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13話 昼下がりの遠乗り


 その後は、のんびりとした時間を過ごすことができた。

 まだまだ日は傾いておらず、夕食までの時間潰しもかねて遠乗りに出かけることにする。

 シャーロットが乗馬服に着替えて厩舎へ足を運ぶと、ロイは既に待っていた。彼はすらっとした艶の良い黒毛の馬を撫でていたが、こちらに気づくと馬から離れる。


「お待たせしてしまったかしら」


 シャーロットは小走りで近づくと、ロイは気にしてないと首を振った。


「俺は特に着替える必要ないから。お嬢さんこそ大丈夫?」

「なにが?」

「ヘルメット」


 ロイの問いかけに、シャーロットは笑って返す。


「あら、私が落馬するように見えまして?」

「でも、万が一のこともあるんじゃないか」

「そのときは天命ですわ――ごきげんよう」


 そう言いながら、自分の愛馬に目を向けた。小柄な鹿毛の馬は初老の厩務員に付き添われ、おとなしく待っていた。


「ボブ、ごきげんよう。シルフィーの調子はどうかしら?」


 愛馬の名を口にすると、シルフィーの耳はぴくっと動く。大きくて丸い黒い眼がシャーロットを見つめると、撫でてと言いたげに顔を寄せてきた。よしよしと鼻のあたりに触れると、もっともっととせがむように顔を横に曲げながらぐいぐい押してくる。


「よしよし、今日はよろしくお願いします」


 今日は遠乗り日和だ。

 真っ青な空には雲一つなく、澄んだ空気が堪らないくらい心地よい。馬を走らせ、向こうの丘まで走っていけば風を感じることができるだろう。


「シャーロットお嬢様、今日はどちらまで?」


 愛馬と触れ合っていると、厩務員が楽しそうな声色で尋ねてくる。


「とりあえず、いつもの散歩道を」

「かしこまりました。では、お嬢様はシルフィード号でよろしいですか?」

「ええ、お願い。ロイさんには―――」

「俺は自分ので」


 シャーロットが厩務員に頼もうとすると、それを遮るようにロイが口を開いた。


「ですが、あなたの馬は疲れているのではありません?」

「あー、でもさ、慣れてない馬だとさ……」


 ロイの眼が自身の尻尾に向けられる。そこで、そういえば彼は獣人だったことを思いだす。現にシルフィーも撫でられながら、黒い目が彼のふさふさと揺れる尻尾を興味深そうに追いかけていることに気づいた。


「ボブ、彼の馬は大丈夫そう?」

「はい。先ほど確認しましたが、問題なさそうです。なにか不調がありましたら、すぐにお伝えします」


 ボブは静々と頷く。彼の馬を見る目は間違いないし、シャーロットから見ても、ロイの隣で佇む黒毛に疲労はあまりないようだった。もし、なにか異変が起きればすぐに休ませ、戻ってくればいい。


「分かりました」


 シャーロットはシルフィーに近づき、足をかけると軽々とまたがる。手綱をつかめば、シルフィーも嬉しそうにいなないた。とんとんっと首のあたりを軽く叩き、よろしくと合図を出していると、ボブが乗った馬が先頭に立つのが見える。


「では、行きましょうか」


 一行はゆったりとした足取りで進みだす。芝を踏み、木々の合間から差し込む陽光を感じながら、裏手の門から外に出た。

 いつもより高くなった視界は見晴らしがよく、軽やかに揺れる感覚も気持ちがよい。シャーロットは思わず解放感に任せ、手綱を握ったまま軽く伸びをした。


「お嬢さん、気持ち良さそうだな」

 

