恋に落ちた日
◇
足早に村を通り抜け、森に入った途端ヒースは俯いて立ち止まる。
「…………呆れました?」
「え? 何に?」
「その、せっかくお姉さんと話していたのに」
背を向けたままのヒースの前に回り込む。
フードに隠れて口元しか見えないが、どこか落ち込んでいるようにも見えた。
「ふふ、いいのよ。今度帰った時にたっぷり甘えるもの。今は寂しがりなヒースのそばにいるわ」
フードをとって、バツが悪そうな顔で笑うその頬を優しく撫でる。
前髪を整えてあげると、その手を捕まえられた。
「ヒース?」
呼びかけても微かに唇を動かすだけで、紫色の瞳から葛藤するような迷いが見えた。
やがて何かを諦めるようにふっ、と力なく微笑むと手を離される。
「暗くなるので早く帰りましょう」
手の温もりが少しずつ失われて、無性に寂しさを感じた。
背中を向けてひとりで歩き出すヒースの腕を両手で掴んで引き止める。
「待って、ヒース! 何か言いたいことがあるなら我慢しないで言って」
「いえ。大丈夫ですよ」
「全然大丈夫に見えないわ。なんでもいいの。悲しいでも寂しいでも、腹が立つでも。ただ隠してしまわないで」
瞳が揺れ動き逡巡しているのが、ありありとわかった。
ざあっと木々を揺らす強い風が吹いて、ヒースの長い銀髪が風に舞う。
「じゃあ……」
「うん」
「抱きしめてもいいですか?」
「…………え、」
私の問いに対する返答ではなかった。
戸惑っている間に腕の中に閉じ込められる。
背中に腕を回していいのか悩みながらも結局そろりと抱き締め返す。
「逃げなくて、いいんですか?」
拘束などあって無いようなものだった。
すぐにでも振り解けるような優しい抱擁は、逃げたければ逃げればいいと態度で示されていた。
ヒースが何を考えているかわからないけど、これだけははっきりと答えられる。
「逃げないわ」
確たる意思を持って口にした。
「逃げたりなんてしないわ」
もう一度繰り返すと、微かに腕に力が込められた。
「…………はい」
その沈んだ声に重ねて問いかける。
「私に逃げて欲しかったの?」
「…………はい」
「どうして?」
は、と憂いを帯びたヒースの溜息が耳のすぐそばを掠めた。
「一度捕まえたら、手を離す時に壊したくなるので」
子供みたいに自分勝手な言い分だ。
それだけにヒースの本心だとわかる。
本当に仕方ない人だ、と思わず苦笑してしまう。
「ねえ、ヒース。それなら離さなければいいだけじゃないの?」
「え?」
「わざと手を離そうとしないで。私はヒースのそばにいたいわ」
そっと顔を上げて、ヒースと目を合わせると不安と躊躇いで揺れていた。
「もしヒースが離れたいって言ってもそばにいるわ。だから怖がらないで。ひとりにしないから」
苦しげに眉を顰めた後、私の頭を抱き寄せるとそのまま髪に顔を埋めた。
熱い息が直に伝わり、身を震わせる。
「……その言葉だけで、救われる気がします」
今にも泣きそうな声に息を詰めた。
胸が締め付けられて、私まで泣きそうになった。
少し早い鼓動が聞こえて、そのまま頬を胸元に擦り寄せる。
素直なようで捻くれていて、大人に見えて子供のままで、優しくて寂しい人。
こんなにどうしようもない人、他にいない。
私がヒースのそばにいたい。守ってあげたい。
それは家族として、なんておままごとな気持ちではもう誤魔化せなくて。
どれだけ抵抗しても人は呆気なく恋に落ちるんだと思った。




