを見渡した。そして、シャーロットに一層近づくと早口で囁きかけてくる。
「いずれも、厨房のように火を使うような場所でない場所が一番燃えているのです」
「……放火の方法は?」
「それが……実はですな、ちょっと妙なところがありまして……今回もそれが見つかれば、シャーロット様のお知恵を借りようと思っていたのです」
ヘンリーはそう言うと、ますます声を潜めた。シャーロットの隣で耳を立てるロイにすら聞こえないと思われるほど、本当にとても小さな声だった。
「現場に残された焦げた瓶に、必ず妙な絵が描かれているのです」
「妙な絵?」
「なんでも、イモリというか蛇というか……」
「……ほう」
シャーロットの眼が光った。
「いま、なんて言ったの?」
ロイが尋ねてきたので、シャーロットが答えようとすると、ヘンリーがしぃーっ!と口元に太い指を突き付けてきた。
「このことは他言無用で! まだ確定ではありませんし、箝口令を引いている情報なんです。それに、ここからも見つかるとは……」
「ヘンリー隊長!」
ヘンリーがあわあわと言うと、騎士の一人が駆け寄ってくる。騎士はシャーロットたちの姿に驚くも、ヘンリーが目で報告を促すので急いで語り始めた。
「消火活動は無事に終了したとのこと! それから、例の絵が見つかったと……」
騎士は最後だけ声を落とす。
ヘンリーは「やっぱりか」と空を仰いだ。
「……負傷された方はいらっしゃいますの? ここで暮らす住民の方々は?」
シャーロットが騎士に質問すると、彼は敬礼したままハキハキと答えた。
「煙で気分が悪くなられた人は2人。あとは逃げる際に転んで怪我をした老人が1人となっております。いずれも、軽症だと」
「逃げ遅れた方がいなくて本当によかった……あの部屋に住まわれている方は?」
そう言いながら、4階を指さす。
消火が順調なこともあり、煙の量はかなり減っていたが、かなり激しく燃えたのだろう。窓の周りまで黒く染まっている。あれでは、部屋に置かれいた物たちは二度と使えないに違いない。
「留守です。職場に出勤していたようですね。連絡はとれておりますが、非常にショックだったようで倒れてしまい……いまは病院で眠っておられます」
「それはそうでしょう」
仕事をしていたら、いきなり自宅が火事だと連絡が入ったのだ。気が気ではいられない。1つ1つ思い出や大切にしている品々、自分の帰るべき場所が、いまこうしている間にも燃えてしまっているのだから――。
「……シルフィー」
シャーロットは愛馬を呼ぶと、ひょいっとまたがった。視界が一気に高くなり、火事の現場はもちろん集まった人々まで一望できる。
「し、シャーロット様!? もう行かれてしまうのですか?」
「いいえ」
ヘンリーの焦った声に平然と返しながら、シャーロットは周囲の様子を確認する。
4階から煙が上がるアパートメントに忙しなく出入りする消防隊。彼らが仕事しやすいように、周囲を規制する騎士。それから、火事を見つめ「怖いね」「最近多くない?」と囁き合う怯え、パニックで目を白黒させる人々――。
「……なるほどね」
シャーロットは一言呟くと、馬上からヘンリーに語りかけた。
「ヘンリー。絵について詳しく教えてくださる?」
「是非! こちらへ」
ヘンリーが先導に立ち歩き始めたので、シャーロットたちはその後ろに続いた。
「お嬢様……大丈夫でしょうか?」
厩務員のボブが不安そうに声をかけてくるので、シャーロットは少し考えたあと笑顔を浮かべた。
「火と煙でシルフィーたちが不安に思っているだろうから、彼女たちのケアをお願い。それから、馬を預ける厩舎にいる方たちに今回の火事について何か不審な点がないか聞いて」
「それでよろしいのですか?」
「ええ」
「お嬢さん、なんだか知らねぇけど絵って話題が出てから目が変わったな」
シャーロットとボブが会話していると、ロイが興味深そうに入ってきた。
「よく知らねぇけど、その絵ってのが魔法と関係ある感じ?」
「魔法というより精霊ですね」
現物を見ないと判断できないが、火事の現場に置かれた焦げた瓶――そこには必ずあるというイモリのようで蛇のようでもある謎の絵。
おそらくは、火のなかで暮らすと言われる幻の精霊――サラマンダーだ。
「つまり、今回の火事は精霊によるものだと推理したってわけ?」
「いえ、そうとは限りませんが、魔法について詳しい者が犯人だということですね。なにより……この街には、私がいるのですよ」
シャーロットが魔法について興味があり、それなりに詳しいことは、それなりの人物なら誰でも知っている。そもそも、いまの庶民は魔法を伝説の存在としか考えておらず、詳しく知識を求めようとするのであれば、それなりの知識階級でなければならない。しかも、そのような人物であれば、マリリン夫人の一件を解決したのはシャーロットだということは、すでに耳に入っているはずだ。
つまり、今回の放火魔、魔法に詳しいシャーロットがいると知ったうえで事件を起こしている。
「私に対する挑戦でもありますの、この放火は」
シャーロットは静かに言い切るのだった。




