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1話 婚約破棄は突然に

新作です。

よろしくお願いします!


「お茶会を開くなら、シャーロット・エイプリルだけは誘わないこと」


 グラスラーバ王国の令嬢なら、誰もが注意していることだった。

 ごくまれに、最近社交界デビューを果たしたばかりの少女は、この話を聴くたびに首を傾げる。


「エイプリル侯爵家の娘さんといえば、アルバート王太子の婚約者ですよね?」

「侯爵は大臣を務めてますし、お近づきになれば家のためにもなるのでは?」


 未来の王妃で名家の令嬢ともなれば、上流階級の者なら少しでも仲良くなりたいと願うのは当たり前のこと。自分の将来を彩り、一族を繫栄させるためには、彼女に気に入られたいと一度は考えるにもかかわらず、いかなる上昇志向を抱く娘であっても「二度と誘わない」と首を横に振るのだった。


「あの娘はね、王国一番の意地悪なの」


 どの令嬢も口をそろえて同じことを言う。

 これにおかしいと異議を唱えるのは、彼女を遠目でしか見たことのない者たちだ。

 社交界で見かけるシャーロット・エイプリルといえば、アルバート王太子の一歩後ろに控える金髪の淑女である。温和そうな白い顔立ちからは、常に気品がにじみ出ていた。未来の王妃として、いかなる礼儀作法も呼吸するより自然にこなす姿は「貴族の令嬢としてかくあれ」とマナー教本に載ってもおかしくない。青い瞳が氷のように冷たく見えることを除けば、欠点などないように見えてしまう。


 だが、令嬢たちは知っている。


「あの人ね、どのような些細なことも根掘り葉掘り聞いてくるのよ、意地悪なくらいね。シャーロットに嫌味を言われたことのない人はいないわ」

「いつも本ばかり読んでいてね……陰気臭いし」

「嘘だと思うなら、アルバート殿下の顔をご覧なさい。彼女と歩くときはね、必ず顔が引きつっているから……可哀そうに、殿下も彼女のことが嫌いでたまらないの」


 令嬢たちの噂話は、半分だけ真実だった。

 シャーロットをお茶会に誘ったことのある令嬢のなかで嫌味を言われたと感じた者は多かったし、アルバートも彼女のことが大嫌いだったのである。

 アルバートがシャーロットではない令嬢と夜会や行事に参加することは珍しくなかった。たまに伴ったとしても彼女に笑顔を向けることなど皆無。その回数も年々減り続け、いまでは重要な夜会に懇意の令嬢と参加するのは、もはや馴染みの光景だ。

 しかし、シャーロットが婚約者として不当な扱いだと怒ることはなかった。同年代の令嬢はもちろん、婚約者からも嫌われている現状について、当の本人はそこまで気にしてはいなかったのだ。



「シャーロット。お前との婚約を破棄する」


 とはいえ、アルバートから切り出されたときは、さすがにシャーロットも目を丸くしてしまった。扇子で口元を隠しながら、まじまじと婚約者の顔を見てしまう。


「本気でおっしゃってますの?」

「冗談に聞こえるか?」


 アルバートの声色は怒りに満ちていた。

 シャーロットはちらっと周囲に目を走らせる。玉座には王の姿があり、その隣には王妃も静かに座している。大臣たちも数名いるが、そのなかで1人だけ――シャーロットの父が縮こまっていた。だが、反論を口にする素振りのない様子から察するに、今回の婚約破棄は王家と侯爵家の間で不本意ながらも決定した事案に違いなかった。


「……そういうことですか」


 シャーロットは小さく息を吐くと、扇子をぴしゃりと閉じる。そしてスカートを上品につまみ、片足を引いて一礼した。


「承知致しました、殿下」

「ッ! 恥ずかしくないのか、シャーロット!」


 ところが、これに腹を立てたのが、アルバートだった。


「10年だ! 10年の王妃教育が無駄になるのだぞ!? 怒らないのか!? 理由を問いたださないのか!?」

「殿下が私をお呼びした理由など、想定済みでしたもの」


 シャーロットは膝を折ったまま、王太子に向かって静々と言葉を返す。


「10年……殿下から必要以上の誘いはありませんでしたのに、いきなり玉座の間に来るように命じられたのです。婚約の破棄は考えられる事柄の1つでした……最も考えたくない事態であったことには違いありませんが」


 シャーロットは一度、目を落とす。すると、自分が纏っている黒色のドレスが目に入ってきた。胸元が大きく空いたデザインは苦手だったが、アルバートから珍しく「プレゼント」と贈られてきたもの。何故このタイミングなのか勘ぐりながらも贈り物は少なからず嬉しく、わざわざこの装いで城に来たのが馬鹿らしく思えてくる。


