一歩近い距離
◇
洗濯物を干し終えて、陽の光を浴びて庭のベンチに並んで腰掛ける。
天気のいい日はこうして日向ぼっこをしながらお喋りをするのが日課となった。
「ヒース、ヒース!」
「ふふ、何ですか?」
「あのね、ヒースが何が好きかいろいろ考えてみたんだけど今まで喜んでくれたのって『お母さん』だなって思ったの!」
「はい?」
笑顔のまま固まったヒースに言葉足らずだったと事に気付いて慌てて補足する。
「あ、あの、最初にね、朝起こしに行って喜んでくれたでしょ?」
「ええ、そうですね。今は毎朝アリシアさんに起こしてもらえて喜んでますよ」
「よかった。でも、ちょっとした事で世話を焼いたりしたときやこないだ村に帰る時も『守る』って約束したらとても嬉しそうにしてたわ」
「はい」
笑みを深めたヒースにやはり私の考えに間違いはないと自信を持った。
「だからね、つまりはね、ヒースは『お母さん』を求めているのよ!」
ヒースは笑みをそのままに一度目を伏せると首を傾げる。
「うーん、それはどうでしょうねぇ。でも一応聞きましょうか。例えばどういうことをするつもりですか?」
問われて、今まで姉にしてもらっていたことを指折り数えだす。
「そうね、雷がひどい時は抱きしめてあげたり、怖い夢を見たら眠るまで手を握ったり、そばで一緒に眠るの。苦手な虫が出た時は箒で追い払って、何かを上手にできた時はうんと褒めてあげる! もちろん悪いことをしたら叱るわ!」
「ふふ、それは面白そうです。いいですよ」
ヒースに許可されて、それから私は母親のように振る舞い出した。
寝癖がついていれば髪を梳かしてやり、魔法で虹を出してくれた時は心から喜んで褒めて、何度言っても夜更かしする時は厳しく叱った。
私が何をしても微笑んでくれているものだから、「たまには拗ねてみたり怒ってもいいのよ」と伝えると、「楽しんでるのでこのままでいいです」と言われてしまった。
2回目の村に帰る日が来て、ヒースと森を抜けて村に入るとギルとロディスに会った。
目が合ってしまったので軽く会釈をして通り過ぎようとすると、ロディスがまるで何事もなかったかのように声をかけてきた。
「アリシア、久しぶりだね。最近村で見ないけどどこに行ってるんだい? そこの顔を隠した彼とはどういう関係なのかな?」
「あなたに関係ありますか? 申し訳ないけど急いでますので」
「まあ、そう怒らないでくれ。リズリーの体調はどうだい? 近々お見舞いに行きたいんだけど」
「誰のせいでっ……!」
思わず掴み掛かりそうになるのを荒く息を吐いてどうにか落ち着ける。
私はひとりではない。ここで騒ぎを起こして良いことなんて何ひとつない。
怒りを飲み込み、ぎゅっとすぐ隣にいるヒースの手を握って「失礼します」と足早に通り過ぎる。
ギルバートが一言も話さなかったのは気にかかるが、今は一刻も早くこの無神経な男から離れたかった。
家に入ると「アリシア……?」と小さな声が聞こえた。
ヒースの手を引いたまま、姉の部屋へ駆け込む。
「お姉ちゃんっ!」
「……おかえり。アリシア」
少し掠れた声だが、最後に見た時よりは穏やかな顔に見える。
「……そちらは?」
「えっと、今お世話になってる人。ヒースよ」
「リズリーさん、はじめまして。ヒースと申します」
フードを外して微笑みかけると姉は目を見開いて言葉を無くした。
固まってしまった姉の肩を揺さぶり、声をかけるも無反応だ。
「あ、す、すみ、すみませ、あの……」
ようやく話し出したかと思えば、目をぐるぐると回して混乱した様子で、姉を落ち着かせるためにヒースをリビングへ追いやる。
「ご、ごめんなさいね。驚いてしまって……」
「私もお父さんも最初は驚いたもの。当然よ」
「ヒースさんはアリシアの大切な人なの?」
「もちろん大切よ。お姉ちゃんを元気にするために協力してもらってるの!」
困ったように目を伏せて緩く首を振る。
「そうじゃないわ。いえ、まだアリシアには早いのかしら」
聞こえるか聞こえないかといった小さな声で呟くと、私の手を弱々しく握る。
「でもね、アリシア。私のことで無理をしないでちょうだい」
お揃いの琥珀色の瞳に私が映る。
『私が無理をしなければ、どうなっていたと思うの?』
喉元まで出かかった気持ちを飲み込んで、ざらりとした気持ちに蓋をした。
「ルディアスさんに会ったんだよね? 変なことされなかった?」
無理矢理笑みを浮かべて話を変える。
「ルディアス様は……優しい方ね。とても気を遣って下さってるわ。でも、こんなに頻繁に来ていただくのは悪いからアリシアからもお断りしておいて」
「ほー? リズリーは言えば俺が諦めると思ってたのか」
突然聞こえた声に驚いて振り返ると、ルディアスがドアに凭れて立っていた。
「アリシア。これ土産。ヒースのところに行っとけ。今日はそのまま帰ってもいいぞ」
近づいてくるルディアスから紙袋を渡される。
こくんと頷き、足早に部屋を後にする。
なんとなく逆らってはいけない気がした。
リビングのソファに座るヒースの姿を見つけて、何だか無性に泣きたくなった。
そばに寄るとシャツをそっと握りしめて俯く。
「アリシアさん? どうしました?」
「る、ルディアスさんが……」
「ああ、さっきリズリーさんの部屋に向かいましたね。何でもあれから2〜3日おきに来ているみたいですよ」
「ええと、その、ルディアスさんの様子がなんかちょっといつもと違ったから……驚いて。えっと、それで今日は帰っていいって」
「なるほど?」
辿々しい説明に意味深な笑みを浮かべて頷くとヒースは私の顔を覗き込む。
「それで、どうして泣きそうな顔をしているんですか?」
「そんなことない」
「僕の見間違いですか?」
「……そうよ」
ふ、と息を吐くように笑って指先をついと動かす。
「アリシアさん、見ててください」
ヒースの声に顔を上げてみるとリビングに飾ってあったクマのぬいぐるみがふわふわ浮いてお辞儀する。
「えっえっ、ヒース! これっ」
驚きながらも目を離せなくて凝視する。
踊るかのように短い手足を動かして少しずつ距離を詰めてくる。
クマの短い手が頭をそっと撫でる。
まるで「泣かないで」と励ますようなその仕草に堪えていた涙がポロポロと零れた。
「っ……あり、がとう」
声を押し殺して泣いていると背に手を回してぽんぽんと叩いてくれた。
抱きしめるというには少し遠い。
けれど今までよりも一歩近い。
そんな距離感でヒースは私のそばにいてくれた。
「では、僕らの家に帰りますか」
私が落ち着くのを待ってから優しく告げられた言葉に、ほんのりと胸の内が温かくなった。