 ロイが隣を進みながら話しかけてくる。


「もしかして、乗馬がかなり好き?」

「まあ、それなりには」


 シャーロットは言葉を濁したが、ボブがくすくす笑う声が耳に入った。


「シャーロットお嬢様は幼いころから辛いことがあると厩舎に隠れていましたからな」


 ボブは皺くちゃな顔をますます崩して笑っている。


「特に書庫のない王都のお屋敷にいた頃は、王妃教育が辛いだの、お茶会でまた同年代の令嬢に嫌われただのを泣きながら慰めを求めるくらいには、馬を好いておられます」

「ボブ!」


 シャーロットは少し口を尖らせる。

 ボブの言う通り、本に負けず劣らず馬が好きだった。

 この屋敷にいるときは、嫌なことがあるたびに書庫へ逃げて祖母と一緒に本を読むのが至高のひと時であり、慰めだった。

 だが、王都の屋敷ではそうもいかない。

 私室には本がそれなりに揃えてあったが、古書の香りに包まれるほど揃えられず、辛いときの慰めにはなりにくい。それに比べ、厩舎に行けば美しく賢い馬たちがいる。


 王妃教育を頑張れば頑張るほど、アルバートから距離を置かれる。

 お茶会では、同年代の令嬢と距離を縮めようとするも、ちくちくちくちくと意地悪を言われ上手くいかない。もういいや、と早々に諦めてはいたが、針の筵のような社交はつまらない。いまでこそ、達観することはできたが、10代前半だった頃は苦しいことこの上なかった。

 かといって、家にも逃げ場はない。両親や兄弟たちに泣き言なんて恥ずかしくて口にすることもできず、気がつけば厩舎へ逃げていた。



 そう、あの頃から馬が好きだった。

 アルバートが「動物なんて嫌いだ」と断言していたから、愛玩用の小動物を飼うこともできず、身近にいた唯一の動物が馬だったこともあるかもしれない。


「まあ……確かに、シルフィーは家族も同然ですわ。もう一人の姉であり、妹であるかもしれません」


 厩舎で藁に顔をうずめながら泣いていると、必ず顔を寄せて頬を舐めに来てくれる。

 弱い自分を知ってくれる、彼女のことが愛しくて好きで堪らなかった。


 そんな彼女を置いて、先に逝ってしまうことになるのは寂しかったが、彼女は残されたエイプリル家の面々によって大切に育てられ、平穏な余生を送ってもらえるだろう。シルフィーだって、自分のことをいずれ忘れるに違いない。


「あなたの馬はどうです?」

「こいつか? どうって言われてもなー」


 シャーロットが話を向けると、ロイは上を向いて少し考え込んだ。


「戦友?」


 ロイが悩んだ末に絞り出したように、そんな単語と口にした。


「戦友ですか?」


 シャーロットは思わずボブと顔を見合わせる。


「先の戦で、その子も参戦していたということですか?」

「まあ、そんなとこ。ほら、このあたり傷痕がないか」


 ロイが指さした場所に目を向ける。確かに黒く美しい馬体を注視すれば、胸のあたりや脇腹の一部にうっすらとした傷痕が走っているのが分かった。


「ほら、俺って獣人だろ。基本、馬に乗れねぇんだよ。かといって、気にしないような馬だと走らねぇしさ。こいつも気性は荒いけど、調教してなんとか乗れるようになったって感じ」


 彼がそう言いながらぽんぽんっと首を叩くと、駿馬も答えるようにいななく声をあげる。シャーロットは本当に頭のよさそうな馬だと思いながら見つめていれば、シルフィーが嫉妬するように低く鳴いていた。


「ごめんなさい」


 その様子も可愛らしくて、くすっと笑いながら首元をさする。

 

「なんだか、その子――走りたがってるみたいに見えますわ」

「そうかもな。ま、あんな血生臭い戦場より、こっちの方が似合ってる」


 ロイはからっと笑いながら言った。

 確かに、血と死臭よりも、土と風の匂いの方がずっといい。シャーロットも微笑みかけ――そのとき、ふっと煙の臭いに気づいた。

 野焼きでもやっているのだろうか、とも思ったが、もうすぐ初夏だという時期にするだろうか。


「おい、見てみろ!」


 どこから臭いがするのだろうか、とシャーロットが考えている間にも、ロイの反応は早かった。素早く後ろを振り返り、鋭く目を細める。

 シャーロットも振り返り、はっと息をのむ。

 



 眩いばかりの青空に向かって、街の麓から薄暗い灰色の煙が上がっていたのだ。

















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