「私と婚約破棄をしたということは、次の婚約者はオリビア・クロッカス嬢になるのでしょうね」


 シャーロットは背筋を伸ばし、アルバートの顔を見つめる。アルバートはぐっと詰まったような表情を浮かべたが、すぐにいらだったように鼻を鳴らした。


「ああそうだ! すでに結婚式の日取りも決まっている」

「一年後の冬ですか? おめでとうございます」

「なっ、なぜ分かった!?」

「分かるもなにも……本来でしたら、私との結婚式の日取りでしょう」


 シャーロットの口からはため息が零れてしまった。


「正式なものではないとはいえ、お付き合いのある諸外国に招待状を送ってしまいましたから。他にもさまざまな準備が進んでおります。いまさら白紙に戻すよりも、再利用するのは理にかなっているかと」


 心のなかで「納得はできないが」と付け足し、一度だけ目をつむる。まぶたの裏に浮かび上がったのは、オリビア・クロッカス子爵令嬢の姿だった。

 この一年、王太子が主だった行事に伴っていた令嬢であり、聞いたところによれば実に仲睦まじい様子だったとか。いつも心から幸せそうに微笑みあい、夜会では足がくたびれるまでワルツを踊り、オリビアの馬車が城から帰宅したのは翌日の昼過ぎだったらしい。


「風の噂ですが、先日の夜会で殿下が『真実の愛を見つけた』と近侍に語ったという話を耳に挟みました。それは真実ですか?」

「事実だ。オリビアこそ人生を共に歩む伴侶にふさわしい」

「……そうですの」


 再び、ため息が零れ落ちる。

 シャーロットは、少なからずアルバートと共に人生を歩む覚悟をしていた。燃えるような愛はなかったが、政略的なものとはいえ縁あって一緒になる相手。家族のように大切な存在だと認識していた。家族として、国を率いる者として恥じぬように一心同体で努力していく。たとえ、アルバートが可愛らしいオリビアと遊んでも構わない。将来的に彼女が側妃となったとしても、王太子に嫁ぐというのはそういうものだし、最後に自分のもとに帰ってくれば……と、自分で抱いていた情が、はらはらと花弁が散るように失せていった。


「最後に1つだけ。どうしても、お伝えしたいことがございます」


 最後に残った一欠けらの情を伝えるべく、シャーロットは背筋を伸ばした。


「オリビア・クロッカス嬢は稀に見る努力家の方ですわ」


 シャーロットはアルバートの得意げな眼差しを静かに見つめ返す。そして、アルバートに伝えなければならない言葉を淡々と続けた。


「もともと容姿端麗な方でしたが、それだけでは王妃として務まりません。ですが、彼女の向上心が良い方向へ進むのであれば、王国の安泰は末永く続くことでしょう」

「シャーロット、なにが言いたい?」


 アルバートはオリビアを褒められて嬉しいのか胸を張っていたが、どこか不安を抱いているのだろう。開いていた拳を握ったり開いたりを幾度も繰り返していた。


「お前はオリビアに文句があるのだろう。いいか、彼女ほど優しく清く誠実な娘はいない。なにをするにも真面目で努力をひたむきに重ねる素晴らしい娘だ!」

「……そのような娘が、アルバート殿下の好みですからね」


 シャーロットは一度だけ、オリビアと会ったことがあった。貴族の学園に在籍していた時期がずれているので面識はなかったが、昨年の今頃、オリビアの主催するお茶会に招かれたことがあったのだ。

 オリビア・クロッカスは美しいというよりも可愛い娘である。艶やかな黒髪を季節の花で飾り、ふんわりとした柔らかな笑顔と明るい黄色の瞳が特徴的だった。優しくてのんびりしたような雰囲気をまとっている一方、お茶会では意気揚々と侍女たちに指示を飛ばしていたことが鮮明に記憶に残っている。


「殿下は5年前の彼女を知る者とお話ししたことありまして? クロッカス嬢は学園入学後、スポーツ系のサークルに参加していたと話してくださるでしょう」

「……は?」

「運動はそこまで得意ではなく、むしろ苦手だと公言しているにも関わらず、男子学生が多く所属するサークルばかり出入りしていたそうですね。アルバート様とお会いになられて以降、ぱったりとそのような行動が観られなくなったと……ご存じでしょうか?」


 アルバートの顔色は見るからに曇った。


「クロッカス嬢が殿下の寵愛を得たいのは誠のことでしょう。お互いに愛を育み、末永く幸せに過ごせますことをお祈り申し上げます」


 シャーロットは彼の表情の変化など気にしていないかのように、礼儀正しく会釈を浮かべながらお辞儀をした。そのまま、スカートを翻して玉座の間を後にしようとする。


「――ざけるな、シャーロット」


 アルバートの押し殺すような声が背中にかけられる。


「オリビアを――侮辱したな!! もう、貴様のような悪女に慈悲はない――ッ、いまをもって、貴様の寿命を奪わせてもらう!!」


 アルバートの怒声に驚き、振り返ったときにはすでに遅かった。

 シャーロットの視界は、おぞましい緑の閃光で満たされる。瞬間、心臓が強く脈を打つ。


「ぐっ!!」



 心臓を内側から針で貫かれたような強烈な痛みが全身に広がり、シャーロットの意識は暗転した。









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[一言] ちょいと指摘されただけで…なんてヤローだっ
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