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優しい裏切り



 翌日、昼を回るか回らないかという時間に村に着いた。

 家に入ると姉のそばにはルディアスがいて、普段の飄々とした雰囲気はなりを潜め、少し緊張した面持ちだった。


 姉の記憶を消されると思っているのかもしれない。

 安心させるように笑みを浮かべて、消すつもりはないことを伝える。

 すでに私が何をしようとしていたのかルディアスから聞いていたようで姉は悲しげに頷くだけだった。



 このままヒースと別れたくなくて、自室へと誘った。


「私の部屋に入るの初めてよね」


「そうですね。なんだかイメージ通りでした」


 ベッドサイドに飾られたうさぎのぬいぐるみを持ち上げるとクスクス笑う。


「それ、子供っぽいってこと!?」


 むくれて怒って見せると、声を上げてヒースが更に笑った。

 どこかわざとらしさを感じるその表情に不安が膨れ上がる。


「ねえ、ヒース。やっぱり私、今日はヒースの家に……」


「アリシアさん」


 人差し指がつい、と私の額に触れる。

 ほんのりと温かいものを感じた瞬間、ピシっと何かにヒビが入った音が聞こえた。


 途端にぐらりと頭の中が回る。


「なに、したの……?」


 ふらついた私の肩を支えてヒースが穏やかに微笑む。


「記憶、消そうと思いまして」


「な、なんの……?」


 何の記憶かなんて予想はついていた。

 それでも確かめずにはいられなかった。


「僕と過ごしたこの1ヶ月の記憶です」


 ひゅっ、と息を飲んだ。

 手が、体が震えて止まらない。


「どう、して……?」


 ひどい眩暈に立っていられなくて縋り付く。


「アリシアさんのことが大切なので。だから、僕から逃がしてあげます」


 涙で歪む視界いっぱいに映った美しい顔が私に告げる。


「僕のこと、忘れてください」


 今夜のご飯の話をするかのような軽い口調だった。


 眦に溜まった涙を拭う指は優しくて、いつ嘘だと言ってくれるかと期待して待ってみるけど、ヒースは何も言わずに私をベッドに横たえる。


 離れようとしたヒースをシャツをキツく掴んで阻止する。

 困った顔でシャツを握る手を離そうとするが首を横に振ってそれを拒む。


「アリシアさんは優しいから、きっとこれからもそばにいてくれようとしますよね。でもそばにいたらいるだけ、独占欲を抑えられなくなって、いつかきっとアリシアさんを傷付けます」


「好きよ、好きなのっ……だから……消さないでっ……」


「僕を好きなアリシアさんのまま、全部忘れてください」


 そう言って、ゆっくりと覆い被さってきたヒースの唇が私のものに触れた。


 ほんの数秒。

 それだけだった。


 至近距離で見つめた紫の瞳は優しく細められ、名残惜しげに離れていく。


「これは、僕の最後のお願いです。"何でも"してくれるんでしょう?」


 どうしてここでそれを言うのか。

 途端に憎らしくなって流れ落ちる涙をそのままに睨みつけた。


 こんなの好きだと言っているようなものだ。

 なのに、どうして。なぜ。と言葉にならず、頭の中は掻き混ぜられるかのように混濁し始めた。


 最後に見えたヒースの泣きそうな顔に手を伸ばす。


 遠退く意識の中で名前を呼ぶけれど、きっとヒースはその手を掴んではくれないのだろうと頭のどこかでわかっていた。

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