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11話 絵画のような


「……ふぅ」


 シャーロットはゆっくり息をしながら本から顔をあげる。

 ちらっと窓に目を向けると、空はまだ眩いほど青く輝いていた。あまり時間は経過してないようだが、かなり集中して読んでいたせいなのか、心なしか呼吸が少し荒い。たとえば、ずっと潜っていた水のなかから呼吸するために浮上したような感覚だ。


「……おもしろかった」


 小さく呟き、満足げに微笑む。

 さすがはこの書庫にもない幻の名著。息をするのも忘れるほど、夢中になって読み耽ってしまった。きっと、もう一冊の本も名に恥じない素晴らしい作品であることは間違いなしである。本当は今にでも2冊目の世界に飛び込みたいところだが、ロイを待たせている。


「さてと……」


 呼びに行かなくては、と腰を上げる。

 サロンでお茶でも飲んでいるだろう。ついでに、自分も一服するかと思いながら本棚の間を歩き始め、はたっと足が止まった。 


「……」


 シャーロットは思わず息をのむ。

 本棚に挟まれた狭い通路の先に、ロイの姿が見えた。窓枠に腰を降ろし、静かに本を読んでいる。普段の明るく賑やかな面影はない。緑の目を細め、とても真剣な表情で本のページをめくる――その姿は、とても絵画のようだと思えてしまう。それこそ、マリリン夫人宅の壁にかけられていても不思議ではない。床に垂れた尻尾が時折揺らがなければ、あるいは、狼の爪が目立つ武骨な指がページをめくらなければ、彼が生きているということも忘れてしまうほど見惚れてしまった。


(どうしましょう……?)


 シャーロットは本を抱きしめたまま考え込む。

 本に夢中になっているのに、声をかけて水を差すのは避けたい。でも、時間は有限だ。声をかけるべきか、それとも――と悩み、おずおずと一歩前に足を踏み出す。すると、微かな足音に気づいたのだろう。ロイのやや垂れていた尖った耳がぴんっと立ち、弾かれたように顔を上げた。わずかに見開かれた緑の双眸がシャーロットを鋭く貫き、ぞくりっと背筋が逆立った。


「あ、お嬢さん! 読み終わった?」

 

 だが次の瞬間、ロイは花が咲いたような笑顔になる。緑の瞳は楽し気で、きらきらと輝いている。


「え……ええ」


 シャーロットはなんとか返事をした。


「サロンで待っていられるのかと思いましたわ」

「それも考えたんだけどさ。これだけ本があるんだから、読まないのももったいないなーって」


 ロイはぱたんと本を閉じると、するりと窓枠から降りる。

 シャーロットは明るい調子で近づいてくる彼の手元に目を向け、本の表紙をさらっと確認した。なんてことない、自分たちが生まれる前に流行った恋物語。本屋には置いてないが、ちょっと所蔵量の多い書庫へ行けば見かけるような一冊だった。


「あー、これ」


 シャーロットが表紙を見ていることに気づいたのか、ロイはわずかに頬を染めた。 


「いやさ、なにを読もうかなーって思ったけど、よくわからなくてな。ほら、貴重な本だったらさ、俺なんかが不用意に触って壊しちゃまずいじゃん? で、名前知ってるのこれくらいしかなかったからさ、ちょっと読んでみようかなーなんて、手に取ったってわけ」


 恋物語を読んでいたのが恥ずかしいのか、目を逸らしながら口早に語る。

 シャーロットはそんな彼の姿を見て、くすりと微笑んでいた。


「このあたりにある本でしたら、どれでも普通に読めますよ。あちらの奥に所蔵されている本は扱いを気をつけなければなりませんが」

「そうなのか。焦った……あ、悪い。すぐに返す」

「いえ、どうぞお持ち帰りになってください。まだ途中なのでしょう?」


 シャーロットに気づくまで、没頭するほど読み込んでいたのだ。きっと、続きが気になるだろう。大事な本には違いないが、それを貸さないほど心は狭くはない。

 すると、ロイはちょっと驚いたように瞬きをした。


「いいの?」

「ちゃんと返してくださるのでしたら」

「ありがとう! 俺、読むの遅いけど、なるべく早めに返却するから」

「ゆっくり読んでかまいませんよ」


 自分が生まれる前の一冊なので古いと感じる場面もあるが、流行っただけあり涙あり感動ありの面白い物語であることには変わりない。万民が感じた面白さは時代を超えて愛されるのだ。それを期限を気にしながら急いて読むなんてもったいないことこの上ない。


「……で、お嬢さんの方は?」


 ロイは本を丁寧に鞄にしまうと、ちょっと赤くなった頬のまま話を振ってくる。

 シャーロットは本の表紙を優しくなでながら、大きく頷いた。


「ええ、精霊がいると思われる場所が判明しましたわ」


 シャーロットは本に書かれていた内容をかいつまんで口にする。

 精霊なんて見えないはずの旅人が、とある泉のほとりで奇跡を目撃した。国境を越えようとするも森を彷徨い、三日三晩――水も尽き、もう駄目だと思っていたとき、旅人は小さな光を目撃したらしい。両掌におさまるほど小さく、羽を生やしていた精霊は旅人を泉まで案内し、九死に一生を得たそうだ。

 

「注目するべきは国境を越えようとしたことです。当時の国境は……と」


 口で説明しようとするも、なかなかうまく伝わらないだろう。自分は頭に地理がすべて入っているが、相手はそうではないのだ。シャーロットは本棚の間をちょっと走り、時代ごとの地図が収められている棚で足を止めた。


「……あった、これです」


 旅人が遭難したとされる時代の地図を取り出すと、破れないように注意しながら床に広げた。


「彷徨うほどの森――この時点で西部ですね。南は海ですし、北は山岳地帯ですから」

「東は砂漠だもんな」

「宿泊した村の名前を考えると、このあたり……旅人がこれまで進んできた足取りから察するに、三日で歩き回れる範囲はこのくらいだと推測できます」


 シャーロットは指を差しながら説明していく。


「結構広くない?」

「それでも、足取りを詳しく解析すれば、目的の泉が見つかるはずです。幸い、この森は現存しています」


 シャーロットがいる街から旅人が最後に泊まったとされる宿まで、早馬を飛ばせば1週間ほどで着く。現地まで足を伸ばせば、本には残っていない伝説も聞くことができるかもしれない。


「探索を含めたら、軽く2週間はかかるってことなるな……休暇申請するか」


 ロイが腕を組んで考え込むので、シャーロットは小さく息を吐いた。


「同行するつもりですの?」

「そりゃそうだろ」


 ロイが何を今さらとでも言いたげな顔をするので、シャーロットはますます呆れ果てた。一体、この男はどうして他人の事情にここまで熱心になれるのだろうか――そんな考えが、顔ににじみ出ていたに違いない。ロイはちょっとムッとしたように顔をしかめるのだった。


「あのなー、この時代とは違って国境は遠くなってるとはいってもさ、西は戦争したばっかだぜ? 治安悪いところに、お嬢さんを行かせるわけにはいかねぇって」

「護衛を雇いますので」

「俺ならタダで引き受けるけど?」

「そうは言いましても……」


 シャーロットが何を言おうと、ロイが引き下がる気配はない。

 そもそも、この男は近衛隊。王の傍を守るのが仕事であり、休暇を頻繁に取得していては解雇されてしまいかねない。

 しかしながら、彼が護衛をしてくれるのなら、これほど助かることはない。激戦地を潜り抜けてきた手腕があれば荒事に発展しても対処することができるだろうし、こちらの事情も十分に心得てくれている。人柄だって悪くはない。これから新しく雇う護衛が、彼以上である可能性は低かった。

 はて、どうやって彼を合法的に連れて行こうか……と、思案する。


「なあ、お嬢さん。いいだろー俺を連れ行ってくれよー」

「あなたには仕事があるでしょう。近衛の仕事は大切ですよ、王を守る仕事なのでしょう」


 雇い主である王様を守らずして、なにが近衛なのか。と、ここまで考えたとき、シャーロットの脳裏にある出来事がよみがえる。

 あれを使えば、ロイを連れていくことができるかもしれない。



「……1つ良い案を思いつきましたわ」


 シャーロットは悪戯を思いついた子どものように微笑むのだった。










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